本城へ?
「ほぇっ? 本城に?」
決して泣かないと誓いを立てた日から、しばらく経ったある日。
朝食時、いきなりセバスチャンから告げられたことに驚き、思わず、間の抜けた声を上げてしまった。
どうやら、本城に来るようにと、昨夜、お父様からお達しがあったらしい。
「左様でございます。何やら、至急、お話したいことがあるとの仰せでございまして……」
セバスチャンは、ソワソワと落ち着かない様子だ。
私は大きく首をかしげ、素朴な疑問を口にした。
「本城に行くのは、全然構わないけど……。本城ってどこにあるの? ここから、だいぶ遠い?」
お父様が、本城ってとこにいるのは知っている。
でも、この世界に戻って来てから、あと数ヶ月で一年になるけど、今まで一度も行ったことはなかった。
考えてみれば妙な話だ。
一応、この国の姫って立場なのに、自分の父親がいる場所にすら、行ったことがなかったなんて。
……まあ、親子が離れ離れに暮らしてるってこと自体、おかしいと思うんだけど。
それはまあ、桜さんのことがあったからだろうし……。
う~ん……本城かぁ。
いったい、どんなとこなんだろ?
「なあに、歩いて行くわけではないのですからな。馬車に揺られておれば、すぐでございますよ。この国の首都の北方――街道を通りまして、更に少々行った先に、本城はございます」
セバスチャンは、さらっと言ってくれちゃってるけど……。
たとえ近かろうと、初めての場所に行くってゆーのは、やっぱり、ちょっと緊張しちゃう。
「ん~……。わざわざ呼び出してまで話したいことって、なんなんだろーね? ややこしい話じゃなきゃいいけど……」
「ややこしい話――でございますか?」
「うん。……たとえば、国政に参加しろとか、私の代わりに、どこどこへ行ってくれとか……。そーゆー、メンドクサイ話じゃなきゃいいなーって」
姫と言っても、この国の勉強を始めてから、まだ少ししか経ってない。
礼儀作法や、この国や他の国の地理や歴史、兵法(『姫が兵法!?』ってギョッとしたけど、この国では、女性も男性も、王になる可能性があるんだから、習っとかなきゃいけないらしい)だって、最近学び始めたばかりなんだし……。
どう考えたって、国政に関わるお役目なんて、まだまだ引き受けられる状態じゃないじゃない?
「まさか、そのようなこと。姫様がこの国に戻って参られましてから、一年も経っておりませんのに。陛下とて、そのようなご無理はおっしゃいますまい」
ホッホホッホと笑いながら、ノンキに語るセバスチャンに、少し気持ちが軽くなった。
「そ、そーだよね? そんなお役目、いくらなんでも早過ぎるって、お父様だってわかってるよねぇ?」
私もつられて笑いつつ。
そこでいったん、その話はおしまいになったんだけど……。
本城で私を待ち構えていたのは、お父様からのとんでもないお願い。
……ということを、その時の私は、当然、知る由もないのだった。
朝食が済んでから、急いで身支度を整え、セバスチャンを伴って馬車に乗り込んだのは、お昼少し前。
さすがにその時は、城の門番さん達や、騎士見習い数人が、見送りやらエスコートやらしてくれて。
私は初めて、セバスチャン達以外の城の住人を、間近で見ることが出来た。
この国の城内では、『なるべく王室の者の目に触れないように働く』っていう、よくわからないルールがあって。
城で働いてくれている人達も、そんなヘンテコルールを、律儀に守ってくれているもんだから。
今回、生まれて初めて、彼らの生の姿を確認することが出来て、私は心底感動してしまった。
なんてゆーか、『ホントだ! ホントにいた!』って、珍獣でも発見してしまった時のよーな……。
とにかく、めちゃくちゃ感動した。
どのくらい感動したかってゆーと、私をエスコートしてくれた騎士見習いさんの手を握り、にっこり笑って、『はじめまして。いつもありがとう』ってお礼言っちゃったくらいに。
もちろん、すぐに、
「姫様! 下賤の者の手を握り、気安く笑い掛けられるなど……姫様のような高貴なお方がなさることではございませんぞっ!?」
とかってセバスチャンに怒られて、強引に手を引き離され、そのまま馬車に押し込められちゃったんだけど。
でも、お礼言った時の騎士見習いさん、すっごくギョッとしてたなぁ。
そこまで驚かなくても……って、ちょっとショックだったんだけど。
彼からしたら、当然っちゃあ当然な反応なのかな。
出掛けにそんなことがあったせいか。
私はしばらく落ち込んでいて、馬車の乗り心地やら、表の様子やらを、気にする余裕もなかった。
外の景色を見たいと言っても、カーテンはきっちり閉められてたし。
開けようとすると、セバスチャンに叱られるしで、外の様子を窺うチャンスもなかったんだけどね。
『どーして外見ちゃいけないの? この国の姫として、自分がどういう場所に住んでるのかとか、人々の暮らしはどんな感じなのかとか、この機会にしっかり見ておきたいって思うのは、当たり前のことでしょ?』って文句言ったら。
『この国の姫君であらせられるからこそ、でございます! 高貴なお方は、そう易々とお姿をさらされるものではございません!』とかって、注意されちゃったし。
……まったく。なんなのよ? 『高貴な方』『高貴な方』って、しつこいくらいに強調してくれちゃって。
ただ、身分が高い人の娘として生まれて来ちゃった……ってだけのことじゃない。
同じ人間であるってことには、何ら変わりはないのに……。
『身分の差は絶対です』
「――っ!」
突然、カイルの声が頭に響いて、私はハッと息を呑んだ。
いつだったか、カイルに言われたこと。
私を忘れようと――諦めようとしていたカイルが、自分に言い聞かせるように放った、悲しい言葉……。
……ヤダな。
なんで突然、こんなこと――。こんな辛い記憶を、呼び起こされなきゃいけないの?
あの言葉は、カイルの本心なんかじゃなかったのに。
私を諦めるなんて無理だって、あの言葉は嘘だったって……その後、ちゃんと私に伝えてくれたのに。
なのに、どーして……?
どーしてまた――?
「姫様。いかがなさいましたか?……もしや、酔っておしまいになられたのではございませんでしょうな?」
セバスチャンに訊ねられたとたん。
私は、自分の手が小刻みに震えていることに気付いた。
慌てて顔を上げ、自分の両手を後ろ手にして隠すと、無理矢理に微笑んでみせる。
「ううん、大丈夫。酔ってなんかいないよ? だから、心配しないでセバスチャン」
セバスチャンは、『ならばよろしいのですが……』と、しばらく私の顔をじっと見つめていたんだけど。
急にキョロキョロし始めて、
「ピっ?……どうやら、到着したようでございますぞ」
そう告げると、閉じていたカーテンを上げ、私の意識を外へと促した。