拝謁途上の物思い
「リナリア姫殿下。お待たせいたしました。お迎えする準備が整いましたので、帝の御元へ参りましょう」
部屋でまったりしていると。
御所に着いた時、この部屋まで案内してくれた役人さんに、引き戸の向こうから声を掛けられた。
私は『はいっ』と返事をし、素早く身だしなみを整えてから、引き戸を開けた。
役人さんは深々と一礼した後、私に『こちらです』と言っているかのように、先に立って歩き出す。
無言でついて行きながら、私はふと、表へと目をやった。
帝の住む御所は、四方を高い壁で囲われている。
敷地内には池があり、その周囲には、松のような、日本庭園でよく見掛けるような樹木が、景観良く植えられていた。
(こーゆーところは、あっちの世界の日本に似てるよね。蘇芳国って、やっぱり文化とかも、日本に近いものがあるのかな? 何故か私には、言葉もそのまんま通じるし……)
そのことに思い至った瞬間。
蘇芳国に到着した直後に起こった出来事が、私の脳裏をよぎった。
私を抱えたまま、迎えの舟に飛び降りた雪緋さんだったんだけど。
どうやらその行動が、迎えの役人さん達の不興を買ってしまったようで。
彼はたちまち役人さん達に取り囲まれ、しばらくの間、汚い言葉でののしられていた。
その言葉の中には、『異形の化け物』とか『役立たずのでくのぼう』とか、聞くに耐えないものがあって。
私はついカーッとなり、
「やめてください! 雪緋さんは、はしごの前でためらっていた私を見かねて、最善の方法で下船させてくれただけじゃないですか! なのにどうして、そんなひどいこと言うの!?」
なーんて、抗議してしまったんだよね。
役人さん達はギョッとしたように私を振り返り、青い顔で固まってしまって……。
私は『ヤバっ』と口元を両手で押さえ、恐る恐る先生の様子を窺った。
でも、
『きっと、ものすごく冷たい視線を送られてるに違いない』
っていう私の予想は、大きく外れた。
先生は、役人さん達以上に驚いているように見えた。
まるで、信じられないものを前にした時のような、驚愕と困惑と、ほんの少しの恐怖すら、読み取れるような顔つきで。
「え?……先、生……?」
思い掛けない反応に、困惑して呼び掛けると。
先生はハッと息をのみ、横を向いて、ごまかすように何度か咳払いしてから、改めて私に向き直った。
「すまない。まさか君が、蘇芳国の言語を正しく聞き取り、あそこまで流暢に話してみせるとは、思ってもいなかったものでな。……いや、まったく。驚いた」
「……へ? 蘇芳国の言語? りゅーちょー……って?」
口に出してから、私もようやく気が付いた。
そーだ!
私ってば、普段はザックス王国の言葉を話してるはずなのに。
今、何故だかすんなりと、この国の言葉わかっちゃってたよね?
ついでに、思いっきり話しちゃってたよね?
……え、なんで?
蘇芳国のを言葉なんて習ってもいないのに、どーしてあんなにハッキリと聞き取れたの? 話せたの?
……この国の血が、半分流れてるから?
いやいや。
いくらなんでも、それだけで話せたりはしないよね?
小さな頃から耳にしてたとか、教わってたりでもしなきゃ、絶対ムリだよね?
なのに……。
なのになんで?
「あ、そっか! もしかして、日本語に似てるのかな?」
それに思い至ったとたん、私は大きくうなずいた。
うん、それならわかる。
あっちの世界にいた時、私は日本語を話してたんだもんね。
こっちの世界に戻ってきた時は、何故か自然と、ザックスの言葉を話してたみたいだけど。
あれはきっと、神様の何らかの力が働いてたから……なんだよね?
神様の気まぐれで、桜さんをザックスに、私を日本に送っちゃったから。
そのお詫びとして、私と桜さんが、元の世界に戻っても普通に暮らせるようにって、気を使っ……て……。
うん。……たぶん。
たぶん、そーゆーことだと思うんだけど……。
神様が向こうの世界に行ってしまった今、確かめるすべはないからなぁ。
う~ん……。
でも、やっぱりそうとしか思えないし……。
腕を組んで考え込んでいると、先生が眉間にシワを寄せ、
「ニホン語?……いったい、君は何の話をしているんだ?」
なんて訊いてきたので、私はギクリとし、慌ててしつこいくらい首を振った。
「い――っ、いぃえええっ? な、なんでもありません! なんでもっ!」
先生は眉間のシワを深くし、怪しむようにじぃっと見ていたけれど。
引きつり笑いで沈黙を貫くことで、私はどうにか、先生の追求をかわすことに成功した。
その後、先生も蘇芳国の言語をマスターしていることを知らされ、相変わらずの博識に舌を巻いた。
しかも、本格的に勉強を始めたのは、蘇芳国に行くことが決まった日から、だったそうだ。
私が蘇芳国に行くことが決まったのは、確か、三月の初旬だか、半ば頃だった。
先生がお父様にお願いして、私に同行するお許しをいただいたのが、それよりちょっと後だから……。
つまり先生は、たった十数日で、蘇芳国の言葉をマスターしたってことになる。
……信じられない。
いくら先生が、〝ザックス王国の叡智〟とたたえられるほど、ものすごく頭の良い人だったとしても。
それでもまだ、信じられない。
だって、いくらなんでも。
そんなに短い期間で、語学習得しちゃう人なんている?
ううん、いない。いないはずよ!
先生はずーーーと昔から、蘇芳国に憧れていたんだもの。
きっと、いつか行ける日が来ることを信じて、以前からコツコツと勉強してんだわ!
そーよ、きっとそうに決まってる!
今更ながら思い返し、私はうんうんと大きくうなずいた。
とにかく、そういうわけで。
ザックス王国一行の中で、蘇芳国の言葉を聞き取ることも、話すこともできないのは、イサークだけってことになる。
つまり、彼が蘇芳国の中でコミュニケーションを取れるのは、ザックス王国の言葉を話せる雪緋さん(使者に決まった時、死ぬ気で勉強したそうだ)と。
今、前を歩いている役人さん(どうやら、通訳も兼ねている人らしい)しかいないってこと。
(イサークだって、この国の言葉さえ理解できてたら、雪緋さんが一方的に責められてた時、私と同じことをしてたと思うのになぁ……。彼、誰よりもケンカっ早いし、あー見えて意外と、正義の味方っぽいもんね。……けど、あの時の迎えの役人さん達、いきなり私に抗議されて、めちゃくちゃビックリしてたなぁ。私には理解できないだろうと思って、あんなひどい言葉を使ってたんだろうけど……。フフっ。ちょっと『ザマーミロ』って感じ)
役人さん達のマヌケ顔――……もとい、ギョッとした顔を思い返し。
私は口元に片手を当て、ペロリと舌を出した。
今の私をセバスチャンが見たら、
「ザックス王国の姫君ともあろうお方が、そのような下品な振る舞いをなさるとは……! ああ、なんと嘆かわしい! じいは悲しゅうございますぞー!」
なーんて言って大騒ぎして、メソメソ泣き出しちゃってたかもしれないなぁ。
……ごめんねセバスチャン。
いつまで経っても、姫らしくなれなくて。
でも……雪緋さんがひどいこと言われてるの、黙って見てられなかったんだもん。
姫としては失格だろうし、『ザマーミロ』なんて思って舌を出すのは……まあ、下品のうちに入っちゃうんだろうけど。
大切な人が、ひどいこと言われてたんだよ?
それに対して抗議することは……べつに、間違ったことじゃないでしょ?
私はセバスチャンの顔を思い浮かべ、フッと口元に笑みを浮かべた。