船旅二十一日目-ウサギ=???
先生から服を受け取った雪緋さんは、おびえた瞳で見つめ返す。
その様子は、何か問いたげにも見えた。
先生はおもむろに両腕を組み、
「その服は、デッキに落ちていたらしい。先ほど船員が、心当たりはないかと訊ねに来た」
きっと、雪緋さんが訊ねたかったであろう答えを、ため息混じりに告げる。
「はあッ!? デッキだと!?……って、てめえ、変態かよ……。デッキで素っ裸になって、素っ裸のまま、姫さんの部屋に忍び込んだ――ってのか?」
おぞましいものを見るような、イサークの視線に傷付いたのか。
雪緋さんは泣きそうになりながら(実際、涙声になっていた)、再び激しく首を振った。
「違うッ!! 違う違うッ!! 本当に違うんですッ!! 私は、脱ぎたくて脱いだんじゃないッ!! 昨夜が満月だということを、うっかり忘れていてっ、それで――っ!!」
「はあ?」
「満……月?」
同時につぶやいて、私とイサークは、ゆっくりと顔を見合わせた。
満月って……えっと、どーゆーことなんだろ?
なんで満月だと、雪緋さんの服が、デッキに置きっ放しに……?
んで、裸の雪緋さんが、私のベッドに?
どうして満月だと、雪緋さんが(自分の意志ではないっぽいけど)裸になっしまうの?
……ダメだ。
全然わかんない。
「いったいどういうことなんだ? 昨夜、君達の間で何があった? 一から説明してもらえるとありがたいのだが?」
先生は腕を組んだまま、私達一人ひとりを、冷めた目で見回す。
私はすっかり困り果て、ビクビクしながら返答した。
「あのぉ~……。何があったって言われても、私達にも何が何だか……。昨夜は、デッキで白ウサギを見つけ――て……」
あっ!!
そー言えば、ウサギさんはどこ行っちゃったんだろ!?
昨夜は確かに、私の隣でスヤスヤ眠ってた……の、に――……。
瞬間。
ひとつの可能性が、私の脳裏をかすめた。
だけどそれは、あまりにも信じられないようなことだった。
私はしばし呆然とし、雪緋さんの顔を、食い入るように見つめてしまった。
――可能性。
とうてい信じられないような、荒唐無稽な話。
でも、考えれば考えるほど、思い当たるようなことばっかりで……。
もしもそうだったとしたら、全て辻褄が合うって、納得出来るようなことばっかりで。
まさかとは思ったけど。
そんなバカな話、あるワケないとは思ったけど。
「雪緋さん……。もしかして雪緋さんが、昨夜のウサギさん……なの?」
気が付くと、訊ねてしまっていた。
「はあっ!? 何言ってんだ姫さん? この野郎が、昨日のウサギぃ!?」
当然のことながら。
イサークは、変人とすれ違った時のようにビクッと肩を揺らし、すっとんきょうな声を上げた。
わかってる。
私が言ってることが、どれだけ、現実離れしてるかなんて。
私が一番、よくわかってる。
でも……。
でもやっぱり、そうとしか思えない!!
「昨日から、なんとなく感じてた違和感――ってゆーか、ウサギさんの真っ白な毛色と、真っ赤な目を見た時から、ずっと引っ掛かってた『何か』。その正体が、やっとわかった! 雪緋さんの髪の色と瞳の色よ! 雪緋さんの髪も真っ白だし、目だって綺麗な赤だもん。昨日会ったウサギとおんなじでしょっ?」
そして、こつ然と消えたウサギの代わりに、雪緋さんがベッドで寝ていたことと。
デッキに落ちていたという、雪緋さんの服。
私がウサギと出会ったのも、デッキだったし……って、ほーら!
やっぱりそーよ! 雪緋さんがウサギだったのよっ!
どーしてそーなっちゃったかまでは、わからないけど……。
とにかく、雪緋さんは昨日、白ウサギに変身しちゃってたんだわ!!
私は『謎解明』とばかりに大興奮して、雪緋さんは昨日会ったウサギだと主張した。
イサークは、まだ信じられないといった顔つきで、雪緋さんをまじまじと見つめている。
先生はと言うと、いつも通りの冷静さで、沈黙しながら聞いていた。
雪緋さんは? と様子を窺うと。
さっきより、もっとずっと真っ青な顔になって、ブルブルブルブル震えていて……。
「雪緋さん、どーしたのっ? 一段と顔色が悪くなっちゃってるよ!?……私、もしかして……何かマズイこと言っちゃった?」
得意げに自分の考えを披露してみせたまではよかったけど。
そのせいで、雪緋さんを追い詰めちゃったのかなと思ったら、心配で堪らなくなった。
だけど雪緋さんは、ギュッと目をつむり、大きく首を左右に振って。
「い、いいえ! いいえっ! リナリア姫様に、非など一切ございません! 私が――っ!」
雪緋さんは悲しげな顔つきでうつむき、深く、長く、ため息をついた。
「……私がいけないのです。全て、私自身のせいなのです。私が……ついうっかり、満月のことを失念してしまっていたのが、いけないのですから……。どうか、リナリア姫様は、お気になさらないでください」
「雪緋さん……」
そっと手を伸ばし、肩に手を置こうとしたとたん。
彼がまだ、裸のままだったのを思い出す。
私は慌てて目をそらし、早く服を着てくださいと、強くお願いした。