騎士団長の謎
雪緋さんとの別れから、数時間ほど経った頃。
私は一人、船のデッキでぼんやりと海上を眺めていた。
迎えの船は、ザックス王国から蘇芳国に渡った時とは違い、かなり小さめだった。
でも、騎士専用(他国の偵察や見回りなどに使用するらしい)の船ということだったから、豪華さは、むしろもっと上だったかもしれない。
「これだけ豪華な船が存在するかと思えば、通信手段は鳥さんだし……。この世界、文明が遅れてるんだか進んでるんだか、よくわからないところがあるのよねぇ……」
海を眺めながら、思わずつぶやく。
「『文明が遅れている』?――それは聞き捨てならんな。ザックス王国は東方の小国などに比べれば、かなり進んでいる方だと思うが?」
いきなり背後から声がして、私はギョッとして振り返った。
「……なんだ。先生……」
誰かは、振り向く前に声でわかっていたけど。
一人でボーッとしてるところに、突然現れるんだもの。ビックリしちゃうじゃない。
「『なんだ』とはなんだ? 失敬な」
先生の眼鏡がキラーンと光る。そしてその奥のヴァイオレット色の瞳が、『ヒッ』と悲鳴を上げたくなるほど冷たく輝いた。
「いえっ、あのっ。――と、突然のことでビックリしちゃって。……うぅ……すみません」
ションボリしつつ謝ったら、先生はため息をつきながら私の隣に並んだ。
「まあ、いきなり声をかけた私も悪かった。その点は謝罪しよう。すまなかった」
「あ、いえっ! そんな、謝っていただくほどのことじゃ――っ」
(妙に素直な先生なんて、逆に怖いんですけど……)
心の中でつぶやいて、私はアハハと力なく笑った。
「でも……先生もデッキに出ることがあるんですね。ちょっと意外でした」
いつも室内で本読んでるか、お茶飲んでるか、そのどちらもか――って感じだもんね。
表に出ることがあるとすれば、庭(蘇芳国だったら森)で動植物を観察してる時くらいだし。
「私とて、気分転換くらいする。……まあ、今回はそれが目的ではないが。君に訊ねたいことがあってね」
「え? 訊ねたいこと?」
先生が私に訊きたいことなんて、珍しいこともあるもんだなと、私は軽く首をひねった。
「そうだ。君は閣下から、迎えに参られた理由を聞いているか?」
「閣下?……ああ、マティアスさんのことでしたね」
この世界では、上流貴族の男性の呼称は〝閣下〟なんだそうだ。
中流貴族は〝卿〟、下級貴族や特別な役職を与えられた平民は〝殿〟、もしくは〝様〟。
ちなみに先生は、特別な役職を与えられた平民に属するらしい。カイルは下級貴族。
でも、先生とカイルまでは〝中流階級〟扱いで、イサークは……。
……あれ? どこに属するんだろう?
彼は、私がお父様にお願いして、騎士見習いの資格を与えてもらったんだから……まだ平民、ってことになっちゃうのかな?
晴れて騎士になれたら、身分も中流になるとか?
う~ん……よくわからないや。
先生に訊きたいところだけど、今は私に用があるらしいから、別の機会にしよう。
「えっと、確か……『予定より、かなりお帰りが遅れていらっしゃったので』とか、『陛下に進言申し上げまして、こうしてお迎えに上がった』とかって、おっしゃってましたよ?」
私の返答を聞いたとたん、先生は『なに?』と顔をしかめた。
「閣下がそうおっしゃったのか? 聞き間違いではなく?」
「え?……え、ええ……たぶん」
「……たぶん?」
「あっ、いえ! 絶対です、絶対! ちゃんとこの耳で聞きましたっ!」
「……妙だな」
疑われているのかと焦った私は、思い切り首を横に振った。
「みょ、妙なんかじゃありません! 私、ホントにちゃんと聞――」
「君のことではない、閣下だ」
「……え? マティアスさんの?」
「そうだ。迎えに参られた理由を『予定より、かなりお帰りが遅れていらっしゃった』から――とおっしゃったのだろう?」
「え、ええ」
「それはおかしい」
「おかしい? どうしてですか?」
訊ねたとたん、先生は身も凍るような視線を私に投げた。
「どうして? どうしてだと!? こんな簡単なこともわからないのか君はッ!?」
息継ぎなしで言い切ると、先生は大きなため息をつく。
私は何が何だかわからなくて、ポカンと口を開けて先生を見返すことしかできなかった。
「いいか、よく聞きたまえ。私たちが蘇芳国に着いたのは四月二十日だ。そして今日は五月五日。これだけ聞けばわかるな?」
「……へ? 『わかるな』って……何がですか?」
私の返答を聞いた先生は、一瞬『信じられない』というような顔つきで私を見つめ、再び大きなため息をついた。
「もういい。君に気付きを求めた私がどうかしていた。――これだけ言ってもわからないようだから、仕方ない、教えてやろう。私たちがザックスから船に乗ったのが、三月の十五日。先ほども言ったように、蘇芳国に着いたのは四月二十日だ。つまり、ザックス王国から蘇芳国まで来るのに、一月以上はかかるということだ。ここまではわかるな?」
「えっ?……あ、ああ……はい」
「私たちが蘇芳国に滞在していたのはたった半月! たったの半月だぞ!?」
「は……はぁ?」
滞在期間が半月だと、何かマズいことでもあるの?
どうして先生は、こんなに興奮してるんだろ……?
「陛下は私が蘇芳国について調べたいことが山ほどあることをご存知だった。しかも、紫黒帝からの書状には〝長期の滞在を望む〟と書かれていたそうだ。動植物や文化などについての調査も、してくれて構わぬとの仰せだったそうだから、『思う存分、調べてくればよい』とおっしゃってくださっていたのに! それがたったの半月? 半月で帰国だと? どう考えても不自然だ!」
……あ、なーんだ。
もっと調べたいことがあったのに、急に帰国ってことになっちゃったから……拗ねてるってこと?
先生の知識欲も困ったものだなぁと、私は苦笑いしそうになった。
「それだけではない。考えてもみたまえ。私たちがまだ半月しか滞在していないというのに、閣下は『お帰りが遅い』とお感じになったのだろう? おかしいではないか! 蘇芳国までは一月以上かかるのだから、閣下が私たちの滞在期間を二~三日ほどだろうとお考えであったとしても、『お帰りが遅い』とお感じになられまでは、二月以上経っていないとおかしいのだよ。日数が合わないのだ」
「日数?……あっ、そっか! 来るのに一月ちょっとかかるってことは、往復なら二月半くらいはかかっちゃうってことで……。だとしたら、『遅い』って感じるのも、二月半以上経ってからじゃないとおかしいのか!」
「そうだ。ようやく理解したようだな。――私たちが蘇芳国に到着してから、たった半月後に迎えの船が着いたということは、閣下がザックスを出航したのも、私たちが出航してから半月後ということになる。『お帰りが遅い』などと、お感じになるはずがないのだよ」
そっかー!
確かにそれはおかしいわ。
でも、マティアスさん……。
どうしてそんな、すぐバレちゃうような(私はボケボケしてるから気付かなかったけど)嘘を?
私は腕を組み、首を傾げて『う~ん』と考え込んでしまった。