怒りの紫黒帝
現実の紫黒帝は、私の中の〝紫黒帝像〟を、ものの見事にぶち壊してくれた。
まずは年齢だ。
お母様の弟に当たる人だって聞いていたから、三十歳くらいかなと思っていたんだけど。
見た感じでは、二十代半ばくらい?
……ううん。
二十一、二歳って言ってもおかしくないくらい、若く見えた。
しかも、なかなかの美形。
純和風の顔立ちで、白い肌、切れ長の美しい目が、上品な色気を感じさせる。
蘇芳国の人々は、向こうの世界の日本人とよく似ていて。
黄色み掛かった肌色に、黒っぽい目、黒っぽい髪色をしている人がほとんどだ。
だから当然、紫黒帝の目も、髪も黒。ツヤのある漆黒って感じ。
私の目と髪は、彼ほどではないにしても、やっぱり黒だから……。
単純かもしれないけど、たちまち親近感を抱いてしまった。
紫黒帝も、そこは同じだったようで。
私を腕の中から解放し、真っ先に発した言葉は、
「豊かで艶のある黒髪。吸い込まれそうな黒曜石の瞳……。ああ、見れば見るほど姉上に瓜二つだ!……姉上。お懐かしや、姉上!」
……だった。
紫黒帝の瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。
きっと、お母様のことを思い出していたんだろう。
彼のお母様に対する想いは、本物なんだなってことがひしひしと感じられて、なんだか、もらい泣きしそうになった。
でも、更にその後。
紫黒帝は、思い出したくないことまで、同時に思い出してしまったようで。
とつじょ、顔色と目つきをガラリと変え、
「おのれクロヴィス! 姉上が病弱でいらっしゃることを知りながら、遠い異国に連れ去るなど……。どう考えても、鬼の所業としか思えぬ! あやつめがさらったりなどしなければ、姉上がみまかられることなどなかったやもしれぬのに……。ええい、思い返すも忌々しい! 朕はあの男を永久に許さぬ! 許してなるものか!」
ワナワナと震えながら、お父様に対する恨み言を、延々と吐き出していた。
(あー……なるほど。さっき言ってた『憎きクロヴィス』ってのは、そーゆー遺恨があったからなのね。まあ、彼の立場からすれば、そう思っちゃうのも仕方ないのかもしれないけど。お父様の娘でもある私からしたら、複雑な心境だわ。……ええっと、でも……お母様似で、ほんっとによかったぁ~~~)
もし、お父様の方に似ていたとしたら。
今日のこの対応も、まるっきり違うものになってたかもしれないもんね。
……フゥ。危なかった。
命拾いしたわ。
お父様には申し訳なく思ったけど。
私がホッと胸を撫で下ろしていると、再びガシッと肩をつかまれ、
「長旅、さぞ疲れたであろうな。神結儀まで、まだ数日あることであるし、それまでゆるりとしておればよい。用のある場合は誰か使わ――……おお、そうだ! 後ほど侍女を使わそう。身の回りの世話をする者は、一人でも多いに越したことはあるまい? わからぬことや、してほしいことなどがあれば、すべてその者に任せればよい。遠慮なく、申し付けてやってくれ」
優しい笑みを浮かべながら、紫黒帝はそんな申し出をしてきた。
「え? 侍女って……。ええ、と……。そんなに気を使っていただかなくても、大丈夫ですよ? 自分のことは自分でできますし――」
「なに? 侍女はいらぬ? 自分のことは、自分で……?」
瞬間、紫黒帝の顔色が変わった。
彼は『信じられない』とでも言いたげに、ヨロヨロと後ずさる。
「ザックス王国の姫君が、侍女はいらぬと申すのか?……もしや、ただの一人も侍女を連れて参らなかったと……そう申すのではあるまいな!?」
胸元で握られた手が、かすかに震えていた。
私は『え? そんなに驚くようなこと言った?』なんて不思議に思いながら、コクリとうなずく。
「ええ、はい。国から一緒に来てもらったのは、後ろにいる二人だけです……けど?」
「なんと! たった二人!? あのような遠い国から、はるばる海を越えて……供もろくに連れずに、この国まで参ったと申すのか!?」
「え?……まあ、はい……。そういうことに、なります……ね」
「おお……、信じられぬ! 時期国主になるやもしれぬ娘に、たった二名の供しかつけぬとは……。いったい、何を考えておるのだクロヴィスは!?」
紫黒帝は、そうとう頭にきているらしい。
胸元に置かれた手の震えが、いっそう大きくなった。
「えっ? いえ、あの――。お、お父様は関係ありません! 私が悪いんです! セバスチャ――っ、……じいやにも少なすぎるって言われたのに、私が二人だけで充分って言ったから――っ」
私の甘い判断のせいで、お父様を悪く思われては堪らない。
焦りまくり、事情を説明しようとしたとたん、紫黒帝はキッと私をにらみ据えた。
「――であったとしても! 娘の至らぬ決断を許したのは、国主であるクロヴィスであろう!? あの者が許さなければ、リナリアがこの国に渡ることなど、できぬであろうが!」
「え……。え、と……。それは、あの……そう、かも……しれないです、けど……」
困り果て、途切れ途切れの返答になってしまっている私を前に。
紫黒帝は、今度は顔を真っ赤にして怒っている。
青くなったり赤くなったり、忙しい人だな……と思いながら。
そうさせているのは他でもない、私自身なんだとすぐさま反省し、シュンと体を丸めた。
結局、その後数分間、お父様に対する怒りをぶちまけ続けた紫黒帝は、
「この怒りは、存分に書状にしたためる! もう下がってよいぞ!」
などと言い捨て、部屋から出て行ってしまった。
彼の後ろ姿を見送りながら、
「紫黒帝って……ホントにお父様のこと、嫌ってるんだ……?」
ちょっぴりショックを受けつつ、私はポツリとつぶやいた。




