戻ってきたツンデレ護衛
先生から長々とお説教された私とカイルは、すっかりしおれた花のようになってしまっていたんだけど。
いきなり背後から、
「げっ! な、なんで陰険メガネヤローがここにいんだ!?」
ひときわ大きな声が響いて、私達は一斉に振り返った。
声の主は当然イサークで。
嫌悪感を隠そうともせず、ギロリと先生をにらみつけている。
「フム。ようやく戻ってきたか。私はやらなければいけないことが多くてね。君に構っている暇など少しもなかったのだが……事情が変わったのだよ」
「はあ? 事情が変わっただぁ?……なに言ってんだあんた? こちとら、また姫さんの護衛を任されたお陰で、あんたの顔見なくて済んでホッとしてたんだからよ。どんな用があったんだか知んねーが、済んだらサッサと帰ってくんねーか?」
心底ウンザリしている様子で、イサークは先生に向かって片手で追い払う仕草をした。
「まだ用は済んでいない。君に頼みたいことがあって来たのだからな」
「はあッ!? あんたが、俺に頼みてーことがあるだってぇ!?」
イサークはスットンキョウな声を上げた後、怪しむような目つきで先生を見つめた。
「気っ色悪ぃーな。どーせ妙なことさせよーとしてんだろ?」
「妙なことではない。君の器用さを見込んで、やってほしいことがあるだけだ」
「やってほしいこと?」
「ああ、そうだ。君は見掛けによらず、手先が器用なようだからな。そんな君にしか頼めないことがあるのだよ」
「――って、『見掛けによらず』は余計だろ!」
ムッとしたように言い返すと、イサークはフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。
一方、イサークの反応など少しも気に留める様子もない先生は、表情を崩すことなく先を続ける。
「蘇芳国に着いてからというもの、私は連日山中を歩き回り、我が国では見受けられない植物や鉱物などを調べていたわけだが。そちらの用事が大方片付いたのでね。次はこの国の文化や技術、芸術などの分野のことも調べようと、山を下りて人々の暮らしを見て回っていたんだ。するとそこで、実に興味深い木工技術に出合った。我が国では目にしたことのない、繊細で巧妙な木工細工だ。ああいうものを超絶技巧と呼ぶんだろうな。すっかり魅了されてしまった」
珍しく素直な感想を漏らし、先生はうっとりとした目つきでため息をついた。
「あれほどの技術、是非とも習得して我が国に持ち帰りたい。そう思ったのだが……あいにくと私は、手先の器用さには自信がなくてね。手順を覚えることならば容易にできるが、この国の職人達と同等のものを作るとなると話は別だ。きっと相当の時間が掛かってしまうに違いない。残念だが、今回は諦めるしかあるまい……と、考えていたのだがね」
そこで言葉を切ると、先生はイサークに思わせぶりな視線を投げた。
彼はギョッとしたように目を見張り、
「ち、ちっと待てよ! まさかテメー……自分の代わりにその木工細工とやらを、俺に作らせよーってんじゃねーだろーな!?」
慌てたように先生に向かって叫ぶと、思い切り顔をしかめる。
「冗談じゃねーぞ! なんで俺が、テメーの代わりにそんなメンドクセーことしなきゃいけねーんだ!? んな義理はどこにもねーだろーが!」
「……まあ、確かに義理はないな。だが君は、私と違って手先がものすごく器用だろう? あの技術を短時間で習得できるのは、君しかいないと思うのだが。……どうだね? やってみる気はないか?」
「断る!」
即答し、イサークはフイッとそっぽを向いた。
先生はしばらく無表情のまま、じいっと彼を見つめていたけど、
「……そうか。ならば仕方あるまい。今回は諦めるとしよう」
独り言のようにつぶやくと、すっくと立ち上がった。
それから、まるで何事もなかったかのような顔で、イサークの横を無言で通り過ぎる。
あまりにもあっさりと引き下がられたことが、意外だったんだろう。
イサークは慌てて振り返り、先生の背に向かって呼び掛けた。
「ち、ちっと待てって! 俺に用ってーのは、そのことだけだったのかよ!?」
「……ああ、そうだが?」
先生はピタリと足を止め、肩越しに振り返った。
「蘇芳国の素晴らしい技術――あの超絶技巧を習得し、我が国に持ち帰ることができるのは君しかいない。そう思ったのだがね。君が乗り気でないとあらば仕方なかろう。無理強いもできん。大人しく次の機会を待つことにしよう。もっとも、次の機会があるのであれば――だが」
それだけ言うと、先生は再び前を向いて歩き始める。
「おっ、おい! 待てって言ってんだろーが!」
イサークは後を追うように駆け出した。
だけど先生は、今度は足を止めることも、振り向くこともなく、
「なんだ? もう話は済んだはずだが?」
さっきまでの熱意はどこへやら、素っ気なく言い返した。
「一方的に済ませてんじゃねーよ! こっちの話はまだ済んでねーぞ!」
「君の話? 君も私に話があったのか? ならばさっさと言いたまえ。私は君ほど暇ではないんだ」
「な――ッ!」
絶句して、イサークは真っ赤な顔で先生をにらみつけている。
私の隣では、カイルも苦々しい顔をしていた。きっと、『一言多い人だな』とでも思ってるんだろう。
思わずゲンナリしてしまう、彼の気持ちもわかる。
だけど私には、わざとイサークをイラ立たせるようなことを言って、彼の気を引き付けようとしてるんだとしか思えず……。
「っざけんな! 俺だって暇なんかねーってんだ! 暇なんかねーけど――っ、あんたが珍しく困ってるみてーだからよ。ちっとばかし話聞ーてやってもいーかって思ったんじゃねーか! それを――っ」
「ほう? では、私の頼みを聞いてくれる気になったと?」
「えっ?――あ、いや……。そこまでは言ってね――」
「ならば話は早い。日が暮れる前に下山するとしよう」
イサークの話をさえぎるように彼の片手をつかむと、先生は再び前を向いて歩き出した。
引っ張られる形になってしまったイサークは、つんのめるようになりながら抗議の声を上げる。
「なっ、ちょ――っ! ちっと待ってって! 俺はまだ、頼みを聞くなんて言ってねーっつってんだろーがッ!!」
「なに、案ずることはない。木工細工の職人には、すでに話をつけてある。数日泊まらせてくれるそうだ。みっちり教えを請うことができるぞ。技術を我が国に持ち帰ることについてだが、それも問題ない。紫黒帝よりお許しをいただいているからな。あとはただ、ひたすら技術の習得に励めばいいだけだ」
「――って、勝手に話進めんなよ! 俺は承知してねーんだって!」
「フフフ。君さえあの超絶技巧を習得することができれば、我が国でもあの木工技術を広められるのだな。今から楽しみで仕方ないよ。まったく、どこまで私の胸を高鳴らせれば気が済むのだろうな、この蘇芳という国は! ハハハハ! ハーッハッハ!」
「だからっ、人の話を聞け! っつってんだろーがぁあああーーーーーーーッ!!」
興奮のあまり、イサークの声が耳に入っていないのか。
それとも、わざと聞こえないフリをしているのか。
どちらかはわからないけど……。
とにかくイサークは、先生に引きずられるようにして、どこか(たぶん、山の下――一般の人々が暮らすところ?)へと行ってしまった。
彼らが見えなくなるまで見送っていた私は、
(うわー……。先生があんな楽しそうに、しかも大声で笑うところ、初めて見ちゃったかも……)
なんてことを、ボケーっとしながら考えていた。