船旅二十日目-『可愛い』との遭遇
その日の夕食が済んでから。
私は一人でデッキに向かい、大海原に沈んで行く夕陽を、ボーッと眺めていた。
湿った風が、髪を、ドレスを大きく揺らす。
だけど、不思議と寒さは感じなかった。
「特別な力、かぁ……」
ふと、昼間の雪緋さんとのやりとりを思い返し、重苦しい気分になる。
雪緋さんは、私の目覚めた力によって、過去を覗かれてしまったことを、少しも責めることなく許してくれて。
私の中に、お母様の存在を感じるって……むしろ、喜んでくれてるみたいだったけど。
ハッキリ言って。
私にとってはあんな力、迷惑でしかなかった。
だって、人の過去を勝手に覗くだなんて。
雪緋さんが優しい人だったから、許してもらえたようなものの……。
これがもし、他の人だったりしたら、ぜーったい、気味悪がられたり、腹立てられたりしてたと思う。
……当たり前だよね。
私だってイヤだもん。他人に過去を覗かれちゃうなんて。
この力が、コントロール出来たり、覗きたくないと思ったら、覗かないで済むようなものだったなら、まだ、受け入れる気にもなってた……かも知れないけど。
さっきみたいに、何の前触れもなく、発揮されちゃうんだとしたら……。
しかもそんなことが、これからも、たびたびあるんだとしたら?
……私はいったい、どうしたらいいんだろう?
「……ハァ。やっぱりいらないなぁ……こんな能力」
ため息をついた後、私は体を丸め、手すりにコツンと額を当てた。
……無性に、セバスチャンに会いたかった。
シリルに会いたかった。
ニーナちゃんに会いたかった。
みんなをギュッと抱き締めて、心の底から癒してもらいたかった。(みんなにとっては、迷惑かもしれないけど)
ああ……萌えが足りない。
この船には、圧倒的に『可愛い』が足りないんだってば!!
……考えてみれば。
今までが、恵まれ過ぎてたんだよね。
城にいれば、『可愛い』はいつも身近に存在してたから。
足りないと思えば、すぐに補給出来てたんだもん。(ちなみにこの場合の補給というのは、眺めたり、頭撫でたり、抱き締めたり、頬ずりしたり――という類のこと)
あーあ。
贅沢な環境に慣れ過ぎてて、『可愛い』のひとつにもお目に掛かれない、今のこの状態に、どこまで耐えられるやら……。
二度目のため息をついて、手すりから顔を上げると。
夕陽はとっくに沈み切っていて、辺りは、深い藍色に覆われている。
「――あ。綺麗な月。……そっか。今日は満月か」
仰いだ空には、まぶしいくらいの光を放つ、まん丸なお月様が、ぽっかりと浮かんでいた。
しばらくうっとりと見惚れていたら、背後でガタンと音がして、反射的に振り返る。
「へっ?……え、嘘……。なんで、こんなところに?」
視線の先には、真っ白なウサギがいた。
私と目が合うと、慌てたように(そんな風に見えたんだもん)後ろを向き、ピョンピョンと離れて行こうとする。
「あっ、待って! お願いだから待ってっ!?」
ウサギに『待って』なんて言ったって、大人しく待っていてくれるワケがない。
それはわかってたんだけど、つい、口に出してしまっていた。
だって、やっと見つけた『可愛い』だもの。
萌えの対象なんだもの。
ここで見失ったら、後悔するに決まってるじゃない!!
確信した私は、急いで白ウサギの側へ駆け寄った。
行く手を阻める位置にしゃがみ込み、なるべくおびえさせないよう、穏やかな声で話し掛ける。
「こんばんは、ウサギさん。こんなところでどーしたの? 飼い主さんと、はぐれちゃったの?……ん? でもこの船って、ペットも乗船可能なんだっけ?」
当然、ウサギさんからの返事が、あるワケもなく……。
多少の虚しさを感じつつも、私はメゲずに先を続けた。
「ねえ、ウサギさん。私ね? 今すっごく、あなたを抱き締めたくて堪らないの。もし、よかったら……抱っこさせてもらえないかなぁ?」
訊ねつつ、そうっとウサギさんに手を伸ばす。
するとウサギさんは、ビクッとしたように体を起こし、ふるふると可愛らしく首を振った。
え――っ?
……今、この子……首振ったよね?
……ってことは……嫌ってこと?
『抱っこされるのはイヤ』ってことなの?
え……嘘……。
なんか、思いっ切り……拒絶されちゃっ……た?
「あ……あはははっ。まっさかー。ウサギさんに、人間の言葉が通じる上に、明確な拒絶の意思まで示されちゃうなんて。そんなバカなこと、あるワケ……」
――なんて、思ってしまったけど。
それを言ったら、セバスチャンはどうなるの? という疑問が、ふと脳裏をよぎった。
私はう~んと考え込んでから、再びウサギに目を向けると。
「えー……っと。ウサギさんは、私に抱っこされるのはイヤ……と。つまりは、そーゆーことなの……かな?」
ウサギと意思疎通が出来るなんてと、半信半疑だったけど。
恐る恐る確かめてみると……なんとビックリ!
ウサギさんは、こっくりとうなずいたではないですかっ!?
「えぇーーーっ? すっごーーーい!! あなた、人間の言葉がわかるの!?」
心底驚いて、私は大声を上げてしまった。
とたん、ウサギがギョッとしたように、耳をピーンと立てて固まった。