船旅二十七日目-挙動不審な護衛
先生と雪緋さんが部屋を出て行ってから、およそ数分後。
再びノックの音がして、誰だろうと思って返事をしたら、イサークだった。
「どーしたの、イサーク? 何かあった?」
ドアを開けて訊ねると、イサークはパッと目をそらし、
「い、いや……。さっき、ウサギ男が言ってたことなんだが……。あ~……。え~……っと、その……」
彼らしくなく、何やらモゴモゴ言っている。
私はポカンとした後、
「ウサギ男、って……。もしかして、雪緋さんのことを言ってるの?」
何だかちょっとムカッとしながら訊ねてみた。
イサークはキョトンとした顔つきで、
「あ?……あ、ああ。そうだ。アイツ以外にいねーだろ」
なんて、あっさりと肯定して来て、更にムカムカッとしてしまった。
「もうっ、イサークったら! いくらなんでも、その呼び方はないよ! ウサギさんなら可愛いけど、後に『男』なんて付けたら、すっごくバカにしてる感じがする! 雪緋さんには、ちゃんと素敵な名前があるんだから、変な呼び方しないでくれる?」
一応、お願いしてみたけど。
考えてみれば、先生のことも『毒舌陰険男』だの『冷血嫌味眼鏡』だの『冷酷陰険眼鏡』だのと、その時の気分で、彼は好きなように呼んでいる。
ここで雪緋さんの呼び方だけに意見しても、聞いてもらえるかどうか――……。
……って、あれ?
先生の呼び方は、思いっきりスルーして来たのに。
どうして雪緋さんの呼び方だけ、注意しようとしてるんだろう、私?
……んん?
……む、むむぅ~……。
た――っ、確かに、雪緋さんの呼び方だけ注意するって言うのは、不公平かもしれないけど!
でも……っ、せ、先生は、そんなの全く気にしないタイプの人っぽい――ってゆーか、何事にも動じない人だし!
誰にどー呼ばれよーが、これっぽっちも気にしないだろーし、傷付いたりもしないと思うんだよねっ。
でも、雪緋さんはすっごく繊細っぽいし、泣き虫だし。
たぶん、そーゆーの、メチャメチャ気にしちゃう人だと思うから――。
だから、えーっと……そのぉ……。
やっぱり、雪緋さんの呼び方だけは、ちゃんと気を遣ってあげてほしい――ってゆーかっ!
「ああ、わかった。じゃあ、雪緋――って呼べばいいんだな?」
「……へっ?」
「だから、雪緋って呼べばいいんだろ?」
「え……あ、う……うん。雪緋さんが、それでいいなら……いいんじゃない、かな?」
「そうか。じゃあ、後で本人に確認してみる」
「う……ん。……じゃあ、そーゆーことで、その……。よ、よろしく」
意外にも、彼はこちらの要望を、すんなりと聞き入れた。
いつもなら、もっと突っ掛かって来てるところなのに……。
驚いて、マジマジと見つめてしまっていたら。
彼はほんのり頬なんか染めながら、軽くにらんで来た。
「な、なんだよ? 雪緋って呼べばいーんだろ? まだ文句あんのか?」
「……ううん。文句なんてないけど。イサークが、妙に素直だから」
「う――っ!……な、なんだよ? 俺が素直じゃ悪いってーのか!?」
「悪くないよ? 悪くなんてないけど、今日のイサーク、なんだかいつもと違うなぁって、不思議に思ってるだけ」
素直に思ったことを告げると、彼は気まずそうに顔を背けた。
そして少しの沈黙の後、再びこちらに顔を向けて。
「べっ、べつに、俺はいつもと変わんねーよ! ただ、今日はあんたの誕生日だって、さっきウサギお――っ、……いや。雪緋が言ってたから、そんな日くれーは、嫌な思いさせねーでやろーって思っただけだ! だっ、だからっ! 俺はちっとも変じゃねーし、あんたのことなんざ、これっぽっちも気にしてなんかいねーんだからなっ? 今日だけ――っ、今日だけのことなんだから、勘違いすんじゃねーぞっ!? わかったなっ!? わかったらさっさと寝ちまえっ!!」
一方的にまくし立てた後、彼は乱暴にドアを閉めた。
私はあっけにとられながら、閉じたドアの前で、しばらく立ち尽くしていたんだけど。
ふと我に返り、
(『さっさと寝ちまえ』って言われても……。まだ夕食済んだばかりだし、寝るには早過ぎる時間……だよね?)
ひたすら首をかしげつつ、私は、『今日のイサークは、やっぱり変』と結論付けた。