船旅二十日目-雪緋の過去?
結局、あれからもイサークは、夜の間ずーっと、私の部屋の前で寝ずの番をし続けてくれている。
先生に怒られるから、『部屋のソファで眠ってもらう』って案は、諦めるしかなかったものの。
やっぱり申し訳なくて。
昼間は、ほとんど先生の講義受けてるだけだし、何かあっても雪緋さんがいてくれるしってことで、イサークには、その間だけでも眠っていてもらうことにした。
それでもイサークは、
「一日二~三時間眠れりゃ、充分だってーの」
とか、
「寝不足程度で死にゃしねえよ」
とか、
「何かあったら、その使いの男がいるだぁ? そいつ、ホントに役に立つのかよ? 図体でけぇだけじゃねえのか?」
なんて言って、私の申し出を断ろうとして来たけど。
「雪緋さんは、蘇芳国の帝さんの護衛もしてるって人だよ? それだけでも、すごく頼りになる人だってわかるじゃない! だから、ね? 昼間の護衛は雪緋さんに任せて、夕方頃までゆっくり休んでてよ」
ってことを、根気強く言い続けていたら、しぶしぶ了承してくれた。
でも、さすがに、夕方までは寝ていられないらしく。
お昼過ぎには、のそ~っと起きて来て、私が講義を受けている間、船内をあちこち見て回ったりしているらしい。
雪緋さんはと言えば。
城にいた時は、初めて見た時の服装(奈良~平安時代辺りの貴族っぽい服?)だったのに。
今は、もうちょっと軽装って言うか、動きやすそうな服を着ている。
実はイサークも、船に乗る前までは、一応きちっとした、騎士らしく見える服装だった。
でも、『見習いったって、まだ騎士になってもいねえのに、あんな堅苦しい服着てられっかよ。向こうに着くまで、好きにさせてもらうぜ』とか言って、船中では、すごい軽装だったりする。
雪緋さんが軽装になったわけは。
彼いわく、
「私は、帝の命でザックス王国に使わされた者ですので。ザックスにいる間は、身なりも整えていなければいけませんでした。あの服装は、使者としての正装です。ザックスを離れれば、私はただの従者に過ぎませんので、普段の衣を着用しております」
ってことだった。
「そっか。あの服は、使者用の正装だったんだね。……でも、それはそーと雪緋さん。そんなに前髪長くて、視界悪くない? 壁とかにぶつかったり、段差につまずいたりとかしないの? 大丈夫?」
よけいなお世話かな、とは思ったけど。
ずっと気になっていたことを訊ねてみる。
「はい、何の問題もございません。慣れておりますので」
穏やかに答える雪緋さんに、何か引っかかるものを感じて。
私は思わず、じーっと彼の顔を見つめてしまった。
「リ、リナリア姫……様?」
戸惑ったように、雪緋さんは僅かに首をかしげる。
「慣れてるって……もしかして昔っから、前髪伸ばしてたの?」
「え?……あ、はい。その通りです」
「どれくらい昔から?」
「は? あの……幼い頃から、です」
「幼い頃から……」
瞬間。
私の脳裏に、鮮烈なイメージが浮かび上がった。
あまりにも唐突過ぎる出来事に、私はハッと目を見開く。
「姫様……? ど、どうかなさいましたか?」
不安げな雪緋さんの声が、聞こえてはいたけれど。
浮かんで来たイメージを脳内で具象化するため、意識を集中していた私は、答えることが出来なかった。
イメージが浮かんだのは、ほんの一瞬だったけど、すごく鮮明だった。
数人の男の子が、一人の小さな男の子を、ぐるりと取り囲んで。
なにやら、はやし立てているような……映画のワンシーンみたいな映像が浮かんだんだ。
そのシーンは、私が集中を強めるたびに、カメラのピントを合わせるように、解像度を上げて行く。
子供達の服の色や柄、顔の表情までもが、ハッキリと脳内に浮かんで来て……。
真ん中の男の子は、小さくうずくまって、泣いているみたいだった。
周りの男の子達は、その子の頭を棒で叩いたり、髪を引っ張ったりって、ひどいことしてて……。
うずくまってる男の子は、髪が真っ白……で……。
……え?
真っ白な髪?
もしかして……。
もしかしてあれは……。
あれは……雪緋、さん?
幼い頃の、雪緋さんなの?
意識したとたん、急激なめまいに襲われ、私の足元は大きくぐらついた。
前方に倒れそうになったところを、雪緋さんの大きな体で受け止められる。
「姫様っ? ど、どうなさったのですか、リナリア姫様? ご気分が優れないのですか?」
優しく肩に置かれた手は、とても大きくて温かい。
気遣わしげに掛けられる言葉や、声の調子は、どこまでも優しくて……。
「――っ!」
私の顔を覗き込んだ雪緋さんが、驚いたように息をのむ。
……無理もない。私だって驚いてる。
カイルに会えるまでは、泣かないって。
絶対、涙は流さないって決めたのに。
なのに、どうしてかわからない。
いきなり涙が溢れて来て……自分の意思では、どうすることも出来なくて。
泣きたいわけでもないのに、まぶたからぽろぽろぽろぽろと、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「姫様!?……ど、どうして……。何故、泣いていらっしゃるのですか? 私は何か……失礼なことを申しましたか?」
おろおろとしつつも、穏やかで優しいその声に、胸が詰まる。
私は自分の胸元を片手でギュッと押さえ付け、無言のまま首を振った。
あれは、浮かんで来たイメージに過ぎないのに。
ホントにあったことかどうかなんて、わからないのに。
……ううん。
ホントにあったことだとしても、あの男の子が雪緋さんだなんて証拠は、どこにもないのに。
でも……わからない。
わからないのに、涙が溢れて……。
どんどん、溢れて来て。
どうしても、止める術が見つけられなかった。
まるで、古い映画。
コマ送りの古い映画が、脳内で再生され続けているような感じだった。
泣いている男の子の声は、全く聞こえない。
聞こえないのに、泣いているとわかることが、よけいに辛くて。
男の子に投げ付けられた言葉が、痛みを感じるくらい冷たくて。
気が付くと、私は脳内の子供達に向かって、必死に心で叫んでいた。
ひどいよ! やめてよ!
お願いだから、そんなこと言わないで!
その子が何したって言うの?
その子は何にも悪くない!! 悪くなんかないのにっ!!
いくら叫んだって、どうにもならないことはわかっていた。
止められるワケがないことも、わかっていた。
でも――……。
子供達は、真ん中の小さな男の子に向かって、こう言っていた。
『やーいやーい、白髪の赤目ーーー! 気味の悪い化け物ーーーっ!』
『おまえみたいな化け物と、遊ぶヤツなんかいるワケないだろ! さっさとここから出てけーーーっ!!』