炎からの脱出
紫黒帝は、燃え盛る炎の中心に倒れていた。
白藤に側まで運んでもらうと、私は彼を抱き起こし、
「紫黒帝! 帝っ、しっかりして!」
そう声を掛けながら、頬をペチペチと叩いた。
緊急事態だもの。
今は『恐れ多い』なんて言ってられない。
「ねえっ、帝ってば! 藤華さんは無事だから! 白藤が――神様が安全なところに移してくれたから! だからねえっ、帝も大丈夫って言ってよ! ねえってばぁっ!」
軽くペシペシと叩いているうちに、紫黒帝がかすかにうめき声を上げた。
(――よかった、生きてる!)
ホッとした瞬間。
さっき私達が刹那移りしてきた辺りから、紫黒帝を呼ぶカイルの声が聞こえてきた。
「帝! いらっしゃるのでしたらどうかお声を――っ、……ひ、姫様っ!?」
目が合ったとたん、彼の目が大きく見開かれる。
――まあ、そりゃあ驚くよね。
私を火の中に向かわせないために、彼は代わりに飛び込んできてくれたのに。
その彼が発見するより先に、置いてきたはずの私が、紫黒帝と共にいたんだから。
「な、何故姫様がこちらに!?……いけません、このような危険な場所にいらっしゃっては! お早くお逃げください!」
「私はダイジョーブ! 白藤と一緒だから! カイルこそ、ちょっとそこで待ってて? 白藤にそこまで運んでもらう!」
「――は? 『運んでもらう』……?」
意味が通じていないらしく、カイルは不思議そうに首をかしげた。
だけど、ちまちま説明している暇はない。
私は白藤に目配せして、紫黒帝ごとカイルのいる場所まで刹那移りしてもらった。
「――っ!」
急に私が目の前に現れ、ギョッとしたのに違いない。
カイルは一歩足を引き、のけぞるまではいかないけど、上体をわずかに後方へそらした。
「ごめんね、今は詳しく説明してる暇はないの! 一刻も早く紫黒帝を表に運ばなきゃ!――ねっ? 何も言わず、私の手を取って!」
「え?……っあ、は――はい!」
キョトンとした顔をした後、カイルはすぐさま私の言うことを受け入れ、伸ばした手を強く握る。
「白藤、お願い!」
再び目配せして声を掛けると、白藤はやれやれと言った感じで苦笑いした。
(まったく。人使いの荒い姫じゃ――のっ)
最後の『の』という言葉が聞こえたのと、私達が表に出たのが、ほぼ同時だった。
「えええッ!?」
カイルが驚きの声を上げているけど。
あえてそのままにして、私は抱きかかえていた紫黒帝を地面に横たえた。
「気絶してるだけだと思うから、しばらくすれば目を覚ましてくれる……よね? でも、有毒な煙とか吸っちゃってたらどうしよう? 私、医学の知識とかないしなぁ……。ねえ白藤。あなた、帝の体の状態とかってわかる? このままじゃ危ないとか、安静にしてれば問題ないとか、そーゆー判断できたりする?」
紫黒帝を上から覗き込んでいる白藤に、『一応この国の神なんだし、きっとできるよね』なんて期待を抱きつつ訊ねる。
彼は『フムン?』と応じてから、紫黒帝の体の上に両手をかざした。
「うぅむ……特に問題はないようじゃが。そちの申したように、しばらくすれば目を覚ますじゃろう」
「えっ、ホントに!?……手をかざしただけで、そーゆーのもわかっちゃうんだ?」
……そりゃあ、期待はしてたけど。
まさか本当に、人の体の状態までわかっちゃうなんて……。
感心しつつ、少しだけ恐ろしさも抱いたりしながら。
いつもの調子でフ~ワフ~ワと浮かんでいる白藤を、私は口を半開きにして、しげしげと見つめた。
私の視線に気付くと、彼はニヤリと言った風な笑みを浮かべ、
(そうじゃ、我はこの国の神じゃからの。この程度のこと、どうということもないのじゃ)
わかりやすいドヤ顔で、これ見よがしに胸を張る。
白藤には、すごく感謝してるけど。
こういう顔や態度を見せられると、たちまちゲンナリして、『はいはい』って流したくなっちゃうのよね。
……うん、でも、まあ……感謝はしてるのよ、感謝は。
「――っと、いけない! 紫黒帝が無事とわかれば、次は火事だ! 火! 火を消さなきゃ!」
肝心なことを思い出し、私は未だ燃え盛る方向に視線を移した。
白藤がどこに運んでくれたのかわからないけど。
露草さんのお住い――香華殿から見上げた時よりも、火柱がほんの少しだけ小さく見える。辺りに人の気配はしない。
どうやら、御所の敷地内ではあるものの、北側にある香華殿とは逆方向に刹那移りして来たらしい。
「白藤! 何度もお願いして悪いけど、また月花殿の前まで連れてっ行って! それから、なるべく早く火を消す方法、何か知ってたら教えて?」
「姫様ッ!! 何をおっしゃっているのですか!?」
私の言葉を聞き、カイルは叱り付けるように大声を上げた。
彼の反応は当然だ。
せっかく安全なところまで移動できたのに。
何故にまた、危険な場所に戻ろうとするのだと、とがめたくなるのも理解できる。
――でも、それでも行かなきゃ。
ここでのんびり高みの見物なんて、してられるわけがないもの。
「カイル。あなたはここで、紫黒帝を見ていてくれる? 私は白藤と一緒に、火事をどうにかしてくるから」
「なっ! そのようなこと――っ」
止められることはわかっていた。
私は素早く白藤にしがみつき、『お願い』と小さくつぶやく。
「姫様っ、いけませ――」
彼の声が途中でかき消された、その次の瞬間には。
私と白藤は、燃え盛る月花殿の前に戻っていた。