船旅十日目-混乱
イサークが、ギルの騎士になろうとしてくれているのが嬉しくて、私は感謝の意を伝えた。
すると、数秒置いてから、彼は訝しげに振り返り、
「なんであんたが、俺に礼なんざ言うんだよ? 関係ねえだろうが」
ちょっと不機嫌そうな声で訊ねつつ、わずかに顔をしかめる。
「関係ないって、ギルと私が?……それは……そう、なのかも知れない……けど……」
彼とは、婚約も解消したんだし。
これからは、公式の場でしか、会うこともないんだろうから……確かに、他人って言える関係に、なっちゃったのかもしれないけど。
「でも、それでも嬉しいの。イサークが、ギルの騎士になるって言ってくれたことが。――だって、あなたみたいな人が、ずっと側にいて守ってくれたら、彼も心強いだろうし。……ギル、身近な人に命を狙われたりして、きっと、今でも傷付いてると思うの。だから、イサークみたいに信頼出来る人が、彼の騎士でいてくれたなら、私も安心でき――」
「ハッ。やっぱりな。……そーゆーことかよ」
「え?……そーゆーことか……って? 何が『そーゆーこと』なの?」
言われたことの意味がわからず、ストレートに訊ねると、彼はクッと、意地悪く笑った。
「結局あんたは、自分の気持ちを軽くしたいだけなんだろ? 王子をフッたって負い目があるから、王子には、さっさと元気になってもわなきゃ困る――ってヤツだ。な、そーだろ? でなきゃ、いつまでも後ろめたさがつきまとって、苦しくて堪んねえもんな? そんな感情を追い払うために、俺が利用出来るって……つまりは、そーゆーことなんだろ?」
「そんな――っ! そんなこと、私……。私、利用なんて――っ」
『利用しようだなんて、考えてない!』
……そう言おうとして、言えなかった。
そんな風に考えてたワケじゃない。
絶対、違うはずなのに……。
何故だかわからないけど、言い返せなかった。
……どうして?
なんでハッキリ、『違う』って言えないの?
ホントのことだから……?
ホントは私、そう思ってるの?
私は……自分の後ろめたさから、一刻も早く逃れたくて……。
早く楽になりたくて、だから……。
そのために、恩返ししたいっていう、イサークのまっすぐな気持ちを、利用しようとしてるの?
だとしたら……。
本当にそうだとしたら、私は……。
「姫さん!」
肩を掴まれ、反射的に顔を上げた。
とたん、イサークと目が合い、彼の顔が辛そうにゆがむ。
「すまねえ、よけいなこと言っちまった。……べつに、あんたを責めるつもりなんてなかったんだ。けど……あんたが、王子のことで嬉しそうに笑うの見てたら、なんだか、急にムカついて来ちまって……」
「……イサーク?」
……ムカついた?
ギルのことで、私が嬉しそうに笑ったから?
ギルのことで嬉しそうにすると……どーして、イサークがムカつくんだろう?
やっぱり、ギルのこと……まだ完全には、信用出来てないってことなのかな?
気に入らない人のことを話題にして、私がノンキに笑ってたから……思わず、ムカッとしちゃったの?
だとしたら……イサークの前では、ギルの話……もうあんまり、しない方がいいのかも。
……でも、これからギルの騎士を目指そうって人が。
主人に反抗的な感情持ってて、うまくやって行けるんだろうか?
ギルのことは気に入らないけど、義理は返さないと気が済まない。
そーゆー理由だけで、騎士になろうとしてるんだとしたら……。
うぅ~ん……。
無事なれたとしても、しょっちゅうケンカばっかりしてそうだなぁ。
――なんて、あれこれ考えてしまっていたら、
「ホントにすまねえ! 今言ったことは忘れてくれ! 俺も、本気でそんなこと思ってたワケじゃねえんだ!」
イサークは私の肩に両手を置き、申し訳なさそうに、顔を覗き込んで来た。
私はハッと我に返り、『あ、そっか。責められてた最中なんだった』と思い出し、慌てて首を横に振った。
「う、ううんっ。いいの。……もしかして、ホントにそう思ってたのかも知れないし――」
「違うッ!! そーじゃねえッ!! あんたは、そんな風に考えたりしねえよッ!!」
「えっ?……イサー……ク?」
いきなりの大声に驚いて、あっけにとられて見返すと。
一瞬、うろたえたように目を泳がせ、彼は私の肩から手を離した。
数歩後ずさり、思い切り顔をそらせて、
「す……すまねえ。なんか、俺……変だ。自分でも何してんのか……何したいんだか、よく……わかんなくなっちまった」
彼らしくない、弱々しい声でつぶやく。
額に片手を持って行き、はあっと大きなため息をついたりして……。
「ダメだ。わかんねえ。……すまねえな、姫さん。そろそろ、部屋に戻ってくんねえか? 俺も、ちっとばかし疲れてるらしい」
「えっ、ホントに!?……わ、わかった! 早く部屋に戻ろう!?」
急にイサークの様子がおかしくなり、心配になって、私は彼の背を支えるように、そっと手を回した。
イサークは、『支えなんかなくても歩ける!』と言い張ったけど。
私は彼の主張を無視し、半ば強引に手を貸しながら、船内に戻った。