認められた絆
王族専用の客席から飛び出すと、私はまっすぐ階段を駆け下りて闘技場の中心に躍り出た。
「姫様――!?」
驚いたように目を見張るカイルに、勢いよく抱きつく。
「優勝おめでとう、カイル! それから――」
私はそっと彼から体を離し、ギルの方を振り返った。
「……ありがとう、ギル。私とカイルのために、こんなことまで――。でも、どうして? 私はあなたを傷付けたのに、どうしてこんな……」
問うように見つめると、彼は寂しげな瞳でフッと微笑む。
「君たちのためではないよ。私自身のためだ。二人のことが認められないのであれば、何のために君を諦めたかわからなくなってしまうからね。……私が認めた男はカイルただ一人だ。他の男と君が結ばれる未来など絶対にあり得ない。理由はそれに尽きるよ」
「……ギル……」
ギルは落ち着いた足取りで歩いてきて、カイルの前で立ち止まると片手を差し出した。
「優勝おめでとう。突然の決闘も受けてくれて感謝しているよ、カイル。剣の腕にはかなり自信があったんだがね、こうも見事にやられるとは思わなかった。――参ったよ。私の完敗だ」
カイルは慌ててギルの手を握り、彼の目をまっすぐ見つめる。
「ギルフォード様……いえ、ギルフォード殿下。殿下の剣筋こそ、一切の無駄がない見事なものでございました。本日は、私の方がほんの少しだけ運が良かったというだけのこと。また別の日であったなら、私が敗北していたに違いありません」
「フッ。……気を遣ってくれているのだろうが、こんな時の謙遜はかえって相手を傷付けると、肝に銘じておくといい」
「そんな――! 私は本心を申し上げたまでで――」
「いや。謙遜でないとするなら、君は己の実力を過小評価しすぎている。正直なところ、君ほど俊敏に動き回れる騎士に出会ったことがないよ。騎士でない者であれば一人だけいるが……」
「えっ? 騎士でない者……?」
目を丸くしているカイルを見て、ギルは愉快そうに吹き出し、自慢げに腕を組んだ。
「ああ、そうとも。騎士ではないが私の剣の師である、我が国の〝神の恩恵を受けし者〟――従者のウォルフという男だ」
「ギルフォード殿下の剣の師……。そして従者でもある、神の恩恵を受けし者……。そのような方がいらっしゃるのですか」
「ああ。……ウォルフは強いぞ? 私など、まだまだ遠く及ばないほどにな」
「神の恩恵を受けし者……。ウォルフ殿でいらっしゃれば、雪緋にも勝つことができるのでしょうか……」
「――ん? ユ、キ、ヒ……?」
「ああっ、何でもないのギルっ! カイルったら試合のし過ぎで疲れてるから、ちょっとボーッとしちゃってるみたいっ」
慌てて二人の間に割って入り、私はアハハと笑ってごまかした。
ギルには悪いけど、雪緋さんのことはあまり知られたくないのよね。
だって彼、〝禁忌の子〟だし……。
ギルが禁忌の子を知ってるのかどうかわからないけど、一応、秘密にしておかなきゃ。
そうやって、私が必死に話をそらそうとしていた時だった。背後から、聞き覚えのある渋い声が響いた。
「おまえたち、いつまでそうしているつもりかね? 優勝者が決まり、決闘の決着もついたのだ。後は優勝者をたたえるのみであろう? これ以上観客らを待たせておくのは、酷というものだと思うのだが――」
「お、お父様!……申し訳ありません。つい……」
「リア。優勝者に草冠を載せるはおまえの役目のはず。忘れてもらっては困るぞ?」
「は、はいっ。ごめんなさいっ」
私は思わず頭を下げ、ハッとなってすぐに体を起こした。
ヤバ……。
この国の貴族(王族だっけ?)は、簡単に頭を下げちゃいけないんだった。
でも……お父様は国王なんだから、お父様が相手だったらいいのかな?
そんなことを思いながら、何気なく観客席の方を窺う。
ちょっとザワついている感じだったけど、それが私が頭を下げたことに対して驚いているからなのか――そこまではわからなかった。
お父様は観客たちを静めるためか、両手を大きく広げて『親愛なる我が民よ!』と大きな声で語りかけた。
「どうか心を静め、私の話に耳を傾けてはくれぬだろうか。――先ほど、剣部門で優勝を果たしたカイル・ランスに対し、不当な誹謗中傷が投げかけられた。これには私も憤りを禁じ得なかったが――その混乱の中、隣国ルドウィンの第一王子であるギルフォード殿下が、その身をもってカイル・ランスの真意を証明してくれた! 彼の言動が示す通り、カイルは不正を働くような卑劣な男ではない。王女への純粋な愛と、この国への揺るぎない忠誠心を持つ高潔な騎士である! そのことを、ギルフォード殿下自らが証明してくれたのだ! リナリアもまた、王女としての責務を常に胸に刻み、民の幸せを願ってきた。彼女が選んだ道は、カイルと共にこの国の未来を築くことである。ゆえに、ここに私は宣言する! カイル・ランスを、この国の名門グレンジャー家の養子として迎え入れることを!」
お父様の言葉が響くと、観客席から、さらに大きなざわめきが起こった。
「あの王家に次ぐ名門貴族の?」
「カイルという騎士は、下級貴族なんだろう?」
驚きと困惑の声が波のように駆け巡る。
私とカイルは、そっと顔を見合わせた。
「幼い頃より、王となるための教育を受けてきたギルフォード殿下と違い、ただ騎士となるためにひたすら精進してきたカイルが、王女を補佐する役割を担うことに不安を覚える者もあるであろう。だが、どうか安心してほしい。今後カイルは、心より信頼の置ける教育係であるオルブライトの下で、リナリアを補佐するに足る知識と教養を、徹底的に身につけることになるであろう!」
闘技場全体が、シンと静まり返っている。
さっきまでのざわめきが嘘のように、誰もが息を殺し、お父様の話に聞き入っていた。
「そして――充分に研鑽を積んだ数年後、第一王女リナリアと、グレンジャー家を継ぐカイルとの、婚姻の儀を執り行うつもりだ!」
瞬間、観客席から大きな歓声が上がった。
「親愛なる我が民よ! カイルと同じく我が娘を愛してくれた、ギルフォード殿下が見抜いた彼の真心を信じ、この若い二人に、温かい祝福と変わらぬ信頼を寄せてはもらえまいか?――私は信じている! 我が国の未来は、彼らの手によってさらに輝かしいものとなるであろう! 我が民よ、新たな時代を切り開くこの二人の門出を、共に祝おうではないか!」
お父様の呼びかけが終わると、闘技場は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。
「おめでとうございます、リナリア姫殿下!」
「おめでとうございます、カイル様!」
「お二人の未来に幸あれ!」
温かな祝福の声が次々に上がり、闘技場を包み込んでいく。
私の胸に熱いものが込み上げてきた。
嬉し涙を浮かべてカイルに視線を移すと、彼もまた、感激したように瞳を潤ませていた。
互いの視線が重なる瞬間、私たちは静かに微笑み合った。