交わされた想い
千草ちゃんの告白を聞き終えると、藤華さんは小さくうなずいて、
「千草、言いたいことは全て言い終えましたか? 他にはもうありませんか?」
真剣でありながら、落ち着いた柔らかい声で訊ねる。
千草ちゃんは深々と頭を下げ、硬く張りつめた声で『はい。もうございません』と答えた。
藤華さんは再びうなずき、千草ちゃんをまっすぐ見つめる。
「……そうですか。では、帝がお元気になられましたら、今と同じことをお話し申し上げなさい。あなたに対するご沙汰は、帝がお決めくださるでしょう」
「――えっ?」
短い声を上げ、千草ちゃんは困惑の表情を浮かべて藤華さんを見返した。
藤華さんからも、何か罰のようなものを与えられると思っていたに違いない。
千草ちゃんの視線を正面から受け止めると、藤華さんは柔らかく微笑んだ。
「わたくしからは、特に申し渡すことはありません。あなたが心の内をさらけ出すことで、少しでも楽になれたなら――それでよいのです」
「――っ!」
千草ちゃんの瞳が驚きに見開かれる。
危害を加えようとした相手から、そんな思いやりのある言葉を掛けられるとは、夢にも思っていなかったんだろう。
千草ちゃんは震える指を胸元に当て、言葉を探すように口を開けては閉じ、また開けては閉じる動作を繰り返していた。
あまりにも予想外の展開に、どう反応していいかわからない様子だった。
このままあっさりと〝お咎めなし〟では、彼女も落ち着かないだろう。
そう直感した私は、代わりに声を上げた。
「藤華さんは、本当にそれでいいんですか? だって千草ちゃんは……あなたから住み慣れた場所を奪い、命まで狙おうとしたんですよ?……帝がどういう判断を下されるかは、まだわかりませんけど……。藤華さんは、彼女の行為に対する処罰をどうするか――その決断を全て帝に委ねて、本当に後悔なさいませんか?」
「ええ、いたしません」
藤華さんは一瞬の迷いもなく答えた。
「わたくしに、千草を責めることはできません。わたくしが身のほどをわきまえず、帝をお慕い申し上げさえしなければ……露草様がお苦しみあそばすこともなかったのです。そしてそのご様子に千草が気付き、憎しみを抱くことも……。全てはわたくしの至らなさが招いたこと。誰をも恨む気などございません」
「藤華さん、それは――っ!」
思わず『それは違います』と言おうとした私を、藤華さんがやんわりと手で制した。
そして言葉を続けようと口を開いた、次の瞬間。
御簾が音もなく上がり、紫黒帝が姿を表した。
「藤華……!」
感情の揺らぎを抑えきれないような、少し上ずった声だった。
数日ぶりに見る紫黒帝の姿は、まだ顔色こそ優れないものの、瞳には確かな光が宿っていた。
「帝!」
私はギョッとなって、思わず道を譲るように身を引いた。
藤華さんは声を詰まらせたまま、微動だにしない。
千草ちゃんは、畏れるように床にひたいを押し付けている。
「リナリアと千草が、そちを見舞っておるようだと聞いてな。……すまぬ。立ち聞きするつもりはなかったのだが……」
紫黒帝は必死に冷静さを装おうとしていたけど。
視線はあちこち移動してちっとも定まらず、動揺しているのは誰の目にも明らかだった。
「その……。今の言葉は、まことであるのか……藤華?」
紫黒帝はじりじりと、藤華さんへと歩み寄って行く。
彼女は凍りついたように硬直したまま、顔からは血の気が失せていた。
今の言葉――つまり、藤華さんの告白を、紫黒帝は廊下で聞いていたということだろう。
「わ、わたくしは……」
藤華さんは、やっとのことでそれだけ口にすると、再び言葉を失ったように黙り込んだ。
長い年月を経て隠し通してきた(カイルや雪緋さんにはバレバレだったみたいだけど……)想いが、こんな形で明かされるとは、思ってもみなかったんだろう。
紫黒帝は藤華さんの前に立つと、熱を帯びた眼差しを彼女に向けた。
「藤華。……頼む、今一度聞かせてくれ。そちも朕のことを……想うていてくれたのであろう?」
紫黒帝の声には、長きにわたり心の奥底に閉じ込めていた、熱い感情がにじんでいる。
「巫女姫という務めがあるゆえ、朕はそちに想いを伝えるのみであった。それ以上を求めることは許されぬと……承知していたからだ。だが、朕は知った。知ることができた。そちもまた、朕を……」
言葉を詰まらせる紫黒帝の顔には、驚きと共に、深い喜びが浮かんでいた。
私は千草ちゃんの袖をそっと引き、さりげない目配せとかすかな手の動きで、退室を促した。
ここからは二人だけの時間。ジャマ者は退散した方が良いに決まってる。
千草ちゃんも理解してくれたようで、かすかに笑ってうなずいた。
「……わたし、もう大丈夫みたいです」
千草ちゃんは小さくつぶやく。
その声には、もはや怒りやイラ立ちの色はなかった。代わりに、どこか諦めと受容が混ざり合ったような、穏やかさがあった。
私たちはそろりそろりと立ち上がり、二人に気付かれぬように御簾を上げて廊下へと出た。
その時、御簾の向こう側から、藤華さんの震える声が届いた。
「わたくしは……幼き頃より、帝のお側にいることのみを願っておりました。たとえ、巫女姫として遠くからお仕えすることしかできなくとも……それでも……よいと……」
すぐ後に、静かでありながら――深い情熱を秘めた、紫黒帝の言葉が続く。
「……構わぬ。次の巫女姫が現れる日まで……朕の正室の座は空けておく。朕の正室はそちのみぞ。……露草も、そちであればきっと……認めてくれるであろう」
千草ちゃんと並んで廊下を歩きながら。
今この瞬間、藤華さんの頬を伝っているに違いない幸福な涙を、私は思い浮かべていた。
(フフッ。……想い合う二人の気持ちが、ようやくひとつになれたんだ。……よかった。本当によかった)
私は胸いっぱいの満足感を抱き、知らず知らず笑みをこぼした。