泣き虫の元従者
えっ、なんで!?
どーしていきなり泣いちゃってるの、この人っ!?
私、何か失礼なこと言っちゃった!?
ゆきひさんの涙に驚いた私は、どーしていいかわからず、お父様を振り返った。
「あの……っ! 私、何か失礼なこと言っちゃったんでしょーかっ?」
「いいえ!!……いいえ、違うのです。どうか……どうか、私のことは……お気に……なさらないでくださ、い」
大きな体に似つかわしくない、頼りなげな声だった。
ゆきひさんはそう告げると、膝をついた状態のまま両手で顔を覆い、小刻みに肩を震わせ始めた。――たぶん、声を殺して泣いているんだろう。
『お気になさらないでください』なんて言われても。
こんな状態の彼を前にして、気にしないでいられるはずもない。
しばらく呆然と突っ立っていた私は、恐る恐るゆきひさんの前にしゃがみ込み、ためらいながらも声を掛けた。
「あ……あの……。えっと、何が原因で、そんな風になっちゃったのかはわかりませんけど……。もし、私が失礼なこと言っちゃったんなら、謝りますから……そのぅ……」
「いいえ、違います! 姫様が謝罪しなければならぬようなことは、何も――っ!」
急に顔を上げたゆきひさんは、ギョッとするほどの大声を上げた。
不意を突かれた私はバランスを崩し、そのまま後ろに倒れそうになってしまったんだけど――。
素早く私の後方に回り込んでくれたゆきひさんが、すんでのところで、私の体を受け止めてくれたお陰で、みっともなく倒れずに済んだ。
「姫様! お怪我はございませんか?」
心配そうな声で訊かれたけど、ここまで完璧にガードされちゃったら、怪我なんてするワケがない。
私は顔を後方に向け、ゆきひさんにお礼を言った。
「うん、大丈夫。ありがとう、ゆきひさん。受け止めてくれて助かりました」
ハッと息をのむような声がした後。
私の肩に置かれたゆきひさんの手に、僅かに力が込められた気がした。
「ゆきひ……さん?」
どうしたんだろうと目をぱちくりさせていると、ゆきひさんは、慌てたように私から離れた。
それから、しゃがんだまま後ずさりして、再び、深々と頭を下げる。
「申し訳ございませんっ! 私のような下賤な者が、姫様のお体に触れるなど――っ、大変失礼つかまつりました! どうかお許しください!」
「……え?」
また、なんで謝るの?
『お体に触れるなど』って……。
そうしてもらってなかったら、床に倒れて、どこか打ってたのは確実だし。
むしろ、こっちがお礼を言わなきゃいけないとこなのに……。
戸惑う私の姿が面白かったのか、床に頭を擦り付けてるゆきひさんが、愉快だったのか。
お父様は、拳を口元に当てながら、くつくつと笑い出し、
「雪緋。何度言えばわかる? 頭など下げる必要はないと、先ほど伝えたばかりであろう? おまえが身を挺してかばってくれていなければ、我が愛娘は、怪我をしていたやも知れぬのだ。ここは、おまえが謝るところではなく、私が礼を言わねばならぬところだろう。――よくぞ、私と紅華の最愛の娘を助けてくれた。感謝するぞ、雪緋」
とても温かな声で告げると、ゆきひさんに向かって頭を下げた。
「お、おやめください国王陛下! 恐れ多いことにございます!」
ゆきひさんは、ブンブンと音がするくらいの勢いで首を振った。
……と思ったら、またしても床に額を擦り付け……。
謝ったり、恐縮したりすることが、身に着いてしまっている人なんだろうけど。
彼の卑屈な言動には、いい加減うんざりしてしまい、私は小さくため息をついた。
*****
「え? お母様の元従者? 雪緋さんが?」
ようやく、落ち着きを取り戻したらしい。
大きな体を小さく小さく縮こめ、雪緋さんは、お父様の執務室のソファに、居心地悪そうに座っていた。(――って言っても、ソファが小さくて座り心地悪いとか、私達の前にいるのが苦痛――って意味ではないようで。ただただ、『自分のように下賤な者が、高貴な方々と同じ場にいるなどと、恐れ多い』って意味で、居心地が悪いみたい)
泣き出した訳を、改めて訊ねてみると。
昔、お母様にも、髪と瞳の色について、似たようなことを言われたんだそうだ。
私は、『雪原にこぼれ落ちた赤い木の実みたい』なんて、思っちゃったワケだけど。
お母様には、『まるで雪を被った緋色の実のよう』だって、言われたんだって。
……うん。
瞳を赤い実に、髪を雪にたとえたのは、一緒と言えば一緒だけど……。
どっちかとゆーと、お母様のたとえの方が綺麗だよね。
『雪を被った緋色の実のよう』なら、冬の日の、綺麗な情景なんかが浮かんで来るけど。
『雪原にこぼれ落ちた赤い実』じゃあ、雪の上に、赤い目玉がコロコロ転がってるみた……って、これじゃ思いっ切りホラーだよ!!
……ハァ。
たとえ方ひとつ取っても、お母様には敵わないってことなのかもなぁ……。
まあ、どんな人だったのかも、よくわかってないんだけどね。
とにかく、雪緋さんは、お母様の元従者さんで。
名前の『雪緋』も、真っ白な髪と、赤い瞳から連想して、お母様が付けてくれたんだそうだ。
「白い雪と緋色の瞳で、雪緋か。なるほど。……でも、雪緋って……あんまり男の人っぽくない、珍しい名前ですよね。そんな名前付けられて、嫌じゃなかったですか?」
「いいえ! 嫌だなどと、思うはずもございません!……とても光栄でございました。この名は、私の一生の宝です」
雪緋さんは首を振った後、その時のことを思い出したかのように、すごく嬉しそうに微笑んだ。(目は隠れたままでも、そーゆー雰囲気って伝わるもんだよね。……うん。なんとなく)
……ふむ。
さっきからの反応を見ると、少なくとも、彼はお母様のことを好いててくれたっぽいなぁ。
娘としても、それはなんだか、ホッと出来るところではあるけど……。
いい機会だし、お母様のこと、もっともっと、教えてもらっちゃおうかな?
「ねえ、雪緋さん。お母様のこと、もっと教えてくれませんか? お母様は、どんな人だったの? さっき、私の顔見て『面差しが似て』――とかって言ってたけど、ホントに? そんなに似てるの?」
私とお父様の向かい側に座り、小さく縮こまっていた雪緋さんは。
その瞬間、体をピンと伸ばし、前のめりになって、興奮気味に言った。
「はい! 大変よく似ていらっしゃいます! 『瓜二つ』とまでは申せませんが、並び立ちましたなら、確実に親子であると、誰もが察せられるほどには、似ていらっしゃいます!」
「へえ~、そーなんだ?……あ。お母様も黒髪だったの?」
「はい! それはそれはお美しく、艶のある豊かな黒髪で……。国一番とたたえられるほどの御髪でいらっしゃいました」
「そっか。黒髪かぁ……」
よかった。これでスッキリした。
私は、お母様似だったんだ。
お父様は、完全に西洋人顔だし……実は、まだちょっとだけ、心のどこかで疑ってたんだよね。『ホントに私、お父様の娘なのかな?』って。
でも……うん、よかった!
雪緋さんも似てるって言ってくれたし、これで心底、納得出来たよ!
私は正真正銘、お父様とお母様の娘なんだ!
「ありがとう、雪緋さん! 私、あなたと会えてよかった! この国に来てくれて、とっても嬉しい!」
長い間のしこりがとれ、ホッとして、思わずそう言ってしまったんだけど。
即座に後悔した。
雪緋さんの頬を、涙の粒が幾つも幾つも伝い、ポトポトと服の上に落ちて行き……。
私とお父様は、もう一度彼をなだめ、落ち着いてくれるのを、辛抱強く待たなければならなかった。




