護衛二人を見送って
神の憩い場から戻ると、早くも萌黄ちゃんが待機していて。
私達の顔を見たとたん、『遅いです』と不満げな声を漏らした。
これ以上怒らせちゃいけない。
慌てて席に着き、私とイサークはペロリとあさげをたいらげた。
キレイに空になったお膳の上を見た萌黄ちゃんは、ようやく満足げな笑みを浮かべ。
手際よく御膳の上を片付けて、くりやへと戻って行った。
ゆうげの時と同じく、イサークのあさげはこちらに運んでもらっていたんだけど。
雪緋さんは、私と同じところで食事をとるなど恐れ多いと固辞して、
「私は向こうへ戻って済ませて参ります。萌黄も一人で大変でしょうし、ついでですから、イサークさんの御膳は私が片付けましょう。――それではリナリア姫様。早急に済ませて戻って参りますので、しばしお待ちください」
ヒョイっとイサークの御膳を持ち上げてから一礼し、萌黄ちゃんの後を追った。
イサークは彼を見送りながら、
「あ~……。じゃあ雪緋は、朝メシ食ってからこっち戻ってくるワケか。一眠りする前に、ちっとだけ体動かしてこよーかと思ってたんだが……。こりゃ、戻るまで待つしかねーな」
そう言って、残念そうに頭をかく。
「え? 体動かすって……今から? 昼頃まで眠る予定じゃなかったっけ?」
「ああ。だから、一眠りする前にちっとだけな。一応、毎朝続けてるこったからよ。一日でも休んじまうと、調子出ねーんだよな」
「へえー。そーゆーもんなんだ?」
……あ。
そー言えば思い出した。
何のスポーツかは忘れちゃったけど。
選手がインタビューされた時、一日でも練習休むと、調子がおかしくなるとか体がなまるとか……そんな風に話してたことがあったっけ。
その時のスポーツ選手には悪いけど、
(……え? たった一日で?)
なんて、私はイマイチ納得できなかったんだよね。
向こうの世界にいた頃は、これっぽっちも知らなかったものの。
お父様とお母様の血を受け継いでいる私は、どの能力値も普通の人より高かったから。
周りに気付かれない程度に、勉強もスポーツも手を抜いていた。
……ううん。
手を抜いていたってゆーのとは、ちょっと違うかな。
何事にも興味を持たないようにしていた――っていう方が、近いかもしれない。
何故かと言うと。
私の能力は〝やる気を出した時〟と〝ものすごく集中した時〟に、発揮されることが多かったから。
ひとつのことに強い関心を示したり、何事かに集中したりさえしなければ、能力が発動することはなかったと思うんだよね。
とにかく、そんなワケだったから。
向こうの世界での私にとって、平和に過ごすためのコツは、〝何事にも興味を持たないこと〟〝本気にならないこと〟――だった。
毎日せっせと一つのことをやり続けるとか。
イサークや雪緋さんやカイルみたいに、体を鍛えるなんてこと、私は経験してこなかったんだ。
ザックスにいた時の剣術の授業だって、毎日あるものではなかったし……。
(あ、そっか。蘇芳国にきてから、勉強の方の自習はもちろんだけど、剣術の稽古も一切してないや。……マズいな。師匠は先生みたいに厳しい人じゃないけど、あっちに帰った時にそのことを話したら、多少は悲しい顔されてしまうかも……)
深く反省した私は、『後で軽いストレッチくらいはやっておこう』と心に決めた。
萌黄ちゃんに見られたら、また〝奇妙なものを目にしてしまった時のような顔〟をされてしまうだろうから。
彼女に見つからないように、こっそりと……ね。
心でうなずきつつ、私はイサークに向かって言った。
「雪緋さん、すぐ戻ってきてくれるって言ってたし。ちょっとの間くらい一人でも平気だと思うから……イサーク、鍛錬に行ってくれば?」
「はあ? んなん、ムリに決まってんだろ。いくら雪緋がすぐ戻って来るっつってたって、姫さん一人にするワケにゃ行かねーよ。俺だってここでは一応、姫さん専属の護衛なんだからよ。ちっとの間だとしても、任務放り出して鍛錬なんざしてらんねーって」
……あら、意外。
たまには真面目なことも言うのね、イサークったら。
ちょっと見直しちゃった。
予想外の彼の答えに、私は満足して大きくうなずく。
でも、意見を変える気はさらさらなくて。
「うん。その気持ちは嬉しいし、感心もするけど。鍛錬に行く時間が遅くなれば遅くなるほど、イサークが眠れる時間が短くなっちゃうじゃない。昨夜ほとんど眠れなかったのは、私のせいなんでしょ? これでも責任感じてるのよ。だから……ね? お願いだから早めに鍛錬済ませて、お昼までゆっくり休んで?」
イサークの服の袖を軽く引っ張り、真剣に頼み込むと。
さすがに断ることもできなくなったらしく、彼はしぶしぶと言った感じでうなずいた。
「わかったよ。ちゃちゃっと行って戻ってくりゃー、あんたの気も済むんだな?」
「うん! 済む!」
ニッコリ笑って返事をしたら。
彼は大きなため息をつき、『んじゃ、ちょっくら行ってくらぁ』とだけ言い置いて、裏山の方へ歩いて行く。
「じゃーねー! 鍛錬の後は、ちゃんと汗を流してきなさいよーっ?」
後ろ姿に呼び掛けると、彼は振り返りもせず、面倒くさそうに片手を振った。
神の憩い場の使用を許されているのは、巫女姫である藤華さんと、彼女に直接仕えている人達(そして、彼女から許可を得ている私のような者)だけなんだけど。
神の憩い場と、少し下った先の神聖視されている区間外なら、誰でも川で身を清めて良いことになっているんだそうだ。
ちょっと下の方まで歩かなければいけないから大変だし。
温泉が湧き出ているのは上流の方だけだから、下の方の川は温くなってしまっていて、水浴びするのは辛いかもしれない。
それでも、『普通の川の水よりは、かなりあったけーぜ』って、ちょっと前にイサークが教えてくれたから。
(神聖な存在である藤華さんに仕える人が、常に体を清潔にしていなければいけないというのはわかるし、当然だと思うけど……。私に仕える人にも、汗臭くいてほしくなんかないもんね)
一人になった後。
私は腕を組みつつ、『そーだそーだ』と心の中でうなずいた。