船旅十日目-割って入って来た声は
『こんな状況になっても、あんたはまだ……俺が安全な男だって言えるのか?』
イサークの言葉を、何度も何度も、脳内で繰り返して。
「…………あ」
私はようやく、彼の言っていることの意味を理解した。(たぶん)
……なんだ、そっか。
イサークは、私を試してるんだ?
私がおびえそうな状況を、わざと作り出して……。
それでもまだ、信じられるのかって……私の信頼がどれほどのものかを、見定めようとしてるんだよね?
――だったら、答えは決まってる!
「もちろん言えるよ! 私、イサークのこと信じてるから」
自信満々でうなずくと、彼は驚いたように目を見張った。
だけど、すぐに怖いくらい真剣な眼差しで、私の顔を覗き込みむと。
まるで、この世のものではないものを見てしまった時のような……驚きと、疑念と、そしてちょっとだけ、恐れを抱いてるような顔つきになって。
「あんたなぁ……。『信じてる』なんて言やあ、こっちが喜ぶとでも思ってんだろうが。そんなためらいもなく言われたら、むしろ……」
「えっ?……イ、イサーク? どーしたの?」
イサークは壁から手を離すと、深く息を吐き出しながらその場にうずくまり、両手で頭を抱えた。
「あーーーーーっ、やってらんねえ。あんたといると、マジで調子狂う」
「調子が……狂う?」
私は困惑し、眼下のイサークをしげしげと眺める。
背の高い彼が、私より低い位置に見えるなんて初めてだったから、ちょっと新鮮。
でも、やっぱり変な感じがしたから、私も慌ててしゃがみ込み込んだ。
「ねえ。今のって、イサークの降参宣言? そう思っていいの? 諦めて、私の意見を聞き入れてくれる気になった……ってことだよね?」
「ちっげーよ!! 誰が降参なんかするかッ!!」
すぐさま顔を上げて反論し、彼はすっくと立ち上がる。
「とにかく、とっとと部屋入って寝ろ!! 俺の仕事の邪魔すんなッ!!」
「な――っ! なによ邪魔って!? 私はイサークのためを思っ――」
「いい加減にしろ、二人とも。こんな夜中に大声で……非常識だとは思わないのか?」
凛とした声が、私達に割って入るように発せられた。
決して、声を荒らげてるワケじゃないのに。
瞬時に戦慄を覚えさせる、この……どこまでも落ち着いていて、冷やかな声――は……。
「せっ、せせせ先生っ!?」
「冷酷陰険メガネっ!?」
私は反射的に立ち上がり、イサークとほぼ同時に振り返った。
振り返った先には、腕組みし、私達を、この上なく愚かだとでも思っているような視線を向けている、ガウン姿の先生がいた。
「こんな夜更けに、何事だ?――と言いたいところだが、あれだけ大声で騒いでいれば、聞きたくなくても耳に入って来る。何があったかなど、とっくに知れているが」
深々とため息をつくと、先生は私をギロリと睨む。
「君も、この男の仕事によけいな口出しなどせず、さっさと部屋に入りたまえ。ザックス王国の姫君が、単なる護衛とあのような言い合いをすること自体、恥ずべきことだと何故わからない?」
イラ立ちを含んだ声でたしなめられ、ちょっとひるみそうになったけど。
私は内心ビクビクしながらも、どうにか自分を励まして言い返した。
「で、でも先生! こんな寒いところで、眠りもせずに見張りなんて、イサークがあまりにも可哀そ――」
「それがこの男の仕事だ。役割だ。義務なのだから仕方あるまい。この男だって、それを承知の上で、護衛の任務を引き受けたはずだ。――そうだな?」
先生に同意を求められ、イサークはムッとした顔でそっぽを向く。
それでも、先生の言葉には小さくうなずいた。
「ああ、もちろんだ。これは俺の仕事だ。文句なんかねえ」
「イサーク! でもそれじゃ――っ」
「元はと言えば、君が『護衛は一人で充分』だなどと言い張ったから、発生した問題だろう? 己の見識、予測の甘さが招いた結果だ。猛省し、今後の教訓にすることだな」
「うっ」
痛いところを突かれて、私は冷や汗タラタラで沈黙した。
先生は、気まずく目をそらす私に向かい、
「わかったらさっさと部屋に戻れ!! この私に、何度も同じことを言わせるな!!」
通路中に響き渡るくらいの大声で叱りつける。
私はビクッと縮こまり、まだ少しためらいを残しつつも、小声で謝罪の言葉を告げ、ションボリと肩を落としながら部屋に入った。
音を立てないようにドアを閉め、くるりと部屋の方へ体を向けると、後方に寄り掛かって、大きなため息をつく。
あーあ。失敗しちゃったなぁ。
もう少し静かに言い合ってれば、先生にも気付かれずに済んだのに。
もうひと押し、って感じだったのになぁ。
あともうちょっと頑張ってたら、私の主張も、受け入れてもらえてた気がするのに……。
ドアの外では、先生とイサークが話している声が、まだ小さく聞こえていた。
何を言っているのかまではわからなくて、『またケンカしちゃってたら、どーしよー?』ってハラハラしたけど。
大声で言い合っている感じではなかったし、すぐに、先生も自分の部屋に引き返して行ってくれたらしく、通路は、数分も経たぬうちに静まり返った。
私は胸を撫で下ろし、外のイサークに申し訳ないと思いつつも、ヨロヨロとベッドまで歩いて行って、倒れ込むようにして横たわる。
すると、不思議なことに。
さっきまで、全然眠気なんか感じていなかったのに、一気に睡魔が襲って来た。
ああ……。イサーク、ごめんね……。
あんな寒い中……外で、頑張ってくれてるのに……。
なんだか……眠くなって……来ちゃっ――……。
睡魔と闘う気力も、すでになく。
強い敗北感と後悔に包まれながら、私はいつしか、深い眠りへと引き込まれて行った。