消火作業は一瞬に
御所をぐるりと囲んでいる塀よりも、もっと高い位置まで上昇すると。
白藤は川が流れている方角へ両手をかざし、『フンッ』と気合を入れるような声を発した。
私はその様子をハラハラしながら見つめていたんだけど。
白藤が声を発してから、二~三十秒くらい経った時だろうか。
(ハア――ッ!!)
今度は大きな掛け声と共に、白藤が両手をかざしたまま半回転した。
――すると。
ドシャドシャドシャドシャドシャーーーーーッ!!
突然空から大量の水が降ってきて、月花殿を炎ごと覆った。
――と思ったら、水族館のシャチショーを連想させる勢いで、跳ね返った水が私の体に襲い掛かる。
「ひゃあっ!…………え?」
一瞬のうちに全身びしょ濡れになり、呆然とする私の目の前には。
あまりにもあっけなく鎮火した月花殿の残骸――黒焦げになった柱や、屋根や壁などの木片――らしきものが転がっていた。
「え……。嘘でしょ? こんな早く……?」
濡れた髪やドレスが体に張り付いて不快だったけど、とりあえずそんなことはどうでもいい。そう思えるほど、目の前の光景は衝撃的だった。
……だって、白藤がス~ッて上昇してってから、まだ一分も経ってない。
たぶん、三十秒前後しか経ってないのに……。
何、これ?
こんな簡単に、あれだけ燃え盛ってた炎が消えちゃうの……?
ただただ呆然と立ち尽くす私の前に、白藤がニンマリ笑って下りてきて、
(ムフン。思うたよりも容易じゃったのう。我の力も、まだまだ捨てたものではないようじゃな)
両手を腰に当て、自慢げに胸を張った。
だけど、反応がないと知るや、私を囲むようにぐるぐると回り出し、
(なんじゃなんじゃ? そちの申す通りにしてやったと言うに、礼のひとつもなしか? 仮にも、一国の姫という立場なのじゃろう? そのような態度では、民にも示しがつかぬじゃろうて)
といった風に、ネチネチと不満をぶつけてくる。
私はようやく平静を取り戻し、頬に張り付いている髪を片手でぬぐうように払った。
それから白藤にこわばった笑顔を向け、
「フフ……。ごめんごめん。べつに、白藤を無視してたわけじゃないのよ? ただ、あまりにもあっけなく消火しちゃったもんだから、メチャクチャ驚いちゃって。少しの間、頭真っ白になっちゃってただけなの。ホントにごめんね、白藤。火を消してくれてありがとう」
本当に言いたいことはグッと堪えつつ、まずはお礼を伝えた。
白藤は再び胸を張り、満足そうにうなずく。
(ムフン。わかればよいのじゃ。礼儀を重んじぬ者は、いつか痛い目を見るに決まっておるからの。よく覚えておくのじゃぞ)
「うん……そーね。覚えておくわ……」
引きつり笑いを浮かべながら、私は心で叫んでいた。
(もぉおおーーーっ!! こんな簡単に火が消せるなら、もっと早く消してくれればよかったのにぃいいーーーーーッ!! そうしてくれてたら、月花殿だって全焼せずに済んだだろうし、渡り廊下だって壊さずに済んだだろうし、紫黒帝だって気を失わずに済んだだろうし……そもそも、ここまで大きな火事になる前に、ボヤのうちにどうにかできて、藤華さんに他に移ってもらう必要だってなかったかも知れないのに……。もーもーっ、白藤のバカっ! こんなすごい力持ってるなら、出し惜しみなんかしないでさっさと使ってよねーーーっ!)
(……フムン? 出し惜しみなぞした覚えはないのじゃが……)
「――っ!…………え?」
心での絶叫だったはずなのに、白藤の反応が返ってきた。
ゾッとして、彼を見つめながら恐る恐る訊ねる。
「今……もしかして、私の心読んだ……?」
(フム。読もうと思ったわけではないのじゃがの。強い感情は、勝手に聞こえてきてしまうのじゃ。――ほれ、前にも言うたじゃろう? 藤華に対する強い思念が流れ込んできたことがあると)
「あっ。……うん。言ってた……」
(それと同じことじゃ。何者かが何者かに激しい思念をぶつけるとな、漏れ聞こえてしまうのじゃ。よほど心を閉じている人間でもなければ、誰であってもな。特に、そちのようにあけすけな者の思念は漏れやすいものじゃから、せいぜい用心するのじゃな)
「う――っ!……あ……あけすけ……」
心を読まれていたことを恥ずかしく思いながら、私はちょこっと傷付いていた。
そんなに私って、あけすけなんだろうか?
これでも一応、言っちゃいけない言葉とかには、気を遣ってるつもりだったんだけど。
……あ。でも、そっか。
言わなくても心を読まれちゃったら意味ないのか……。
「白藤が心読めるのって、いつもってわけじゃないんでしょう? 今みたいに、心で叫んだりとかしてなければ……聞こえないんだよ、ね?」
しょっちゅう聞こえちゃってたらどうしよう、なんてハラハラしたけど。
白藤はニンマリ笑って、私の周りをぐるぐるしながら。
(心配せずとも、よほど強い思念でなければ聞こえてこぬよ。我自身も、普段は聞こえぬように力を緩めておるしの)
「そ……そっか。ならいいんだけど……」
ホッとして、私は両手で胸元を押さえた。
……でも、意外だったな。
普段は白藤、『力を緩めて』くれてるのか。
……まあ、考えてみたら、人の感情がしょっちゅう流れ込んでくるなんて、煩わしくて仕方ないよね……。
ノンキそうに見えるけど、実際は、結構苦労してるのかもしれない。
そんなことをつらつら考えていたら、
「姫さんっ、無事かッ!?」
後方で、聞き覚えのある声が響いた。