芝居を終えて
白藤が〝帝の次の正室〟になるのはどうかと、藤華さんに勧めた瞬間。
紫黒帝は周囲に響き渡るほど大きく、驚きの声を上げた。
まあ、それはそうだろう。
紫黒帝と藤華さん、二人の間ではすでに約束されていることだとしても。
まさか、神から結婚を勧められることがあるなんて、思ってもいなかっただろうから。
紫黒帝のうろたえっぷりと言ったら、誰の目にも明らかで。
大げさに咳払いしたり、一メートルくらいの距離をブツブツつぶやきながらいったりきたりするなどして、忙しかった。
私はと言えば、白藤に体を乗っ取られているフリをしていなければならなかったから。
挙動不審な紫黒帝を目で追いつつ、必死に笑いを堪えていた。
(フムン? さすがに差し出がましかったかのう?……リナリアよ、我の伝えるべきことはあと少しじゃ。用意はできておるか?)
「……うん、大丈夫。続けて」
なるべく口を大きく開けないようにして、早口でつぶやく。
白藤は『では、いくぞ』と言った後、再び私にだけ聞こえる声で想いを語った。
「すまぬ、今のはただの思い付きじゃ。そちらのことに口を挟もうとしたわけではない。ただ――正室を亡くしたばかりで、ここのところ、皆が打ち沈んでおるように思えたからのう。帝とやらが新しい正室を迎えれば、慰めになるのではないかと考えてのことよ。……フムン。いらぬ世話じゃったかのう? 帝とやらと藤華であれば、似合いじゃと思うたのじゃが……」
チラリと二人の様子を窺うと。
紫黒帝も藤華さんも、着物の袖で顔を隠してうつむいている。
恥ずかしすぎて、とうとう耐えられなくなったのかな? などと思いながら、私はフッと笑みをこぼした。
「――まあ、よい。その辺りは、そちらの好きにすればよいじゃろう。我が無理じいできることではないしのう。……とにもかくにも、これより我は眠りに就く。その間――必ずや息災でおるのじゃぞ、我の愛しき子らよ。幾年眠りに就こうとも、我は常にそちらと共にある。ゆめゆめ忘れてはならぬぞ――」
言い終えると、白藤はゆっくりと下降し、私を地上に降り立たせた。
私はゆっくり目を閉じ、数秒の後、再びカッと目を開ける。
そして、たった今、自分の体に戻ったかのように、
「あ……あれ? 私、どうして……」
つぶやきながら、『どうしてこんなところにいるのかわからない』というような演技をしてみせた。――これはうまくいった気がする。
「えっ……と……。私、今まで……何を……?」
わざと混乱したようなセリフを言い、周囲をゆっくりと見回す。
「リナリア……!」
紫黒帝が駆け寄ってきて、私の両肩に手を置いた。
そしてじっと見つめた後、
「……よかった、もとに戻ったのだな」
ホッとしたように微笑む。
「あの……。私、どうしてここに……?」
恐る恐るといった風に訊ねると、紫黒帝はコクリとうなずいて。
「うむ。今まで、そちの体には神が宿っておったのだ。そのお陰で、特別な能力を持っておらぬ我らでも、神の声を聞くことができた。礼を言うぞ、リナリア」
紫黒帝の言葉に、集まってきていた人々も笑顔でうなずいている。
なんとかうまくいったようだと、私は安堵のため息を漏らした。
「いえ、そんな。お礼なんて……。私はただ、気を失っていただけ、ですし……」
「いいや。そちがおればこそ、我らは神の御心を知ることができたのだ。そちがいてくれねば叶わなかった」
「……帝……」
(ムフン。初めはどうなることかと思うたが……。そちは立派にやり遂げたのじゃ。誇ってよいと思うがのう?)
白藤の嬉しそうな声がする。
でも、『初めはどうなることかと』思った、って……。
「リナリア姫殿下、ご無事ですかっ?」
複雑な気持ちになりかけたとたん、心配した様子で萌黄ちゃんが駆け寄ってきた。
「あ……。う、うん。ちょっと疲れたけど、大丈夫。体はなんともないよ?」
「そうですか、よかったぁ……」
萌黄ちゃんは自分の胸元に両手を当て、ニコリと微笑む。
藤華さんも後ろから静かに近付いてきた。萌黄ちゃん同様、不安げな表情を浮かべている。
「リナリア姫殿下……。ご無事で何よりですが、あの……まことに、お体に差し障りはございませんか?」
「ええ、平気です。どこもおかしく感じるところはありません。ただ、えっと……私、何を言ったんですか?」
私の質問に微笑み、藤華さんは今起こったことを説明してくれた。
まるで、本当に私の記憶がないと思っているかのように、ゆっくりと、噛み砕くように。
それが済むと、紫黒帝は集まった人々の方へ振り向き、高らかに宣言した。
「今日、我らは神のお告げを聞いた。神結儀の真の意味を知った。これより蘇芳国は、新たな時代へと踏み出す。――皆の者。この日を決して忘れることがなきよう、しっかと心に刻み付けるがよい」
紫黒帝の言葉に、周囲の人々はわっと沸き立つ。
中には泣いている人までいて、彼の影響力はやはりすごいんだなと、改めて思った。
紫黒帝の顔には、静かな喜びが浮かんでいた。
その顔を藤華さんの方へと向けると、彼女は恥ずかしそうにうつむく。
(……フム。これでうまくいくとよいのじゃが。この二人はともかく、周囲の者たちがどう思うておるかが問題じゃのう)
今度は、少し暗めな白藤の声が聞こえてきた。
私はこっそりと彼のいる方へ視線を向け、『きっと大丈夫』という思いを込めて、小さくうなずいた。
――その時。
遠くから慌ただしい足音が聞こえてきて、
「帝、急報でございます! ザックス王国より使者が参られました!」
息を切らせた役人らしき人が膝をつき、紫黒帝に報告した。