船旅二十一日目-救いの手
「え? お母様が雪緋さんを見つけた? それってどーゆーこと?」
うっとりとした顔つきで雪緋さんが語ったことの意味が、よくわからなくて。
私は彼を見つめた後、微かに首をかしげた。
雪緋さんは、落ち着いた様子で微笑を浮かべると、私をじっと見つめ返し、淡々と話し続ける。
「私は生まれた時から、この髪の色に、この瞳の色でしたので、周囲から気味悪がられ、迫害されておりました。父は獣人で――……ああ、リナリア姫様のお国では、『神の恩恵を受けし者』と呼ばれているのでしたね。ですが、私の国では『獣人』とのみ呼ばれております。……父は獣人でしたが、私が生まれた頃には行方知れずで、母だけが唯一の拠り所でした。その母も、私が七つの頃に亡くなり、私は、たった一人になってしまいました。頼るところも、子供を雇ってくれるところもなく、餓えて日に日に弱って行くばかりだった私の元に、ある日、救いの手が差し伸べられました。紅華様からの使いだとおっしゃる方が現れ、やせ細り、動くことも出来なくなっていた私を、紅華様のいらっしゃるところまで、運んでくださったのです。紅華様は、私のことを夢に見たとおっしゃっていました。それから、『名はなんと申す?』とお訊ねになられましたが、私は答えることが出来ませんでした。母の死の衝撃からか、栄養不足が体に悪影響を及ぼしたためなのか、詳しくはわかりませんが、己の名を、すっかり忘れてしまっていたのです。そんな私に、紅華様は、新しい名を与えてくださいました。『安心するがよい。お主はもう、一人ではない。この先一生、我と共にあるのじゃからな』と……生きる希望を、意味を、与えてくださったのです」
雪緋さんは、いつの間にか涙声になっていた。
その日のことを、思い出しているのかもしれない。
とにかく、ほわ~っとした表情で、誰もいない空間を見つめている。
え~っと……。
お母様って、ホントに今……雪緋さんの話に出て来たような話し方、する人だったのかな?
『名はなんと申す?』とか、『我と共にあるのじゃからな』とか……。
……うぅむ。
現代人――しかも、一般人とはかなり違う、独特な話し方をする人だったのね……。
またひとつ、お母様情報が増えたことを嬉しく思う反面。
記憶にないお母様の話を、知り合って間もない雪緋さんの口から聞くというのは、どこか不思議な感覚もして。
私はしばらくの間、しみじみと物思いにふけっていた。
だけど、肝心なことを訊いてなかったことを思い出し、慌てて顔を上げる。
「えっと、雪緋さんが『禁忌の子』って呼ばれる存在で、正体を隠さなきゃいけないってとこまでは、なんとか理解出来たけど……。その『禁忌の子』と満月、そしてウサギの姿ってのは、どんな関係があるの?」
雪緋さんは、ハッとしたようにニ~三度瞬きすると、私に視線を戻した。
「私のような『禁忌の子』が、今までにもいたのかどうかは存じません。いたとしても、その方々が、どのように体を変化させるのか、またはさせないのか、知る由もございませんが……。私の場合は、この髪と瞳の色以外、普段は、人間と全く変わりはございません。ですが、満月の夜にだけ完全体――父の元の姿であったというウサギに、変化してしまうのです。そして夜が明けると、元の姿に戻ります」
「マジか!? てめえみてーな大男が、あんなちっこいウサギに変わっちまうのかよ!?……嘘だろ? 信じらんねーな……」
それまで黙って聞いていたイサークが、耳をつんざくような大声を上げる。
信じられないって、言っていたはずなのに。
すっかり、さっきまでの怪しむような顔つきではなくなっていた。
きっと、彼なりに、雪緋さんを受け入れる準備が出来てきたんだろう。
私はホッとし、ひとまず胸を撫で下ろした。
「信じていただけなくても、仕方のないことだと思います。我が身のことでありながら、未だに慣れないと申しますか……体が変化する瞬間は、妙な感覚がいたしますし」
大きな体を小さく丸めながら、雪緋さんは眉根を寄せつつ微笑む。
「妙な感覚?……あ、そっか。やっぱり、痛かったりするの?」
「はい。多少は」
「そっか……。そーだよね。あんなに小さくなっちゃうんだもんね」
小さな器に、無理矢理大きなものを入れようとしてる時の、大きなものの方の感覚? とでも言ったらいいのか。
うまく説明出来ないけど、痛そうだなぁってことだけは、容易に想像出来る。
その痛みに、ずっと一人で耐えて来たなんて……。
雪緋さんの〝これまで〟を思うと、たまらなく胸が痛んだ。
それと同時に、誰一人として仲間のいない中、歯を食いしばって生きて来た彼が、ヒーローのように感じられもする。
雪緋さんはきっと、強い人だ。
誰よりも強くて、優しい心を持っているに違いない。
……間に合ってよかった。
手遅れになる前に、お母様が彼を見つけてくれて、本当によかった。
私は、誰にも気付かれないように目を閉じて。
亡き母への感謝の言葉を、心でそっとつぶやいた。