他人ごっこ
萌黄ちゃんの質問のある部分が引っ掛かり、私は思わず訊き返した。
「カイル――っ、ううん、翡翠さん……だっけ。えっと、その翡翠さんと私が、ザックス王国の言葉で話してたっていうのは、ホント? ホントに翡翠さんは、私の国の言葉で返事してたの?」
「えっ?……ええ、はい。わたしには、そんなふうに聞こえましたけど……。この国の言葉じゃありませんでしたし、そうなのかなって」
「そっか。萌黄ちゃんにはそう聞こえたんだ? じゃあ、やっぱり……」
やっぱり、翡翠さんはカイルだ。
人違いなんかじゃない。絶対にカイルだ。
気軽に他国になんて行けない、この世界で。
ザックス王国の言葉を蘇芳国で話せる人なんて、そう多くはいないはずだもの。
……きっと今のカイルには、他人を装わなきゃいけない訳があるんだ。
私にも話せないような、何か深刻な訳が――……。
それなら私も、彼が打ち明けてくれるまで、知らないフリをしておこう。
彼は絶対、カイルに決まってるけど。
彼じゃないんだって……今だけは、思っているフリをしよう。
少しの間、〝他人ごっこ〟をするだけって思えばいいんだ。
ほんの少し、ガマンすればいいだけのこと。
騙されたフリ、彼だって気付かないフリをしていれば、そのうちに。
きっとカイルの方から、そうしなければいけなかった訳を、話してくれるはず。
……私はただ、その時を待っていればいいんだ。
ムリヤリにでも思い込むと、ちょこっとだけだけど、気持ちが楽になった気がする。
私は萌黄ちゃんに気付かれぬよう深呼吸すると。
心の内で、〝他人ごっこ〟のスタートボタンを押した。
「えっとね、彼は知り合いってわけじゃないの。知り合いにすごくよく似てたから、一瞬、勘違いしちゃったけど。話してみたら、すぐに別人ってことがわかったんだ」
エヘヘと笑って、自分の思い違いだったんだと説明する。
すると萌黄ちゃんも、ホッとしたような笑顔を見せた。
「そうだったんですか。お知り合いに似ていただけ……」
「うん、そう。ホントにすごく似てたから、めちゃくちゃビックリしちゃったんだけどね」
そう言って、ヘラヘラ笑いを浮かべながらも。
萌黄ちゃんに嘘をついているんだと思うと、チクチクと胸が痛んだ。
……でも、大丈夫。これは嘘じゃない。
ごっこ遊びなんだからと、必死に自分に言い聞かせる。
辛いのは今だけ。
待っていれば、きっと彼が、真実を話してくれるはずだから――。
「ねえ、萌黄ちゃん。翡翠……さんって、どういう人なの? 藤華さんが『わたくしの従者』て言ってたけど、あれは萌黄ちゃんだけのことじゃなくて、やっぱり、彼も……?」
胸の痛みに気付かぬふりをして、カイルのことを訊ねてみる。
萌黄ちゃんは私の目をまっすぐ見つめ、コクリとうなずいた。
「はい、そうです。ヒスイは、藤華様の従者のうちの一人です。主なお役目は、藤華様を危険からお守りすること。藤華様をおまもりしている人間は二人いるんですけど、その一人がヒスイで、もう一人は、リナリア姫殿下もご存知の、雪緋。今はこの二人が、藤華様をおまもりしています」
「そっか、雪緋さんも……」
おまもり……。つまり、ボディガードってこと?
雪緋さんは紫黒帝だけじゃなく、藤華さんも護ってるってことか……。
まあ、護るって言っても、普段から頻繁に、危険なことがあるわけじゃないんだろうけど。
それでもやっぱり、体を張らなきゃいけない、大変な仕事ではあるよね。
「……あれ? でも藤華さんには、男の人を近付けちゃいけないんじゃなかったっけ? 私の護衛――イサークって言うんだけど、確か彼が、そんなようなことを言われたって……」
……言ってたよね?
だからイサークも先生も、私とは離れた部屋に案内されたんだし――。
ふと浮かんだ私の疑問に、萌黄ちゃんはスラスラと答えてくれた。
「あの二人だけは、特別なんです。藤華様が帝にお願いして、特別な許可をいただいているので、藤華様へのお側仕えも、御殿への出入りも、他の男性と違って可能となっています。……あ。もちろん、お部屋への出入りともなると、藤華様にその都度お許しをいただけなければできませんけど」
「へえ~、そうなんだぁ……。じゃあやっぱり、私の従者である二人は、こっちには来られないのか」
今、さらっと、『私の従者』とかって言っちゃったけど。
先生が耳にしたら、『私は、いつから君の従者になったんだ?』なーんて言われちゃいそう。
イサークにも、『俺は、あんたの従者になった覚えはねえ!』とかって、キレられちゃいそうだし……。
「ま、まあいっか。ここに二人は来られないんだし。聞かれる心配は皆無だもんね」
ひとりごとを言って、アハハと笑ったら。
萌黄ちゃんが『何なのこの人? 急に笑い出したりして』とでも言いたげな、ものすごく苦々しい顔をしてこちらを窺っていた。