船旅十日目-就寝前の押し問答
「だからっ、もう大丈夫だって言ってんだろうが! バカなこと言ってねーで、さっさと寝ちまえよ!」
「誰がバカよ誰がっ!?……もう大丈夫って、そんなはずないじゃない! なんだか顔も赤いし……もしかして、熱でもあるんじゃないの?」
「ねーよッ!! マジでなんでもねーから、頼むから放っといてくれ!!」
「ほっとけないよ!! そんな状態で! しかも通路で! 『ずっと寝ずの番する』なんて言ってる人、ほっとけるワケないじゃない!!……ね? お願いだから、私の部屋で寝て? それが嫌なら、せめてソファで横になってよ!」
「――っなこと出来るかって、何べん言わせんだあんたはッ!? あんまりしつけーと、あの冷血嫌味メガネ呼んでくっぞ!?」
「そ――っ!……せ、先生に、い――、言い付けるとか、なっ、なに、小学生みたいなこと――っ。……よ、呼びたければ呼べばいーじゃないっ! そっ、それでも、私の考えはか――っ、か、変わらないけどっ!!」
「――って、どもりまくってんじゃねーかッ!!……ったく。動揺してんのバレバレだってーの。とにかく、俺は何の問題もねえんだから、早く部屋入って寝ちまえッ!!」
「イヤっ! イサークがソファで横になってくれるまで、絶対寝ない! 具合悪い人を、こんな寒いところで一晩中立たせとくなんて、人でなしのすることだもの!」
「だからっ、具合なんざ悪くねえって、さっきから何度も何度も言ってんだろーがッ!! あんたの耳、ちゃんと機能してんのか!? その顔の横に付いてんのは、ただの飾りかよ!?」
「な――っ!」
私は一瞬言葉を失い、イサークを思い切りにらみつけた。
彼も負けじと睨み返して来て、私達は、しばらくにらめっこ状態になる。
デッキから、船内に戻って来てからというもの。
私達は、部屋の前でずーっと、こんな調子でやり合っていた。
お互い頑固で、自分の主張を少しも譲らないものだから、一向にらちが明かない。
このままじゃ、どれだけ言い合ったって、平行線のままなのは目に見えていた。
「……わかったわよ」
私はしぶしぶ、了解したかのような態度を示した。
イサークはホッとしたのか、微かに表情を和らげる。
「そーか。やっとわかったか。じゃあ、さっさと部屋入っ――」
「イサークが私の部屋で寝てくれないなら、私が通路で寝る!」
押してもダメなら引いてみろ!
――ってワケでもないけど、あくまで拒否するつもりなら、もうこの手しかない。
私は彼を見据え、キッパリと宣言した。
「んな…っ!?」
ギョッとしたように、イサークは短く声を上げ、口をパックリと開けたまま固まった。
数秒後。
怒りと呆れ、そして困惑が入り混じったかのような、複雑な表情をしてみせると。
「あんた、マジでどーかしてんじゃねーのか!? 救いようのないアホだな!! あんたが通路にいたら、護衛の意味ねーじゃねーかッ!!」
「どーしてよ? イサークのすぐ隣にいた方が、壁一枚隔てた部屋の中にいるより、よっぽど安全でしょ?」
「安全!? 安全だと!?……どこまで呆れた女なんだあんたは? いったいどこが安全なんだよ!?」
「安全だよ!! イサークのすぐ側にいれば、ずっと守っててもらえるし、怪しい人だって近付けないじゃない!!」
「――っ!……あんたなぁ」
イサークは片手で額を押さえ、大きなため息をつく。
彼を困らせているのは、わかってたけど。
毎晩、こんなところで寝ずの番をしてくれていたって、知ってしまったんだもの。
そのまま放置――なんてこと、出来るワケがなかった。
護衛が彼の役目だって言うなら、せめて、もう少しちゃんとしたところで、見張っていて欲しい。
でないと、気になって気になって、ぐっすり眠ることなんて、出来そうにないもの。
だから私は、断固として引くつもりはなかった。
彼が『わかった』って降参するまで、とことん粘るつもりだった。
それからしばらくして。
私に向き直ったイサークは、なんだか、さっきまでの雰囲気とは、まるで違って見えた。
彼の急激な変化に困惑し、思わず首をかしげる。
「……イサーク?」
声を掛けると、彼の両手が素早く伸びて来た。
私はとっさに後ずさり、その手を避けようとしたんだけど、ツイてないことに、後ろは壁だった。
マズいと思った時には、すでに遅く。
壁に、後頭部と背中を思い切り打ち付けた私は、痛みのあまり目をつむった。
「い――っ!……たぁ~……」
うめき声を上げ、そろそろと目を開ける。
すると、すごく近くにイサークの顔があって、私はギョッとして目を見張った。
焦って、左右交互に目を向ける。
彼の両手は、私の体を囲うようにして、壁に押し当てられていた。
(あ。これ知ってる。確か、〝壁ドン〟ってヤツよね?)
一瞬、ノンキにそんなことを考えてしまったんだけど。
私とは対照的に、イサークは、すごくイラついている感じだった。
背の高い彼は、私の目線と合わせるように、身をかがめている。
無言で私をにらみつける、その瞳の色は冷たくて……でも何故だか、熱く燃えているようにも感じられて。
――瞬間、ゾクッとした感覚が背筋を走った。
私はとっさに胸元に手をやり、ドレスの布地を、ギュウっと握り締める。
「イ……イサー……ク?」
「これでもまだ、俺といて安全だって言えるか?」
「……え?」
鼻がぶつかってしまうくらいの距離まで、イサークの顔が近付く。
私の目を見つめたまま、彼はもう一度、声を落として訊ねた。
「こうやって、逃げらんねーよーに体囲われて、次何されるかわかんねえ。……こんな状況になっても、あんたはまだ……俺が安全な男だって言えるのか?」