月禊の日
神結儀が再び催される日が、今月の藤華さんの月禊の翌日に決まった。
そして今日が、月禊の当日――。
「そっか! 月禊ってことは、雪緋さんがウサギになっちゃう日でもあるんだ!」
あさげを済ませた後。
ふと大切なことを思い出し、私は雪緋さんを振り返った。
彼は私の視線に気付き、恥ずかしそうにうつむく。
「は……はい。姿が変わるのは日中ではなく、日が沈んでからですが……」
「じゃあ、日が沈む前までには藤華さんのところへ行かなきゃだよね?」
「はい。昼に翡翠――あ、いえ。カイルとお役目を交代しましてから、少々眠らせていただき、神の憩い場に身を清めに参ります。その後、藤華様を月禊するための宿舎、星陽舎へとお送りし、一晩お護りする役目に就かせていただくのです」
「一晩かぁ……。月禊って、具体的にどんなことするの?」
「え?……あ。ええと……星陽舎に着きましたら、藤華様は側にございます月禊の泉で、お体をお清めになります」
「〝月禊の泉〟? へえ……そんな泉があるんだ?」
「はい。古来よりこんこんと湧き出ている清らかなる泉です。お清めがお済みになりましたら、今度はお祈り用の衣にお着替えになり、一晩、神に祈りを捧げるお役目をお務めになるのです。その間、私は部屋の隅で、お見守りのお役目に就かせていただきます」
「一晩って……一晩中? 朝までってこと?」
驚いて、少しだけ声が上ずってしまった。
「はい。朝までです」
「ほえ~……それじゃすっごく大変だね。……あ。でも、雪緋さんは長時間眠らなくても大丈夫なんだっけ?」
「はい。ですから、私は特に大変に思うことはございません。大変な思いをなさいますのは、藤華様お一人です」
「そっか。巫女姫のお務めって、やっぱりいろいろと大変なんだ……」
一晩中眠らずに神に祈りを捧げる――なんて、かなりキツそうだけど。
藤華さんは毎月ずっと、それを続けてるんだよね……?
神に祈りを……って、その神ってつまり、白藤のことなんでしょう?
白藤は、そんなこと望んでるようには見えないけどなぁ……。
う~ん……。
でも、そういう問題でもないんだろうし……。
「そうだ! 月禊前に藤華さんにお会いしに――……っと、あ~……ダメなんだっけ。神結儀の前の数日間は、雪緋さんとカイル以外、藤華さんとは会っちゃいけないんだよね?」
「はい。そのように取り決められております。リナリア姫様や帝であらせられましても例外なく、藤華様にはお会いできません」
「そっかー、残念だなぁ」
私はガックリと肩を落とした。
「藤華さんに、紫黒帝との仲は今どんな感じになってるのか、お訊きしたかったのに……」
「な――っ!」
雪緋さんは、私の言葉に目を白黒させている。
「な、何を……! そのようなこと、軽々しく口にされてはなりません! リナリア姫様であらせられましても、み、みみ、帝ととと、藤華様の仲が――などと、そのようなことは……!」
顔だけでなく、耳や首元まで真っ赤に染まってしまっている。
……雪緋さんってば。
もういい大人なのに、相変わらず純粋というか純情というか……。
私は思わずクスッと笑い、『軽率なことを言ってごめんなさい』と謝った。
昼になり、雪緋さんはカイルと交代するため、彼ら――護衛や門番などの職に就いている人たち――の部屋へと戻っていった。
ちなみに、彼らの部屋は大部屋で、そこを仕切りで分けて二人部屋のようにして暮らしているらしい。雪緋さんは、カイルと同室なんだそうだ。
カイルがここに来るまでの間、私はぼんやりと中庭を眺め、この前、白藤から頼まれたことについて考えていた。
――神結儀の日。
私たちは御所の人々に向けて、大芝居を打つことになった。
神結儀が始まる前、白藤が私に乗り移って〝神の言葉〟を伝える。
その間、私は自分の中で大人しくしていればいい。
……というのが、白藤のからのお願いというか、提案だったんだけど。
いくら一時的とは言え、自分の体を乗っ取られるというのは、気分が良いことじゃない。
どうにかならないのか――と話し合った末、
(それでは、我がそちに乗り移ったことにする――というのはどうじゃ? 我の発した言葉を、そちがそのまま伝えるのじゃ。その間、そちは〝神が乗り移った〟ように見えるよう、芝居をし続けなければならんが……。どうかのう? そちに務まるかのう?)
ということで、私がお芝居することに決まったんだけど……。
正直なところ、すごく不安だった。
私、お芝居なんてしたことないし。(あえて言うなら、向こうの世界で小学生の時にやった【白雪姫と七人の小人】の、小人の一人くらいだ)
白藤の言ったことを、そのまま言えばいいだけならまだしも、〝神が乗り移った〟ように演技しなきゃいけないんだもの。
「う~ん……私にできるのかなぁ? ポンコツ演技で、全部台なしにしちゃったらどうしよう……」
つい、不安を口にしてしまったら。
「ポンコツ演技?……いったい、何を悩んでいらっしゃるのですか?」
不思議そうな顔をしたカイルが、こちらに向かって歩いてくるのが目に入った。