船旅十日目-衝突
デッキ中に響き渡るような声に仰天し、私は、少しの間目をぱちくりさせながら、その場で固まっていた。
いきなり怒鳴られて、ワケがわからなかった。
だから、困惑が過ぎた後には、一気に怒りの感情が湧いて来た。
「なっ、何よ『バカヤロウ』って!? 失礼じゃない!! どーして私が、イサークにバカ扱いされなきゃいけないのっ!?」
「バカだからバカって言ってんだ!! このお気楽能天気姫がッ!! 『私の部屋で眠ればいい』だぁ!? あんた、その意味わかってて言ってんのか!? いくら護衛ったって、ろくに知りもしねえ男に――よくもまあ、そんなふざけたセリフが言えたもんだなッ!?」
早口で責め立てられ、思わずひるみそうになったけど、どうにか自分を励まし、抗議を続けた。
「どっ、……どーして言っちゃ……いけないのよ? わ、私はただ……通路でずっと、寝ずの番してるなんて、イサークが可哀想だなぁって、思った……から……」
もっと強気で立ち向かいたいのに。
気持ちとは裏腹に、語尾はどんどん弱まって行く。
「可哀想!? 俺がっ!?……ハッ! ただの護衛に対して、ずいぶんとお優しいこったな。お姫さんってぇ生きもんは、みんなあんたみてーに、ヘラヘラと緊張感も警戒心もねえ、間抜けなヤツばっかりなのかよ?」
「まっ、間抜けですってぇえッ!?」
からかうような口調でバカにされ、カアッと頭に血が上る。
悔しさと恥ずかしさで、体が震え出しそうだった。
それでもなお、イサークは態度を軟化させず、容赦なく私に突っ掛かる。
「あーあ、マヌケだね! これ以上ねえってくれーにマヌケだ! あんたほどの大マヌケ、今まで会ったことがねえよ! なんたって、どこの馬の骨とも知れねえ男を、自分の部屋に引き入れようってんだからなぁ!」
「そんな、馬の骨なんて……。何言ってるのよイサーク。あなたは、ギルの紹介でザックスに来たんじゃない。それって、ギルがあなたの身元や性格まで、保証してるってことでしょ? だから私、あなたを信頼して――」
「へぇーーーえ。あんた、こっぴどくフッたワリには、ずいぶんとあの王子のこと信頼してんだな? 王子からの紹介なら、どんなヤツだろうが受け入れるってか?」
「――っ!」
『こっぴどくフッた』という言葉は、予想以上に鋭く、そして深く、私の胸をえぐった。
ひどいと思ったけど……でも、私がギルをフッたというのは、否定出来ない事実で。
……悔しいけど、何も言い返すことが出来なかった。
「おーっと、その顔。痛いとこ突かれた~って感じかぁ?……ま、あんたらの事情なんざ、こっちにはどうだっていいことだがな」
イサークは、さして興味ないと言った風に肩をすくめ、吐き捨てるように言い放つ。
それから、意味ありげにニヤリと笑い、
「……けどよ。さっきのあんたの発言。あれを王子が聞いてたら、きっと卒倒してただろうな。……いや。こんな尻軽姫との縁が切れて、むしろホッとするか」
などと、侮辱的な言葉を吐いた。
「しっ、尻が――っ?……し、尻軽って、何よ? そんな……そんな言い方、ひど過ぎる……っ。わ、私はただ…っ」
生まれて初めて、『尻軽』だなんて言われた。
度を越した表現にショックを受け、思わず涙がにじみそうになったけど、唇をかみしめて堪える。
……泣かない。
カイルに会えるまでは、絶対泣かないって――自分で決めたんだから。
だから……だから負けない!
こんな中傷くらいで、傷付いてなんてやらないんだから!!
私はイサークを睨みつけ、勇気を奮い起して言い返した。
「何よッ!? ギルのこと信頼してて何が悪いの!? 婚約解消したら、もう信じちゃいけないの!? そんなバカな話、あるワケないじゃないッ!! それに、私がギルとの婚約を解消したのは、彼のことを嫌いになったからでも、信用出来ないと思ったからでもない!! 今だって好きだし、信じてる!! 信じてる人から託されたあなたのこと、同じように信頼して――いったい、何が悪いってゆーのよッ!?」
一気にまくし立てると、イサークは、ちょっと驚いたように私を見つめた。
だけど、すぐに目をそらし、辛そうに顔をゆがめてうつむく。
「え……? あの……イサーク?」
戸惑いつつ、恐る恐る声を掛けてはみたけれど。
彼はこちらに視線を戻すことなく、暗い海へ顔を向けたまま、独り言のようにつぶやいた。
「あんた……マジで大バカだな。俺がどんな男か、知りもしねえクセに……」
「え?」
さっきまでの強気な発言はどこへやら。
イサークは、耳を澄ませれば、なんとか聞こえるほどの声で、先を続けた。
「俺は……ホントなら、とっくに死んでた。俺が今、こうしてあんたの前に立っていられんのは、あいつの……あの王子のお陰なんだ。俺は……俺は……」
「イサーク、どーしたの? なんか変だよ? もしかして、気分悪くなっちゃった?」
急激な彼の変化が心配になって来て、気が付くと訊ねていた。
イサークは、ますます苦痛に満ちた顔つきになり、静かに首を横に振った。
「いや、そうじゃねえ。……そうじゃねえんだ、姫さん。俺は――……」
「……イサーク?」
ホントに、いきなりどうしたんだろう?
こんなに辛そうで、弱々しいイサークなんて、初めて見た。
……って言っても、彼とはまだ、ほとんどまともに話したことないし、よく知っているはずもないんだけど。
それでもやっぱり、彼がこんな風になってしまうなんて、想像すらしていなかった。
何か、よほどの理由があるんだろうけど――急かすようなことはしたくない。
私はただ黙って、彼が再び口を開くのを待った。
しばらくの沈黙の後。
イサークは、思い切ったように私を真正面から見据えると。
「この話は、あんたには黙ってろって、王子には言われてんだが……。けど、それじゃあ、やっぱり筋が通らねえって気がするんだ。俺は、これから当分の間、あんたと、あんたの国の世話になるってぇのに、都合の悪いこたぁ何も語らず、黙ってりゃバレやしねえなんて……そんなの、卑怯ってもんだろ? だから、これを知ったら、あんたがどう思うかなんてこたぁ、ひとまず置いとくことにして。洗いざらい白状する。……俺はな、姫さん。俺は……」
そこでいったん言葉を切り。
イサークは目をつむって、ゆっくりと深呼吸した。
それからまた、私をまっすぐ見つめ、よく通る声で告げる。
「俺は、あんたの元婚約者である、ルドウィン国第一王子――ギルフォードを殺そうとした罪人だ」