船旅最終日-蘇芳国到着直前
「着いた!? 着いたって、蘇芳国に!?」
その日の早朝。
いつもより少し早い時刻に、イサークがドアをノックして、船の到着を知らせてくれた。
「聞き間違えてんじゃねーよ。もうちょいで着くらしい、って言ったんだ。確か、あと数十分ほどは掛かんじゃねーかって話だったが……。ま、下船の準備くれーは、今からしといた方がいーんじゃねーか?」
「そ、そっか。……うん、わかった! なるべく早く準備するから、ちょっと待ってて!?」
私は慌てて回れ右して、チェストからタオルと着替えを取り出し、バスルームへと駆け込んだ。
明日中には着くらしいと、前日に聞かされていたから、下船の準備はほとんど済んでいる。
でも、どうやら蘇芳国には、普通のお風呂みたいなものは、まだ存在していないらしくて……。
それぞれの国の事情なんだから、仕方ないとは思うけど。
何日もお風呂に入れない状態が続くなんて、私には絶対耐えられない!
次、いつ入れるかわからないのなら、せめて、今入っておかなきゃ――って考えに達するのは、当然の流れでしょ!
私は素早くネグリジェを脱ぎ捨て、気合を入れてシャワーの蛇口をひねった。
シャワーを浴びた後、用意して来たドレスに、袖を通そうとしていた私は。
ふと思い立ち、紫黒帝から贈られたドレスに、着替え直すことに決めた。
これは『神結儀』用のドレスだってことは、わかっていたんだけど。
紫黒帝に、『とっても気に入りました。ありがとうございます』ってことを、何より先に伝えたかった。
だったら、直接着てしまった方が、より気持ちが伝わりやすいんじゃない? って思ったんだ。
着方は、事前に雪緋さんから、口頭で教わっていた。
難しかったらどうしようと心配だったけど、日本の着物を着付ける時より、よほど簡単だった。
ただ、困ったのは髪型。
この服に合う、和風の髪飾りなんて持ってないし、髪結いの仕方までは教わっていない。
いつも髪なんて結ってないから、このままでいいかなとも思ったんだけど。
和風のドレスには、結った髪型の方が、合うような気がするんだよね。
「う~ん……。でも、無理なものは無理なんだから、諦めるしかないか」
つぶやいた後、私は部屋を見回して、忘れ物がないことを確認すると、ドアを大きく開け放った。
「お待たせ、イサーク! 準備完了したよ!」
外で待機していてくれたはずのイサークに、そう声を掛けると。
彼はビックリしたように目を見張り、私を凝視したまま固まってしまった。
……あれ?
ドア開けるの、いきなり過ぎたかな?
開ける前に、一声掛けるべきだった?
ピクリとも動かないイサークに、私は焦って呼び掛けた。
「ごめんね! 突然ドア開けたから、ビックリしちゃった?」
彼は微動だにせず、瞬きすら忘れたように、食い入るように私を見つめている。
「イサーク?……あの……大丈夫?」
心配になって、彼の上着の裾をつまみ、ツンツンと引っ張ってみた。
瞬間、彼の体はビクッと揺れて。
二回ほど瞬きした後、今初めて、私の存在を認識したかのように、
「あ――。ひ、姫さん……か?」
少し首をひねりながら、自信なさげにつぶやいた。
「どーしたの? 急にドア開けたから、ビックリさせちゃったのかと思ったけど……。でも、さっきまでの様子だと、驚いたのはそこ……って感じでもなかったよね?」
「え……?……あ、ああ、まあ……な。ドアに驚いたってワケじゃねえよ」
「――だよね? だったら、何に驚いてたの?」
「う――っ!……い、いやっ。そりゃ、だから――っ」
「うん。だから?」
訊ねる私から目をそらし、イサークは落ち着かない様子で、視線をあちこちさまよわせている。
「……あんたが、その……」
「え、私が?」
「あ、あんたが……だからっ、すげえき――っ」
「……すげえき?」
彼の口から発せられた言葉に、思わずキョトンとなる。
いったい、どんな意味なんだろう?
『すげえき』なんて言葉、初めて聞いたけど……。
首をかしげる私に気付き、彼はハッとしたように片手で口元を覆うと、私をチラッと盗み見た。
「そっ、そんなことより! 荷造りはとっくに済んでんだろっ? 乗船の時も、俺とウサ――っ、雪緋が持たされたんだから、下船の時だって、とーぜん俺らが持たされんだよな?……おらっ。持ってやるから、とっとと荷物をよこしやがれ! どこにあんだ!?」
早口でまくしたてながら、イサークは私の横をすり抜け、部屋に入って来た。
キョロキョロと周囲を見回しつつ、『早く渡せ』と急かすかのように、両手を私に向かって差し出す。
「荷物なら、ドアの横にあるけど……。でも、ねえ? 『すげえき』って何? 私が『すげえき』って、どーゆーこと?」
「――っ!……な、なんでもねーよっ! んなことより、荷物だ荷物!……っと、これだなっ?」
イサークは私の荷物(ちなみに、スーツケース三つ分くらいの量)を軽々と持ち上げ、右肩に担ぎ上げると、
「よーっし! まずはデッキに運ぶとすっかー! おーら! どんどん運ぶぞーっ!」
大声を張り上げながら、ものすごいスピードで、デッキ目指して歩いて行ってしまった。
「えっ?――ちょ、ちょっとイサークっ?」
その場に取り残され、彼の後姿を、呆然と見つめることしか出来なかった私は。
その背すら見えなくなってから、
「……もう! なんなのよ、いったい?」
ムッとしながらつぶやき、口をへの字にして腕を組んだ。