船旅十日目-ワケ有り護衛の告白(一)
「……え?」
長い、長い沈黙の後。
私はようやく、その一言だけを発した。
べつに、言葉が聞き取れなかったわけじゃない。ハッキリと耳には届いていた。
でも……だけど、その意味を理解するまで、かなり時間が掛かってしまった。
「ちょ……っ、ちょっと待ってよ。あなたいったい、何言ってるの?」
口角を上げて、必死に笑おうとした。でも、口元が引きつってうまく行かない。
それでもどうにか頑張って、笑顔らしきものを浮かべてみたけど……鏡を見るまでもない。その努力は、確実に無駄だったろう。
「何言ってるって、事実をだ。俺は依頼されて、ギルフォード王子を殺そうとした。この手で、な」
一度口に出したことで緊張がほぐれたのか。
彼はよどみなく答えると、右手を少し上げ、暗い視線を手のひらに落とす。
私は呆然と、彼の顔と右手を交互に見やり、何か言おうと口を開いた。
だけど、肝心の言葉が出て来ない。言いたいことも訊きたいことも山ほどあるはずなのに、何も浮かんで来なかった。
その時の私は、池の水面で口をパクパクさせている鯉と一緒。何度も口を開いては閉じ、また開いては閉じを繰り返し、言うべきことを探していた。
私の様子に気付いたイサークは、
「驚いたか?……まあ、そりゃあ驚くよな。元婚約者の頼みで身柄を引き受けることになった男が、その元婚約者を殺そうとした罪人だった、なんてな。驚かねえワケねえか」
そう言って、自嘲するみたいに笑う。
「これでわかっただろ? 俺は、信頼に値する人間なんかじゃねえ。むしろ、あんたに近付くことすら許されねえ類の人間だ。そんな男を、自分の部屋で休ませようなんざ……正気の沙汰じゃねえよ」
「イサーク……」
鼓動が、いつもより何倍もの激しさで暴れていて、苦しくて堪らなかった。
私は胸の前で両手を組むと、その手を胸に強く押し付け、痛いくらいギュッと握った。
そうでもしないと、気が遠くなって、倒れてしまいそうだった。
「悪かったな。あんたを騙すつもりはなかったんだ。だが、そうでもしねえと――」
イサークはそこで言葉を切り、体を海側に向けた。そして手すりに片手を置き、再び暗い海へと、視線を移す。
「あんたを騙す気はなかったが、俺は、どうしても騎士になりてえんだ。いや、ならなきゃいけねえんだ。だから――!……そのためには、こうするより他なかった」
彼の横顔を見つめながら、私はまだ、さっき彼が言ったことを信じられずにいた。
『俺はあんたの元婚約者、ルドウィン国第一王子――ギルフォードを殺そうとした罪人だ』
何度も何度も、その言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
イサークはギルを殺そうとした。ギルはイサークに殺されそうになった。イサークは罪を犯した。イサークは罪人。罪人……罪人……?
……じゃあ、彼は悪い人なの――?
その疑問に突き当たったとたん、わからなくなる。さっきからずっとそう。
どうしても、私には、彼が悪い人だなんて思えなかった。
口は悪いし、態度も悪いし、先生にはしょっちゅう突っ掛かって行くし。
仕える対象であるはずの私にだって、容赦ないけど……。
でも、それでも彼は、悪い人じゃない。悪い人であるはずがない。
彼の、妹のニーナちゃんを見る目は、とっても優しいし、温かい。兄妹仲だって、すごくいい。
シリルのことだって、ホントの弟のように気に掛けてくれてるみたいだし、シリル自身も、彼を信頼してるように見える。
口も態度もガサツではあるけど、悪い人じゃない。
絶対、悪い人なんかじゃないよ!
……そーだよ。
だって、ギルを殺そうとしたって言うなら、どうして彼は今、ここにいるの?
ギルが許したからでしょ?
殺されそうになったはずの張本人が、彼を許したからじゃないの?
殺されそうになったのに、それでも許して――……ううん、それだけじゃない。許した上に、わざわざ雇ってあげてくれって、私に頼んで来るなんて、よっぽどのことだよ。
だから……きっと彼は、悪人じゃない。悪ぶってるけど、いい人のはず。
だってそうじゃなきゃ、説明が付かないもの!
私はイサークの隣まで歩いて行き、手すりの上の彼の手に、そっと自分の両手を重ねた。
「――っ!……姫……さん?」
彼はビクッとしてこちらを振り返ると、意外そうに目を見開く。
「イサークがギルを殺そうとしたなんて、私には信じられない。……でも、そんな嘘ついたって何の得にもならないし……きっと、ホントなんだよね?」
「……ああ、本当だ」
「……そっか」
まっすぐ目を見て肯定され、私は言葉に詰まってうつむいた。
それでも、すぐに顔を上げると、
「ねえ。何か、よっぽどの事情があったんでしょ? 好きでそんなことしようとしたんじゃないよね? ギルに恨みがあってとか、気に入らなかったからとか、そんな私情が絡んでたワケじゃないんでしょ? 『依頼されて』って言ってたし、仕方なくだったんだよね?」
不安を追い払うように、矢継ぎ早に訊ねる。
イサークは落ち着いた瞳で見返して、弱々しく首を振った。
「仕方なくには違いねえが、それでも王子を殺そうとしたって事実は変わらねえ。俺は罪人だ。本当なら、今頃牢獄の中か――とっくに処刑されてたはずだ」
「しょ…っ、処刑!?」
予想以上の罰に驚きの声を上げると、彼はふっと優しい顔になって、
「当たりめえだろ。将来王になるかも知んねえ第一王子を、殺そうとしたんだ。牢獄に入れられるだけで済むなんざ、まずあり得ねえだろうさ」
なんて、まるでひと事みたいに言う。
「だが、そんな俺を……何故か王子は許しやがった。相当熱を上げてた婚約者にフラレたばかりで、精神的にも、かなりキツい時だったに違いねえのに」
『婚約者にフラレたばかりで、精神的にも、かなりキツい時だったに違いねえのに』
その言葉に、胸がチクチク痛んだ。
気まずくて下を向くと、イサークは慌てて付け足す。
「あ……。すっ、すまねえ! べつに、あんたを責めてるワケじゃ――っ」
私は無言で首を振り、わかってるって意味を込めて、薄く笑った。
「大丈夫。その頃のギルは、ホントに、そんな感じだったんだろうし……」
「姫さん――」
「ホントにいいの。すごく傷付けちゃったってことは、自覚してるから。――それより、話の続き聞かせて? この際だから、最初から全部話して。私、本当のことが知りたい」
「……ああ、わかった。ちっと長くなっちまうかも知んねえが、それでも構わねえか?」
私がうなずくのを確認してから、イサークは、ギルを殺そうとした経緯を、淡々と語り始めた。