神の言葉
白藤の言葉を伝えようとする私を、人々が固唾をのんで見守っている。
藤華さん、萌黄ちゃん、紫黒帝も――今は緊張した面持ちで、こちらをまっすぐ見つめていた。
「神結儀は、〝神と巫女姫との婚姻を結ぶ儀式〟として、そちらには伝わってしまったようじゃが……本来は、そのようなものではないのじゃ。我は、人との契りをそちらに求めたことなど一度もない。巫女姫と契りを交わした後に、新たな力を与える――などと、誓約を交わした覚えもないのじゃ」
ザワ……ッと一斉にどよめきが起こる。
神のために行っていたはずの儀式が神自身から否定され、動揺しているようだった。
「数百もの長き間、そちらの思い違いを正すことができずにおったこと、我も心苦しく思うておる。じゃが、どうしようもなかったのじゃ。我の気を受け、そちらに伝えることができる者――リナリアのような者が、今まで現れなかったのじゃからな」
(フムン。――良い調子じゃ。ようやく落ち着いてきたようじゃな)
話の途中、白藤が耳元でささやく。
私は少ーしだけ自信が湧いてきて、小さくうなずき、白藤の次の言葉を待った。
「――リナリアの母である紅華もまた、力の強い巫女姫であったが……。あの者はちぃと、体の方が弱かったからのう。我の気を受け止めさせようものなら、確実に命を削ることになっておったじゃろう。じゃから我は、ひたすら待つしかなかったのじゃ。リナリアがこの国に渡ってくるのをな――」
……ああ、そうか。
前にチラッと、『お母様では白藤の言葉を伝えることはできなかったのかな?』って思った時、
(それはちいと違うかのう)
って言ってたけど……。
あれは、お母様には『できなかった』んじゃなくて。
体に支障があったら大変だから『させられなかった』んだ――って、そういうことが言いたかったのか。
お母様の体のことを、心配してくれてたんだな……。
白藤の優しさに感謝しながら、私は彼の言葉を伝え続けた。
「リナリアの来訪により、ようやくそちらに、我の真の願いを伝えることができることを嬉しく思う。――先ほども申した通り、我は巫女姫との契りを求めてはおらぬ。我が求めるは、ひとえにそちらの信心のみぞ!……よって、これより後、神結儀は、ただ神に祈りを――舞を捧げる奉納の儀式とのみ心得よ! 巫女姫の舞は、神へ捧げる舞――国の繁栄と平和を願う舞として生まれ変わらせるのじゃ!」
集まった人々から、一斉に歓声が上がる。
私は白藤になったつもりで眼下の人々をゆっくりと見回し、大きくうなずいてみせた。
「それからのう……我はそちらに、もひとつ告げねばならぬことがあるのじゃ。この後、我は幾年かの眠りに就く」
瞬間、歓声がピタリと止んだ。
代わりに、困惑の声や絶望、悲鳴、中には怒号のような声が上がり始める。
「我がこの国に降り立ってから、幾多の時が過ぎた。その間に、我は力を使いすぎたのじゃ。再び力をたくわえるためには、長い眠りが必要なのじゃ。我が眠うておる間、この国は神不在も同然の状態になってしまうわけじゃが……。なあに、憂うことはない。皆で力を合わせれば、幾多の試練を乗り越えることができるじゃろう。人には、それだけの力があると――我は信じておる」
今までのざわめきが、嘘のように静まり返る。
神の声を一言も聞き漏らすまいと、皆、必死に耳を傾けているようだった。
「恐れることはない。我は眠うておろうとも、この国のことを感じることができるからじゃ。皆が我に祈り続け、信じ続けることを止めぬ限り、我はいつでもこの国の民と共におる」
シンとした中、ところどころで、すすり泣きの声が漏れ出した。
感動しているからか、失望しているからか、はたまた別の感情によるものか――私には判断できなかったけど。
みんな、真剣に聞いてくれている。そのことだけは、確実に伝わってきた。
「――さて。しまいに、これだけは伝えねばならぬじゃろうのう。……巫女姫はおるか?」
藤華さんに目を移すと、彼女はハッとしたように目を見開いた後、その場に腰を下ろし、深々と頭を下げた。
「は……はい。こちらに――」
彼女は緊張した様子で返事をした。
いったい何を伝えるつもりだろう? 私はハラハラしながら白藤の言葉を待った。
「長きにわたり、そちら巫女姫には辛い思いをさせてしまったのう。神との婚姻――そんなもののために、そちらの生涯を捧げさせてしもうた。そちより前の巫女姫全てにも、伝えなければならぬことではあったが……今となってはそれも叶わぬ。せめて、そちにだけでも伝えさせてくれ。……まことにすまぬことをした」
藤華さんは頭を下げたままだったけど、白藤の謝罪の言葉を耳にしたとたん、肩がピクリと動いた。
彼女は僅かな間を置いて、『そ、そのようなお言葉……。まことに畏れ多いことにございます』と、震える声で返した。
「これより先、そちの生涯はそちのみのものじゃ。我に縛られることはない。次の巫女姫が現れるまで、日々の務めと神結儀の奉納の舞のみを、事とすればよい。婚姻は……そうじゃのう、帝の次の正室――というのはいかがかのう?」
「――えッ!?」
ひときわ大きな声が上がって、驚いてそちらに目を移すと――そこには紫黒帝がいた。
彼は大きく目と口を開き、立ったまま私を見上げていたんだけど。
注目を浴びていることに気付くと、恥ずかしさをごまかすように咳払いした。