船旅二十一日目-先生の特別講義・1
先生の思いつきで、急遽、『特別講義』とやらを受けることになってしまった私は。
慌てて身支度を整え(もちろん、その間はみんな、部屋から出ていてくれた)、ベッド脇にある、円形テーブル備え付けの椅子を引いて腰掛けた。
朝食の時間まで、まだ一時間くらいある。
その間、暇と言えば暇なんだけど……。
雪緋さんに驚かされたせいで、今朝は、予定よりかなり早く起きちゃったし。
すっごく眠いから、講義を受けている間、何かやらかしやしないかと、私は妙に落ち着かなかった。
でも、まさか。
先生に『講義を行う』と言われて、『嫌です』なんて、返せるワケもない。
私はソワソワしながらも、大人しく先生の講義が始まるのを待った。
イサークも雪緋さんも、早々に出て行ってしまったから、部屋にいるのは私と先生だけ。(イサークは、いつものように外で見張り。雪緋さんは、他に用事があるんだそうだ)
これまでだって、講義は受けていたんだから、特別なことではないはずなのに。
何故だか、先生の様子が普段と違うように感じられ、いつも以上に緊張した。
どうしてそんな風に感じるんだか、自分でも、よくわからないんだけど……。
どことなく、気持ちが沈んでるっていうか、迷ってるっていうか。
今の先生からは、そんな印象を受けるんだよね。
……まあ、私の思い違いかもだけど。
「講義をする前に、ひとつ訊いておきたい。君は、『神の恩恵を受けし者』について、どれだけのことを知っている?」
「……へっ? 『神の恩恵を受けし者』について……ですか?」
先生がいつもと違って見える理由を、つらつらと考えていたら、反応が少し遅れてしまった。
だけど先生は、そんなことは一切気にする様子もなく、同じ質問を繰り返した。
「そうだ。君は、『神の恩恵を受けし者』について、どれだけのことを知っているんだ?」
「えぇ……っと……。どれだけって、べつに。そんなに詳しくはないですけど」
セバスチャンが、ああ見えて百歳超えてるとか。
『神の恩恵を受けし者』になるための条件は、百年以上長生きすることなんじゃないかって、思われてること……とか?
うん。その程度だよね。
大したことは知らないかも。
「では、これは知っているか? 『神の恩恵を受けし者』は、大きく分けて、三種に分類出来る」
「三種?……いえ。知りません」
「では、彼らの祖、『孤高の王』については?」
「ここうの……って、ああ。そー言えばさっき、雪緋さんの話聞いてる時に、先生がちらっと言ってましたね。……いえ。全然」
「では、彼らの能力については?」
「能……力? 能力って……えっと、何か、すごい力でも持ってるんですか?」
セバスチャンを見る限りでは、特別すごい能力を持ってるって風には思えないけど。
確か、お仲間さんを、即座に味方にすることが出来て、命令も出来る……ってくらい?(それだけでも結構すごいか)
あ。でも、そっか。
ウォルフさんなら持ってそう。
……うん。
なんか色々持ってそうだわ、彼なら。
「ふぅ……。君の無知は今に始まったことではないが……。執事のセバスは、『神の恩恵を受けし者』だろう。彼について、何も知らないに等しいというのは、いささか薄情ではないか? 今まで一度も、詳しく知りたいと思ったことはなかったのか?」
深いため息をついた後。
先生は腕を組み、呆れたように私を見つめた。
先生に言われて初めて、そのことを疑問に思った。
どうして私は、今までセバスチャンのことについて――神の恩恵を受けし者について、もっと知ろうとは思わなかったんだろう? って。
一番身近な、セバスチャンのことなのに。
この世界に戻って来てから、ずっと側にいてくれた――セバスチャンのことなのに。
どうして?
どうして私は――……。
「ああ……そっか」
セバスチャンが〝神の恩恵を受けし者〟だろうと、〝動物〟だろうと、〝人間〟だろうと。
〝どうでもいい〟ことだからだ。
だって、セバスチャンはセバスチャン。
私の大切な、セバスチャンだもの。
彼が、三種いるっていう『神の恩恵を受けし者』の、どの種だろうが。
どんな能力を持っていようが、どうだっていい。
だから、今まで気にしたこともなかったし、特別、訊いてみようとも思わなかったんだ。
「なんだ? 何が『ああ、そうか』なんだ? 一人で納得していないで、私にも説明したまえ」
「あ、いえ。神の恩恵を受けし者であろうとなかろうと、セバスチャンはセバスチャンですし。えっと……神の恩恵を受けし者について、私が詳しく知ってたとしても、セバスチャンに対する私の気持ちは、変わらないと思うんです。だから、彼にすごい能力があろうとなかろうと、彼自身が話そうとしない限り、べつに、知る必要もないかなーと思って」
「……なるほど。知る必要はない、か」
一応、相槌を打ってくれたけど。
先生は、私の意見に賛同してくれたわけではないらしかった。
どうして、そう思うかと言うと。
いつも以上に難しい顔をして、黙り込んでしまったから……。
「あの……。先生?」
沈黙が怖くて、恐る恐る呼び掛けてみる。
すると先生は、射るような視線を私に向けて。
「確かに、一生をザックス王国のみで過ごし、諸外国と関わることなく生きて行くと言うのであれば、無知のままでも問題ないかも知れん。しかし、君は将来、国を統治して行く者となるのだ。政治とは無縁の、気楽な村娘などとは違う。神の恩恵を受けし者について、詳しくなろうとなるまいと、君の気持ちに変化がない――と言うのであれば。彼らについての知識を身につけることに、何ら抵抗はないはずだろう?」
「えっ?……え、ええ……まあ……。それは、そうですけど」
「では、知りたまえ。――いや、知っておくべきだ。近親者に『神の恩恵を受けし者』がいる君であれば、尚更な」
「近親者……」
意識したとたん、セバスチャンとウォルフさん、雪緋さんの顔が浮かんだ。
考えてみたら、身近に神の恩恵を受けし者(獣人)が三人もいるというのは、すごいことなのかも知れない。
一国に数名いるかいないかってくらい、彼らは稀少な存在だそうだから。
「わかりました。本人がいないところで、彼らについていろいろ知っちゃうのは、なんだか、悪いような気もしてたんですけど……。でも、身近な存在である彼らのことだからこそ、詳しく知っておくべきなんですよね」
「そうだ。――たとえば、彼らの身に何らかの問題が起こったとしよう。その時、正しい知識さえあれば、力になれることもあるに違いない。だが、ひとつも知識がなかったら? 力になりたくても、対処のしようもないではないか。そうは思わないか?」
「あ……確かに。……ええ、はい。思います」
「うむ。よろしい。それでは、これから私の知る限りのことを、教えてやるとしよう」
満足げにつぶやくと。
先生は、『神の恩恵を受けし者』についての講義を開始した。