嘘をつく理由
雪緋さんは、『あいつは、あんたが捜してたカイルってヤツなのか?』っていうイサークの疑問を、即座に否定した。
あまりにもキッパリと言い切るから。
カイルから何か聞いているとか、全ての事情を知っているとか、そういうことなのかなって、一瞬期待してしまったんだけど。
どうやら、そういうことではなかったらしい。
「翡翠は、乗っていた船から誤って落ちたか、もしくは、船の転覆に巻き込まれたかして、蘇芳国の海岸に流れ着いたのだそうです。その際に記憶を失ってしまったため、どこの国の民か思い出せない状態なのだと申しておりました。ザックス王国の民である可能性がないわけではございませんが、『ザックスという言葉には、全く聞き覚えがない。記憶を失ったにしても、なじみのある言葉であれば、少しくらいは引っ掛かる部分があるのではないだろうか。それがないということは、たぶん、私はザックス王国の人間ではないのだろう』とも、本人は申しておりましたし、私もそう思います。ですから、翡翠とそのカイルという人間は、全くの別人ですよ」
以上が、雪緋さんの言い分の全てだ。
つまり彼は、『カイルの話を鵜呑みにしているだけで、真実を知っているわけでも、カイルと翡翠さんが別人だという、確かな証拠を握っているわけでもない』……ということなんだと思う。
彼の話を聞き終わったとたん、私はガクリと肩を落とし、イサークは呆れ顔で腕を組んだ。
「ハッ。何だそりゃあ? 今の話だけじゃー、あいつがカイルってヤツとは別人ってことの、証拠にも何にもなりゃしねーじゃねーか。あんたがあいつの言うことをバカみてーに信じてるってだけのこったろ?……ったく。よくもまー、あんなうさんくせーヤツのこと、そこまですんなりと信じられちまうもんだよなぁ? お人好しにもほどがあんだろ。雪緋、あんた……気を付けねーと、そのうち悪ぃヤツらに騙されて痛ぇ目見んぞ?」
最初はジト目だったイサークなのに。
話の途中から〝気の毒な人を見るような目つき〟に変わってしまったようだ。
雪緋さんはまたしても、素直に言われたことを信じ、
「ええっ? そ、そうなのですか? 私、翡翠に騙されているのでしょうか……?」
たちまち顔色を悪くして、不安そうに胸の前で両手を組み合わせている。
う~ん……。
雪緋さん、いくらなんでも純粋すぎない?
お母様がザックスに嫁いだ時、雪緋さんが幾つだったかは知らないけど。
私が生まれたのがその次の年なんだから、確実に十七以上は上でしょ?
えっと、確か……雪緋さんが七つの頃に彼のお母様が亡くなられて。
その後、私のお母様に見つけてもらったって言ってた気がするから、お母様の従者になったのが七つか八つとして。
その後どれだけの間、お母様の側で過ごしてたんだろ?
まさか、一年以内ってことはないよね?
でも……一年くらいしかなかったとしても。
お母様がザックスに嫁いだ頃、彼は九つか十。
ってことは、最低でも二十代後半か……。
あ~~~っ、純、純、純!
純粋すぎるよ雪緋さんっ!
イサークが心配するのも無理ないくらい、疑うことを知らなすぎる!
(……ホント。大丈夫かなぁ、この人? 常に側で誰かが見守っててくれなきゃ、イサークの言う通り、簡単に悪い人に騙される人生まっしぐらだよ……。雪緋さん、恋人いないのかなぁ? いくら禁忌の子って言っても、恋する権利はあるに決まってるのに……)
そんなことを思いながら、真っ青になっている雪緋さんの横顔に、ついつい見入ってしまう。
彼は私の視線には気付かず、しきりに『翡翠が嘘を?』とか、『いやいや! 彼は真面目で誠実な人だ』とか、『いや。でも……やはり私が間違っているのか?』とつぶやき、堂々巡りしていた。
イサークは彼の両肩に手を置き、
「とにかく! あの男の言うことは、あんま信じんじゃねーぞ! ぜってー何か隠してやがっからな! こーゆー時の俺の勘はよく当たるんだ。……間違いねえ。あいつは嘘をついてる。どーしてだかはわかんねーが、な」
一見すると、にらみ付けているようにしか思えない顔で、熱心に言い聞かせている。
カイルが嘘付き呼ばわりされているのは、なんだかムカつくし、文句のひとつも言ってやりたいところだけど。
……まあ、彼なりに雪緋さんのことを思い遣っているんだろうから。
今日のところは何も言わず、見逃してあげることにしよう。
でも……。
やっぱり、藤華さんもおっしゃっていたように、カイルの記憶喪失は嘘なの?
何か理由があって、みんなに嘘をついてるの?
もし本当に嘘だとしたら……どうしてそんなことを?
蘇芳国とザックス王国には、昔から交流がある。
紫黒帝は一方的にお父様を嫌ってる、っていう問題点はあるものの。
他の国の人間だと思われるよりは、スパイ容疑だって掛けられずに済んだかもしれないのに。
……そうだよ。
ザックス王国の人間ってわかれば、すぐに国の方へも連絡が入ったはず。
そうすれば身元も保証されて、スパイだなんて疑われることもなかったに違いないのに。
なのに、どうして?
他国のスパイって嫌疑を掛けられる危険を犯してまで、嘘をつかなければならなかった理由って……いったい何?
未だとうとうと説得しているイサークと、困惑しながら聞き入っている雪緋さんをぼんやりと眺めながら。
私は、カイルが嘘をつかなければならなかった理由について、ひたすら考え続けていた。