小さな少女の大きな決意
我に返った時には、目の前に千草ちゃんがいた。
不思議そうに、こちらをじっと見つめている。
「……リナリア姫……殿下?」
どうやら、千草ちゃんの手を握り締めたまま、固まっていたらしい。
慌てて千草ちゃんの手を離し、私は濡れていた目尻を指先でぬぐった。
「ごっ、ごめんねっ? ちょっと、ボーッとしちゃってたみたい。アハハハ……ハ……」
ごまかし笑いで場をにごし、私は両手を膝の上で揃えた。
千草ちゃんの寝床は、私や露草さんたちのようにすのこベッド風ではないため、目線は私のほうが高い。
この状態で話していると、お説教しているような雰囲気になってしまうのが、ちょっとイヤだな。
そんなことを考えつつ、私は改めて千草ちゃんの目を見つめた。
静かに呼吸を整える。
そして覚悟を決め、
「千草ちゃん、落ち着いて聞いてね? 実は……露草さんのこと、なんだけど……」
ようやく、その話を切り出した。
千草ちゃんは目をそらし、消え入りそうな声で告げる。
「……知ってます。みまかられた、って……話してたのが聞こえてました」
「えっ?」
驚いて目を開くと、彼女は辛そうにうつむいた。
……そっか。もう知ってたんだ……。
じゃあ、『露草様は、どちらにいらっしゃるのですか』って聞いてきたのは、一時的に混乱してたから?
今は落ち着いてて……ようやく、露草さんの死を受け止められる状態になったってこと?
……でも、『みまかられた』って『話してた』って……。
さっき集まってた、女官さんたちかな?
少しだけ、配慮の足りないように思える彼女たちにガッカリしたけど。
いずれはわかってしまうことだし、責めるのは筋違いだろうと思い直す。
「あの……あのね。露草さん、最後まであなたのこと心配してたよ? さっきも言ったけど……『わたくしが弱いせいで、重い荷物を背負わせてしまった』って、気にしてらしたの。だからもう、何も背負わせたくないんだ、って……あなたを守りたいんだって、そう……おっしゃって……」
また涙が込み上げてきそうになってしまったけど、どうにか堪えた。
だって……私なんかより、千草ちゃんの方がずっとずっと辛いんだから。
そんな千草ちゃんの前で、もう大人って言ってもいい私がメソメソするなんて、みっともないだけだもの。
「露草さんが一番願ってたのはね、あなたの幸せなの。全ての罪をお一人で背負ってでも、あなたに幸せになってほしいって……そう思っていらっしゃった」
「え……。すべての罪を……お一人で?」
「……うん。露草さん、私に何度もお願いしてた。『千草は、わたくしに操られていただけ』『リア様を襲ったのは、わたくしの意思だった』……そういうことに、しておいてほしいって。帝にも藤華さんにも、そうお伝えしてほしいって……。あなたにはもう、何も背負わせたくはないから、って」
「そんな……!」
千草ちゃんの声が震えた。小さな肩が小刻みに震えている。
「わたし……わたしなのに。悪いのはぜんぶわたしなのに! なのにどうして、露草様がお一人で罪を――!?」
彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。小さな手で、自分の胸元をギュッとつかんでいる。
まるで、そこに罪の烙印が刻まれているかのように。
「違うよ、千草ちゃん」
私はそっと彼女の手を取った。
涙に濡れた瞳が、ゆっくりと私を見上げる。
「露草さんはね、誰よりもあなたのことを大切に思っていたの。だからこそ、あなたに罪を背負わせたくなかった。あなたの未来が、あなたの人生が……罪の重さに押し潰されてしまうかもって考えたら、堪らなかったんだと思う。そうなるくらいなら、全ての罪を自分で……って、覚悟なさったんじゃないかな?」
「でもっ、わたしが悪いことをしたんです! 露草様じゃない! リナリア姫殿下を襲ったのは――っ」
「そのことならもういいの!……ね? 私のことは気にしなくて大丈夫。……ただ……紫黒帝と藤華さんについてのことは、私もどうしたらいいかわからない。まだ迷ってるの」
「リナ……リア……姫殿下」
私だって、露草さんの願いは全て叶えて差し上げたい……って思ってる。
でも……。
千草ちゃんの罪を許すかどうか。
彼女の罪を、全て露草さんに背負わせることを、良しとするかどうか。
私がそれを決められるのは……自分のことについてだけ。
紫黒帝や藤華さんがどうするか、それまでは決められない……。
いくら露草さんの願いでも、私に、それらのことまで決めてしまえる権限はない。
「……だからね。私と一緒に、お二人に許しを請いに行こう?」
千草ちゃんの小さな手を握りながら、私は提案した。
「えっ?……リナリア姫殿下と……?」
「うん、そう。私と一緒に。……大丈夫。千草ちゃんを一人になんてしないから。絶対、側を離れないから」
千草ちゃんは目を見開き、それから震える唇を噛んだ。
「でも……怖いです。紫黒帝や藤華様に、わたしがしたことを……」
小さな体が震え始める。恐怖に押し潰されそうになっているのが見て取れた。
彼女の手の震えが、私の手のひらに伝わってくる。
「うん、怖いよね。怖いに決まってるよ……自分の罪に向き合うなんて」
私はそっと言葉を続けた。
「でもね。これから上を向いて進んで行くためにも、向き合わなきゃいけないと思うの。露草さんの願いを叶えながらも、千草ちゃんのこれからを守るために」
「露草様の願いと……わたしの、これから?」
「そう。露草さんは、あなたを守るために全ての罪を背負おうとしていたけど……それじゃあなたも辛いでしょう? この先ずっと、『自分のために露草様が』って思いながら生きてくなんて」
千草ちゃんはハッと息を呑み、しばらく考え込んだ。
やがて小さな唇をキュッと結び、決意に満ちた声で言った。
「わたしのために、露草様が悪く言われるなんてイヤです。露草様がわたしを守りたいと思ってくださったように、わたしも露草様を守りたい!」
涙をぽろぽろと流しながらも、強い意志を感じさせる瞳で見つめる。
「わたし、怖くないです! 自分でちゃんと言えます! 帝と藤華様に、ぜんぶお話します!」
私は彼女の両肩に手を置いた。
「うん、頑張ろう。露草さんの願い通りにあなたの罪を隠すだけじゃなく、あなた自身がどう生きたいかが大事なんだから」
「……わたしが、どう生きたいか」
「そう。あなたが自分で決めたことなら、露草さんも尊重して――……受け入れてくれると思う」
千草ちゃんは深呼吸し、ハッキリと言った。
「わたし、自分のしたことときちんと向き合います。逃げたりしません! わたしも露草様みたいに、強くなりたい!」
その言葉が嬉しくて、私はギュッと彼女を抱きしめた。
こんな小さな体に、そこまでの強い意志が宿っていたなんて。
「行こう、千草ちゃん!……大丈夫、私も一緒に行くから! 帝と藤華さんに、お目通りをお願いしに行こう!」
励ますように大きな声で告げると、腕の中の千草ちゃんは力強くうなずいた。