船旅十日目‐ワケ有り護衛の告白(四)
声を荒らげるでもなく発せられた、イサークの言葉。
それがよけいに恐ろしく、私は思わず息をのんだ。
イサークはハッとしたように顔を上げ、
「あ……。わ、悪ぃ! あんたを怖がらせるつもりはなかったんだ。けど、あん時のこと思い出したら……あと一日、俺が踏み込むのが遅かったらって思ったら、つい……」
気まずく目をそらす彼の手をギュッと握り、思い切り首を振った。
「ううん。謝る必要なんてない。イサークがそう思っちゃうの、当然だよ。私だって、ニーナちゃんがひどい目に遭わされてたとしたら、その貴族、絶対許さないもの」
……ううん。ひどい目にならもう遭ってる。
さらわれた時点で遭ってるんだ。
ニーナちゃん、どんなに怖かったろう。
イサークが助けに来てくれるまでの間、どれだけ不安だったか……。
彼女のことを思ったら、涙がにじんで来てしまい、私は慌てて両手で目元をぬぐった。
「それで、その貴族ってどーなったの? 当然、罰は受けたんでしょ?」
気持ちを立て直してイサークに訊ねると、彼はおもむろに空を仰いだ。
「さあ、な。貴族様の処分なんざ、俺ら下々のモンには、いちいち知らされやしねえよ。けど……それ以降、屋敷からは人気が失せて、そいつも、そこで働いてたヤツらも、どこに行っちまったかわからねえって話だった。噂じゃあ、貴族の身分を剥奪されたとかなんとかって……」
「貴族の身分を、剥奪……」
それっぽっちで済まされちゃうの?
――って一瞬思ったけど。
考えてみれば、貴族の人なんて、生まれた時から貴族なんだし。
それがいきなり、『今日からおまえは庶民だ』って言われたとしたら、その後、どう生きてっていいのかわからなくて、かなり苦労するかも……とは思った。
だからって、そいつのことは許せるはずも、許されていいはずもないけど。
その程度の罰で、納得するしかないのかなって気もした。
それでもやっぱり、ニーナちゃんの気持ちを考えたら、悔しくて、腹が立って仕方なかった。
「とにかく、その事件がきっかけで、俺は、もうこの国には住めねえと思うようになった。ニーナのためにも、こんな腐った野郎どもがいるところから、オサラバしなきゃいけねえってな。だが、決めたはいいが、国を出るには金がいる。移住許可を取るってなったら、それなりに身分のいいヤツとの付き合いでもない限り不可能だ。だから俺は、王子殺しを引き受けることにしたんだ」
「それって、『王子を殺してくれれば金もやるし、おまえらが国外移住する許可も取ってやる』……みたいなこと、言われて……?」
「ああ。その通りだ」
「そー……なんだ……」
ニーナちゃんが、そこまで怖い目に遭ってしまったんなら、こんな差別がまかり通ってる国、出て行きたいって思うのも無理はないけど……。
それでもやっぱり、人を殺す決心をしちゃったのは……なんだか悲しい。
どうしても、もっと他に方法はなかったのかな? って考えちゃうよ……。
「どーした? 話はまだ済んじゃいねえが……聞ける状態じゃねえか?」
私が黙り込んだままなのを、気分が悪くなったせいだとでも思ったのか。
イサークは、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「うっ、ううん、そんなことないよ。聞きたい。聞きたいから、構わず続けて?」
焦って返事すると、彼は少し、ためらう様子を見せたけど。
しばらくの沈黙の後、また静かに語り出した。
「俺に王子殺しの話を持ち掛けて来たのは、ルドウィンじゃあ知らねえモンはいねえってほどの、名の知れた大貴族の使いだった。ルドウィンにゃあ、王族を支え続けることこそ使命って考えてるような、王族至上主義の貴族連中がいるんだが、その名門貴族のひとつであるゴドルフィン家のヤツが、どうやら、俺の雇い主らしかった。そいつの計画通り、俺は、そいつの仲間だか部下だかの手引きで城に侵入し、王子を殺すために、ヤツの部屋を探した。……が、城の敷地内ってのが、俺の想像以上に広くてな。そのせいで、城自体にたどり着くまでに、結構掛かっちまった。城内へと続く通路を見つけた頃には、完全に息が上がっちまってよ。それでもどうにか、飛び移れそうな木によじ登って休んでたんだが、そこに、運が良いっつーのか悪いっつーのか、標的である王子が、ひょっこり現れやがってな。木の上で息を殺して、じっとしちゃあいたんだが、すぐ気付かれちまって、休むどころじゃなくなっちまった。……で、仕方ねえから、さっさと終わらせて帰ろうと思ったんだが――」
そこで言葉を切り、イサークは大きなため息をつくと、忌々しげに闇をにらんだ。
「あの王子、こっちの予想を遥かに超えて、強ぇのなんのって。剣術なんざ、まともに習ったこたぁねえけどよ。ナイフの扱いにゃあ、結構自信あったんだが、まったく歯が立たなかった。王子っつーから、もっと生っちろくて、ヒョロヒョロしたヤツかと思ってたのに。体つきなんざ俺と大差ねえし、その割にゃあ、機敏に動きやがるし、聞いてねぇぞって叫びたくなったぜ。……あーっ、今思い返しても腹が立つ! なーにが『私は今、この上なく機嫌が悪い。手加減はしてやれないから、そのつもりでいろ』だ。バカにしやがって!!」
その時のことを思い出したらしい。
イサークは悔しげに歯噛みし、思い切り、拳を手すりへと叩き付けた。
「くっそ! フラれた腹いせだか何だか知んねーが、猫が鼠をいたぶるように、殺さない程度に攻撃してはかわし、攻撃してはかわし、散々傷め付けてくれやがって!……くっそ、今に見てろよ! ぜってー、あの野郎を超えてみせるからなッ!!」
八つ当たりするかのように、イサークは、拳で手すりを叩き付け続ける
そのうち傷が出来て、流血でもするんじゃないかと心配になって、私は彼の腕にしがみ付き、大声で叫んだ。
「イサーク、もうやめてっ!……わかったから! 悔しかったのは、よーくわかったから! これ以上、自分の手を痛め付けないで! お願いっ!」