神結儀、変更宣言
白藤が私にしてきた頼みごと、それは――、
(そちの体を、少しの間貸してくれんかのう?)
……ということだった。
「はあ!? 私の体を貸すぅ!?」
思わず声が裏返る。
「……何それ、気持ち悪い。ぜーーーったい、イヤッ!!」
当然のことだと思うけど、私はすぐさまキッパリと断った。
……だって、体を貸すって……それ、『体を乗っ取られる』ってことでしょう?
露草さんと千草ちゃんみたいに、信頼関係が強固な間柄っていうならまだしも。
私と白藤は、まだそれほどの信頼関係は築けてないと思うし。
第一、体を乗っ取られている間、何されるかわからないなんて……そんなもの、恐怖でしかないじゃない?
だから、ハッキリキッパリ、お断りさせていただいたんだけど。
(冷たいのう……)
白藤は宙に浮きながら、まるで拗ねた子どものように口をとがらせた。
(我とそちの仲じゃろう? もうちいと我の気持ちを汲んでくれても良いと思うんじゃがのう……)
「なによ、『我とそちの仲』って?」
私は腰に手を当てて反論する。
「私たちって、そんなこと言えるほどの親しい間柄だったっけ? 生まれた時から側にいたっていうお母様とだったら、もしかしたら、深い信頼関係築けてたのかもしれないけど……」
言いながら、少し首を傾げて宙に浮いている白藤を見上げる。
白藤は『むむぅ』と詰まった。その表情は、まるで予想外の反撃を受けたかのようだった。でも、すぐに立ち直ると、
(何じゃ何じゃ、冷たいのう冷たいのう)
空気をかき混ぜるように周囲を漂いながら、不満をぶつけてくる。
(我をさんざんこき使っておいて、よくもそんなことが言えたものじゃ。そちには感謝の気持ちや労りの心というものはないのかのう?)
その声色には、本物の恨みがにじんでいるように感じられた。
「う……っ。それは……その……。もちろん、感謝はしてるけど……」
(嘘じゃ嘘じゃ)
白藤は私の言葉をさえぎるように、細い指を突き出した。
(そちは嘘をついておる。我に感謝しているのであれば、あのように冷たい言葉は言い放てぬはずじゃ。そちは我に感謝など、少ぅーーーしもしておらぬのじゃろう?)
……という風に、ネチネチ口撃は続き……。
「あーっ、もう! うるさいなぁ!」
私はついに爆発した。
「神のクセにネチネチネチネチネチネチと!!……わかったわよ! 考えてあげるから……せめて、どうして体を借りたいのかくらいは説明して!」
深呼吸して、少し冷静さを取り戻す。
「こっちは大事な体を貸すんだから、そのくらいはしてくれなきゃ割に合わないわ! 全ては――……そう、交渉に入るのはそこからよ!」
片手でビシッと白藤を指差し、私は大声で言い放った。
白藤は意外にも素直にうんうんとうなずき、
(当然じゃ。何ゆえに、我がそちの体を必要としておるのかは、初めから話すつもりじゃったわ)
まるで、自分が悪くないとでも言いたげに胸を張る。
(理由も話さずそちの体を借りようなどと、さすがの我とて思わぬ)
さらに、心外だと言わんばかりに、私の周りをぐるぐると回りながら主張してきた。
「……うん、わかった。最初から話してくれるつもりだったのね?」
私はガックリと肩を落とし、疲れた声で返す。
「……わかった。わかったってば。『常識外れの白藤なら、ろくに説明もしないまま体を乗っ取ってきそう』とかって、思っちゃっててごめんなさい。……もうわかったから、謝るから」
いい加減、白藤の相手をするのも疲れてきて、私は半ば投げやりになりながら謝罪した。
「だから早く――さっさと理由を教えてくれない?」
白藤は『フムン。わかればよいのじゃ』と胸を張った後、私の目線まで下りてきた。
そして何故か自慢げに、
(どうせまた近いうちに、神結儀があるじゃろう? そこで我が、そちの体を使って一芝居打つ――というわけじゃ)
重大な秘密を打ち明けるように、白藤は顔を近づけてきた。
「……はぁ? 『一芝居打つ』……?」
(そうじゃ、芝居じゃ)
白藤は興奮した様子で続ける。
(我はそちの体を通し、皆に命じるのじゃ。『我は神なり! これから皆に、我の長年の想いを伝える。我は、巫女姫を娶ることなど望んでおらぬ! 巫女姫を娶った後に新たな力を与えるなどと、誓約を交わした覚えもない! それらは皆、人が勝手に取り決めたことにすぎぬ!)
白藤の声は次第に高まって行く。
(よって、今日限りで巫女姫を神に捧げる代わりに力を得る――などという儀式は、即刻取りやめるのじゃ! これより後、神結儀は、ただ神に祈りを――舞を捧げる奉納の儀式のみと心得よ!)
それから、声をわずかに落として続けた。
(……我は力を使いすぎた。再び力をたくわえるため、幾年かの眠りに就かねばならぬ。その間この国は、神不在の国となるが……皆で力を合わせ、己たちの力のみで乗り越えてみせよ! 人には、その力がある!』――とな)
白藤の言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
「え……。神結儀を……『ただ神に祈りを――舞を捧げる奉納の儀式』に……?」
そして、もっと重大な部分に気付く。
「『幾年かの眠りに就かねば』……って……。ほ……ホントなの? ホントにしばらく眠っちゃうの?」
いきなりの〝休息宣言〟に、私はただただ驚き、呆然とししてしまった。
白藤は苦笑し、腕を組みつつ大きくうなずく。
(まことじゃ。そちがこき使いすぎるからのう)
責めるような口調ではなく、どこか諦めたような優しさがあった。
(近頃、眠うて眠うてしようがないのじゃ。ここらでちいと眠りに就き、力をたくわえねば持たんのじゃ)
「……そん……な……。じゃあ、私のせいで……?」
胸が締め付けられるような感覚と共に、罪悪感が押し寄せる。思わず涙ぐむと、白藤は幼い子をなだめるように、私の頭を軽くポンポンと叩き、
(これこれ、思い違いをしてはならん。そちがこの国にやって来る前から、その兆しはあったのじゃ。決してそちのせいではない)
そう優しく言い聞かせ、最後に軽く頭をなでた。その手の感触は、まるで風が頬をなでるような、かすかなものだった。
ずっと側で私達のやり取りを見ていた千草ちゃんが、心配そうに見つめる中、
「白藤……」
私はとうとう我慢できず、ポロリとひと粒、涙を流した。
白藤はふわりと微笑むと、
(さあて、次の神結儀はいつになるかのう?)
まるで、さっきまでの重苦しい空気を払うかのように、明るい声で告げる。
(それまでには、我になりきれるようにしておいてもらわねばならんぞ。……のう? リナリアとやらよ)
白藤は私のひたいに人差し指を当て、軽くツンツンとつついた。
その目には、どこか期待と信頼の色が浮かんでいるように見えた。