最初で最後の……
「リア……」
泣きじゃくる私の頭に、ギルがぎこちなく手を置いて、何度も優しく撫でてくれる。
温かい、大きな手で。
何度も、何度も……子供をあやすみたいに。
私……ギルに頭撫でてもらうの、嫌いじゃなかった。
ううん。
『子供じゃないんだから』なんて、怒ってみせたりしたけど……ホントは、すごく嬉しかった。
とっさに、『やめて』なんて言っちゃったこともあったけど。
あれは、ただの照れ隠しだったの。
ホントは……ホントはね?
もっと、こうしていて欲しかった。
小さい頃、向こうの世界の――桜さんのお父さんが、してくれていたみたいに。
あなたの手は、お父さんみたいに大きくて、温かくて……。
この世界に来たばかりの頃、心の底では不安ばかり抱えていた私にとって、救いにすら思えた。
いつも、すごくホッとして……そのまま、全部ゆだねてしまいたくなるほど、あなたは心の支えだった。
……好き、だったのに……。
なのに、今日……私はこの手を失うんだ。
優しい、温かい――この大きな手を、永遠に失ってしまうんだ。
今日を境に、彼から頭を撫でてもらうことは、もう、二度とない――。
そう思ったら、寂しくて。
どうしても、泣き止むことが出来なくて。
私はただ、みっともなく泣き続けた。
泣いて泣いて。
目元がヒリヒリするくらい、泣いて。
ようやく、落ち着きを取り戻した頃。
頭上で、ギルが私を呼ぶ声が聞こえた。
「……え?」
反射的に顔を上げた私の唇に、彼の唇が重なった。
「――っ!」
驚いて目を見開きはしたけど、私は拒めなかった。
ううん、違う。……拒まなかった。
これが最後だって、わかっていたから。
最初で最後の、唇へのキスだって。
心に決めて、彼は私にキスしたんだって……何故か、強く感じられたから。
カイルに悪いと思いながらも。
私は身動きひとつせず、ギルの想いを唇で受け止めていた。
ファーストキスじゃない――ってことで、どこか、心の余裕があったのかも知れない。
〝カイルとファーストキスを済ませてる〟という安心感が、一度だけなら……っていう甘えた気持ちを、私に抱かせたんだと思う。
それに……。
ギルからは、大きな悲しみや苦しみ、絶望、混乱、嘆き。そんな負の感情しか伝わって来なくて、怖くて、動けなかった――ってこともある。
どうしてだかわからないけど。
彼が、何かに怯えているように思えて。
震えてる、小さな男の子みたいに思えて。
とてもじゃないけど、『突き放す』なんて選択は出来なかった。
ねえ、ギル……何をそんなに怯えてるの?
この、まぶたの裏に映る――震えてる、小さな男の子は……誰?
この子は……。
ねえ、ギル。
この子は、もしかして――……。
唇が離れた感覚で、私はそっと目を開いた。
すぐ前にあるギルの顔を、ぼんやりと見つめていると、彼は寂しそうに微笑して、
「どうやら、もうひとつの約束は……守ってはくれなかったようだね」
責めているような口調ではなかったけど、そんな言葉を漏らした。
「……約、束……?」
口にした瞬間。
あの夜――別れの夜の、ギルの言葉が脳裏をよぎる。
私はハッと目を見開き、片手で口元を押さえた。
「思い出してくれたかい?」
穏やかな声で訊いた後、ギルは寂しげな微笑を浮かべる。
「君が、『王子』ではなく、自然に『ギル』と呼んでいてくれたから……。きっと、もうひとつの約束も守ってくれているのだろうと、勝手に期待してしまっていた。だが……どうやら、思い違いだったようだね」
「……あ……」
そうだ。ギルとの約束――。
私、彼と約束してたんだ。
ギルが国に戻る日の前日。
別れの夜に、あの塔で……。
『唇は……誰にも触れさせないで欲しい』
ギルはそう言って……私もうなずいて。
なのに私は……。
私は約束を破って、カイルと……。
「そんな顔をしなくていい。君を責めているわけではないんだ。ただ……君の心はカイルのものだと言うのなら、せめて、初めてのキスは私と――……などと、淡い期待を抱いてしまっていただけだよ。……それすらも手遅れだったとは、予想もしていなかったが」
自嘲するようにフッと笑うと、ギルは私から目をそらし、
「控えめに見えて、カイルもなかなかやるね。私は少し、彼を甘く見過ぎていたようだ」
『それが私の敗因かな』と、彼はまた、寂しそうに笑った。
……その笑顔が切なくて。
いけないと思いながらも、私の両目からは、再び、涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。
「リア……泣かないで。君が泣く必要はない。君が悪いわけではないんだ。他の誰かが悪いわけでもない。誰も悪くないんだよ。……それはわかっている。わかってはいるが、それでも、どうしても――」
指先で私の涙をぬぐってくれながら、ギルはぽつりとつぶやく。
「君を諦められそうにない。……それだけだ」
「ギ……ル……」
涙で視界がぼやけて。
彼が今、どんな表情をしてるのかさえ、わからなかった。
締め付けられるように痛む胸を押さえながら、私はただただ泣き続けた。
彼は、そんな私の頬に手を当てて、
「リア。最後にひとつだけ、私の願いを聞いてくれないか?……あと一度。たった一度だけでいい。君を抱き締めさせて欲しい。……ダメかい?」
最後と言われて……一度だけと言われて、断われるはずもなかった。
涙でいっぱいの両目を閉じ、私は無言のままうなずいた。