二人目の〝神が見えし者〟
私と千草ちゃんが、藤華さんの借りの住まいである胡蝶殿(ちなみに流麗殿の東側にある。流麗殿は床などがかなり焼け焦げてしまったので、月花殿と共に再建するのだそうだ)を後にした時だった。
(藤華もようやく、帝とやらと番になれたようじゃのう)
いきなり頭上から声が降ってきて、私は『ひゃあっ!』と声を上げてしまった。
頭上から声を掛けられる存在なんて、そうそういない。
私はキッと上方をにらみ付けた。
「もうっ、急に声掛けてこないでって何度も言ってるでしょ!? 寿命が縮まるのよ、寿命がっ!」
そこにいたのは当然ながら白藤で。
相変わらずフワフワと空中に浮かびながら、『フムン?』と首を傾げている。
(そちがこの国にやってきてから、何日経ったと思うとるんじゃ? そろそろ慣れてくれてもよいと思うんじゃがのう?)
白藤は親指と人差し指であごを挟み、不満げな顔で私を見返した。
「慣れるわけないでしょっ! ムチャ言わないで! だいたい白ふ――っ)
文句を言っている途中でハッとなり、口をつぐむ。
私はそーっと左斜め下に視線を移動させた。
(う――っ!……やっぱり)
そこには、ポカンと口を開けている千草ちゃんの姿が……。
「ごっ、ごめんね千草ちゃん! 急に一人でしゃべり出して、驚いちゃったでしょう? でもねっ、これには深~いわけがあっ――」
「ふぁああ……。きれいな人ぉ……」
「うん、そう。きれいなひ……」
千草ちゃんがつぶやいた言葉に、一瞬固まる。
つい先ほどまでポカンとしていたはずの彼女なのに、今はうっとりへと表情が変わっている。
しかも、その視線は私ではなく、もっと上の方へ向けられていた。
「……え? えっ?……えええっ!?」
千草ちゃんの視線の先と彼女とを、交互に何度も見比べ――私は確信した。
「千草ちゃん、あなた……白藤が見えてるのっ!?」
……うん、間違いない。
千草ちゃんがうっとりと見つめてるのは、白藤だ。
彼女はハッキリと白藤を見て、『きれいな人』とつぶやいたんだ。
「……ふぇ?……しら……ふじ……?」
夢見るような顔つきのまま、千草ちゃんは私に視線を移す。
私は彼女の肩を両手でつかみ、まっすぐ見つめながら訊ねた。
「千草ちゃんは、空中にふわふわ浮かんでる人――ううん、人っぽい姿かたちをしてる何かが見えてるの? 毛先の方だけ紫で、他は真っ白な髪色をしてる人が?」
「ふわふわ……浮かんで……?」
まだぼうっとした顔のままつぶやくと、千草ちゃんは上方に向けていた視線をゆっくりと下げて行く。
すると、『ひゃっ!?』と短い悲鳴を上げて、私にギュッと抱きついてきた。
「あっ、あっ、足がっ!……あ、あの人、足が地面についてませんっ!」
そう言って、小さくカタカタと震え出す。
私は彼女を抱き締め返し、穏やかな口調を意識しつつ語り掛けた。
「落ち着いて、千草ちゃん!……大丈夫。あの人は――白藤は怖い人じゃないから。怖いどころか、いつも私たちを見守って、時には助けてくれたりする人――ううん、〝神様〟って呼ばれてる存在なんだよ?」
頭を優しくポンポンと叩きながら、耳元で語り掛ける。
千草ちゃんはゆっくりと顔を上げ、まだおびえの残る瞳で私を見つめ返した。
「……見守、る?……助けて……くれる、人……。神……様……」
自分に言い聞かせるように、彼女は同じ言葉を繰り返した。
「そう、神様。この国の神様。千草ちゃんは、その神――白藤が見えてるんだよね?」
見えているのは疑いようもなかったけど、確認のためにもう一度訊ねる。
彼女は視線をそろそろと上向けた後、思い切り目を閉じ、ブンブンブンと大きく三度うなずいた。
「……そっか。やっぱり――」
私はまだかすかに震えている千草ちゃんを、無言のままそっと抱き締める。
……すごいな。
藤華さんだって、白藤の気配はかすかに感じるていど――っておっしゃってたのに。
千草ちゃんには、ハッキリ見えてるんだ……。
露草さんはどうだったのかは、今となっては確かめようもないけど。
もしかしたら千草ちゃんは、藤華さんと露草さんを上回る、能力の持ち主なのかもしれない――。
(ほほう? これは大したものじゃ。我を目にすることができる者が、リナリアとやら以外にもおるとはのう。このようなことは、数百年もの間にもなかったことじゃぞ。これはもう、次の巫女姫は、この女の童で決まりかのう?――いや、めでたいめでたい)
白藤はニマニマ笑い、私たちを囲むようにグルグルと回り出す。
自分を見ることのできる人間が、二人に増えたことが、よほど嬉しかったんだろう。
でも、白藤の『次の巫女姫は』という発言が聞き捨てならず、私は彼を思い切りにらみ付けた。
「ちょっと! 千草ちゃんの気持ちも確認しないうちに、『次の巫女姫』なんて勝手な話しないでくれる!? そういうデリケートな問題は、もっと慎重に――」
……あれ?
でも……次の巫女姫が決まったら、現巫女姫は卒業――お役御免、なんだっけ?
……ってことは……千草ちゃんが巫女姫に決まれば、藤華さんは、帝の次の正室になれる……?
そこまで考えて、私はハッと我に返った。
今の考えを脳内から追い出すため、何度も首を横に振る。しつこいくらい振りまくる。
「リ……リナリア……姫殿下……?」
首を振り続ける私に恐怖を覚えたのか、千草ちゃんは胸の前で両手をきつく握り締め、不安げな眼差しを向けていた。
私はまたしても我に返り、取りつくろうようにへらりと笑った。
「ご……ごめんね、千草ちゃん。驚かせちゃって。……えー……っと……なんでもないの。なんでもないから、その……忘れてくれる?」
千草ちゃんは私の顔を怪しむように見つめ、それでも小さくうなずいてくれた。
私はホッとしながらも、さっきチラッと浮かんだ自分の考えを、早く忘れようと必死だった。
……だって。
次の巫女姫が決まれば、藤華さんと紫黒帝は幸せになれるかもしれないけど……。
その代わり、今度は千草ちゃんを巫女姫に――っていうのも、なんだか勝手で、ひどすぎる話のような気がして……。
チラッとでもそんなことを思ってしまった自分が、やたらと恥ずかしかったんだもの。
「巫女姫って、ホントにいなくちゃいけないのかな……?」
つい、ポツリとつぶやいてしまったら。
(……フムン。実は我も、ここのところ、ひたすらそのことについて考えておったんじゃがのう……。そちが力を貸してくれれば、どうにかなるかもしれんのじゃ。ちと、考えてみてはくれんかの?)
珍しく神妙な面持ちで、白藤が私に頼みごとをしてきた。