蘇芳国と神結儀
落ち着きを取り戻した雪緋さんから、改めて聞いた話によると。
彼は、お母様の出身国である『蘇芳国』から、帝である紫黒帝の命により、お父様にお願いしたいことがあって、来訪したってことだった。
――で、そのお願いってゆーのが、近く行われる『神結儀』とやらに、お父様にも出席してもらいたいってことだったらしいんだけど……。
何せ、話が急なことだったし、お父様の予定は年単位、場合によっては、数年単位でギッシリ決まっているらしいし。
船で数十日は掛かる蘇芳国に行くのは、どう考えても不可能。
そう説明して、お断りしようとしたところ、王族であれば、代理でも構わないって話になったらしく……。
「えーっと……。つまり、その……私に、『神結儀』とやらに出席しろ……ってことですか?」
私は顔をひきつらせながら、恐る恐る、お父様に訊ねる。
お父様は無言のままうなずき、雪緋さんも、同意するようにうなずいた。
「そっ、そんなの急に言われても困るよっ――っじゃなくて、困ります! 国の行事だか儀式だかって堅苦しいものに、まだ成人もしてない小娘が、たった一人で出席とかって……。こ、心細過ぎるし、責任重大じゃないですかっ!」
降って湧いた大役に恐れをなし、私はシャワーを浴びた後の犬のごとく、ブルブルと勢いよく首を振った。
思いっ切り振り過ぎてめまいがしたけど、そんなことに構っている余裕なんかない。必死に足を踏ん張って、先を続ける。
「しかもお父さ――っ、いえ。国王陛下の代理だなんて! そんな大役、務められるワケがありません!」
「あ、あの……。確かに、国の重要な儀式ではございますが、その場にいらっしゃるのは、帝と巫女姫の他、極めて少数の、我が国の役人のみなのです。帝がお出でいただきたいと願われましたのは、他国では、ザックス王国のクロヴィス国王陛下、もしくは、リナリア姫殿下のみでございます。どうかご安心ください」
「……え? 少数の関係者? 他国では、招かれるのはお父様か私だけって……。え、ホントに?」
「はい。誠でございます」
そっ……か。
いろんな国の代表が呼ばれて……とか、そーゆー、大きな行事じゃないんだ?
それなら……私でも大丈夫……かな?
納得し掛けたけど、今度は別の疑問が湧いた。
『他国から招かれるのは私だけ』って、なんで私が……あ、じゃない。お父様が招かれるの? 蘇芳国だけの行事みたいなものに、お父様一人が招かれる理由って?
訊ねると、雪緋さんは口元に穏やかな笑みを浮かべ、
「クロヴィス国王陛下が、紅華様の夫君であらせられるからです。元は遠縁であらせられたにせよ、紫黒帝は、ご幼少時に先代の紫紺帝のご養子となられたお方。つまるところ、紅華様の弟君というお立場であらせられます。そして紅華様は、現在の巫女姫であらせられる藤華様より、一代前の巫女姫。クロヴィス様とのご婚姻が成立していらっしゃらなければ、『神結儀』は、本来、紅華様がなさるはずだった儀式でございますので」
なんて説明してくれたけど、お母様が蘇芳国の姫だったってことに、まず驚いた。
まあ、お父様と結婚したって事実だけでも、ある程度は、身分の高い人だったんだろうなって、予想はしてたけど。
でも、まさか……皇室からの輿入れだったなんて。
さすがに、そこまで特別な身分の人とは、思ってなかったなぁ。
それに、『みこひめ』って……。
『巫女』……。お母様が巫女?
姫でも巫女でもあるって、なんだか不思議な感じ。
……ん?
でも、歴史の教科書に載ってた『卑弥呼』って、巫女っぽいこともしてたんだっけ?
んで、邪馬台国の女王……でもあったんだよね?
だとしたら、姫が巫女の役割担ってても、不思議でもなんでもないのかな?
むしろ、当たり前のことだったり?
うぅ~ん……。
もうちょっと真面目に、向こうの世界の歴史の勉強、しておけばよかったなぁ。
こっちとあっちの世界では、日本っぽい国って言っても、全てが同じようだとは限らないけど……。
でも、そこまで大きな差は、ないんじゃないかって気もするし。
私が一人で考え込んでいたからだろう。
雪緋さんが、説明を付け加えてくれた。
「『神結儀』がどういうものかと申しますと、巫女姫と神との契り――つまるところ、神と婚姻を結ぶ儀式のことです。また、神と婚姻を結ぶとは、どういうことかと申しますと、巫女姫が、生涯の全てを神に捧げるという、証を立てることを意味します」
「生涯の全てを、神に捧げる……?」
「はい。その証を立てますと――『神結儀』を終えますと、巫女姫は、生涯を神のために捧げることになります。そして代わりに、神から数々の力や、徳を授かることが出来るのです」
「力を授かる!?……ホントに!? ホントに、力なんてもらえるの!?」
思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。
それでも、雪緋さんは驚きもせず、相変わらず穏やかなまま。
「いえ、そこまでは……。私のような下賤の者には、判断しようもございません。ただ……巫女姫となられるお方は、元々、特殊な力をお持ちでいらっしゃいますし、『神結儀』を取り行わずとも、支障はないように思えるのですが……」
そこまで言うと、雪緋さんは意味ありげに沈黙した。
もしかしたら、『神結儀』ってものを、良く思ってないのかも知れない。
私の視線に気付くと、雪緋さんはハッと息をのみ、決まり悪そうに、視線を床に落とした。
「いえ、あの……。よ、よけいなことを申し上げました。どうか、お忘れください」
小さな声で告げる雪緋さんの表情は、長い前髪が邪魔をして、よく確かめられなかったけど。でも、なんとなく……彼自身は、この儀式を無意味なもの――必要ないものだと、思っているようだった。
『神結儀』、か……。
神と婚姻を結ぶ儀式ってことは、蘇芳国では、帝や巫女姫は、神格化されてないってことなのかな?
あっちの世界だと、帝って、昔は神様だと思われてたんだよね?
……あれ、違うっけ?
帝って、天皇のことでしょ? 天皇って、神格化されてたんじゃなかったっけ?
……う。ダメだ。わからない。
確か、そんな感じだったと思うけど……。
残念ながら、正解か不正解かを判断出来るもの(辞書とか、向こうの歴史書)はここにはない。正解をくれる人(向こうの世界の先生とか、歴史の専門家)だって、いないんだもんね。
あ~、やっぱり。
あっちの世界でも、真面目に勉強しとけばよかったかなぁ。
――なーんて、反省したって、もう遅いもんね。
わからないことは、さっさと諦めよう。
これからは、この世界で見聞きすることが全てだ。向こうの世界ではどうだったとか、考えるのはよそう。
気持ちを切り替え、雪緋さんに目を移す。
覚悟を決めた私は、大きくうなずくと。
「わかりました。そのお話、お受けします。私で、お父さ――陛下の代わりが務まるかどうか、ちょっと不安だったりもするけど。お母様が生まれた国のことも、ちゃんと知っておきたいし……。だから私、蘇芳国に行きます!」
キッパリ言い切った後。
何気なくお父様に目をやると、温かい笑みを浮かべ、『よく決心した』とでもいうように、優しくうなずいてくれた。