船旅二十日目-萌えの確保
驚いて大声を上げた後、私は慌てて声をひそめた。
「えーっと……あのぉ~……。私に抱っこされるの、そんなにイヤ? 出来れば、ほんのちょっぴり……ちょこーっとだけでもいいから、抱っこさせてもらえるとありがたいんだけど……」
念押しの、両手を合わせた『お願いポーズ』。
ウサギは、キョロキョロと辺りを見回したり、体をあっちこっちに向けてみたりと、落ち着かない様子だったけど。
ふいに、私の方へ向かってピョンと跳び、体を起こして、じーっと何かを訴えるような、澄んだ瞳で見上げて来た。
「……もしかして、『いいよ』って言ってくれてる?」
ウサギは肯定するようにうなずいてくれて、私は嬉しさのあまり、両手を挙げて歓喜の声を挙げた。
「うわーい、やったぁーーーっ!! ありがとぉっ、ウサギさん!!」
了承してもらえたんだから(たぶん)、遠慮はいらないはず。
私はちょっとドキドキしながら、真っ白なウサギに向かって両手を伸ばした。
「じゃ、お言葉に甘えて、抱っこさせてもらうね~? 怖がらなくて大丈夫だよ~?」
ウサギをおびえさせないよう、猫なで声で話し掛ける。
それから胸の下に手を入れ、お尻をそうっとすくい上げるようにして持ち上げると、自分の体に密着させた。
……よかった。
ウサギの中には、抱っこが嫌いな子も多いって、前に、どこかで聞いたことがあったから。
『やっぱりヤダ』って、暴れ出したらどうしようって思ったけど……。
この子は、抱っこが嫌いなわけじゃないみたい。
すごく大人しく、抱っこさせてくれてる。
心からホッとして、頭から背中に掛けて、優しく撫でてみる。
ウサギは気持ちよさそうに目をつむり、鼻をヒクヒクさせた。
「いや~~~っ、可愛い~~~っ。めーっちゃ可愛いよぉ~~~。可愛いしあったかいよぉ。モフモフだよぉ。……ふぁ~~~っ、幸せぇ~~~っ」
一気にへにゃんとなり、私は口元をゆるませて、ウサギの顔に頬ずりする。
すると、
「おい。そこで何してんだ?」
聞き覚えのある声が降って来て、私はだらしなく顔を緩ませたまま、声のした方へ顔を向けた。
「――あ、イサーク。ほらっ、見て見て! 可愛いウサギさんでしょーっ?」
ニコニコ顔で訊ねてみたけど、イサークは、あまり興味がないようだった。
眉間にしわを寄せて、私を見返している。
「あぁ? ウサギだぁ?」
「そう! ウサギさ――」
『可愛いよね?』と言おうとして、ハッと我に返る。
……あれ?
この世界でも、ウサギはウサギで通じるんだっけ?
……ううん。
そもそも、この子は本当にウサギなのかな?
もしかして、全く違う生き物だったり?
にわかに疑問が浮かんで来て、私はしばし考え込んだ。
「どーしたんだ、そのウサギ? 食材倉庫から逃げ出したのか?」
でも、心配する必要はなかったみたい。
イサークの口からも『ウサギ』という単語が出て、私は納得してうなずいた。
なーんだ。
この世界でも、やっぱりウサギはウサギなのね。
……っと……ん?
今イサーク、何て言った?
確か、食材倉庫から逃げ出しっ…………たぁあ!?
「え……、えぇえええーーーーーッ!? しょ、食材って、ナニそれっ!? いきなり怖いこと言わないでよ!! こっ、こんな可愛い子を、しょっ、食っ、食材だなんてッ!!」
ゾッとして非難の声を上げると、イサークは『はあ?』と眉をひそめる。
「怖い? 何が怖いんだよ? ウサギったら食うもんだろ?」
当たり前のことみたいに言い切るイサークに。
私は一瞬、返す言葉を失い、ボーッとイサークを見上げてしまった。
た……食べ、る……?
『食うもんだろ』って……えっ、ホントに?
……あ。
そー言えば、あっちの世界では。
昔は日本でも……そーゆーことは、あったん……だっけ?
フランス料理とかでは、確か今でも……ウサギ……を……。
「だ…っ、ダメぇーーーッ!! この子は食べちゃダメぇえええーーーーーッ!!」
ウサギをかばうように、太ももと胸の間に抱え込むと。
私はブンブン首を振って絶叫した。
「こ、こんな真っ白で可愛いウサギさんを、たっ、たた、食べるなんて!! そんなのダメッ!! 絶対絶対ぜーーーったい、ダメなんだからぁあああッ!!」
「……いや、けどよ。食材倉庫から逃げ出したってんなら……困るんじゃねえのか、この船の料理人達?
ハッ!!
……そ、そっか。
もし、この子がホントに、逃げ出して来たんだったら……。
この船の人達に、迷惑掛けちゃうことになる……のか。
……う、うぅ……。
でも……でも……っ。
やっぱり、この子を引き渡すなんて出来ないよぉおおおーーーーーッ!!
「……わかった! 私、直接厨房に行って、この子が倉庫から逃げ出した子なのかどーか、確かめて来る!」
ウサギを抱いたまま立ち上がり、私は厨房目指して歩き出す。
とたん、私の肩を後ろからガシッと掴んだイサークは、
「ちょ――っ! ま、待てって! あんた、厨房がどこにあるか知ってんのか?」
慌てた様子で訊いて来て、私はピタリと足を止めた。
「厨房の場所?――って…………あ」
乗船してから、客室とデッキの往復くらいしかしたことのない、この私が。
厨房がどこにあるかなんて、当然、知るはずもなかった。
「……ったく。しょーがねえな。俺が訊ーて来てやるよ。姫さんが直接行ったら、大騒ぎになっちまうだろーが。あんたは、大人しく部屋で待ってな」
「イサーク……。うん、ありがとう!」
ホッとしてお礼を言うと、彼は照れくさそうに顔を背ける。
「あーあー、礼なんざいらねーよ、めんどくせえ。……とにかく、行って来る」
くるりと背を向け、イサークは、足早に船内へと引き返して行った。