師匠の懸念
昔語りをした後、黙り込んでしまったお師匠様に、私は恐る恐る声を掛けた。
「じゃあ、あの……お師匠様がこの国に戻った時には、ひいおばあ様は、もう……?」
「ああ、そうじゃ。……国に戻り、あのお方の墓前で、間に合わなかったことをお詫びしておったワシに、陛下が静かに近付いおられてな。一言だけ、こう漏らされたんじゃ。『このバカ者めが』、と」
「『バカ者』……」
その短い言葉には、たくさんの想いが込められてたんだろうなって、なんだかすごく切なくなった。
ひいおじい様は、お師匠様の恋心に気付いてて……。
でも、どうしてあげることも出来なくて。
きっと、お師匠様と同じように、苦しんでたんじゃないかな?
いつまで経っても戻らないお師匠様に、やきもきしたりして。
それほどまでに、ひいおばあ様のことを想っていたのかって……年を経るたびに、恋情の強さを思い知らされるようで、辛かったんじゃないかな?
私は、お師匠様の話の中でしか、ひいおじい様って人を知らないけど……何故だか、そんな気がした。
「ワシが旅に出てから、すでに、三十数年の時が流れておったが……。陛下はこのワシに、御身の騎士として、残りの人生を送ることをお許しくださった。幼き日の誓いを、数十年後に叶えてくださったんじゃ。その時初めて、しみじみと感じたのよ。ワシはこのお二方――エドヴァルド様とイリス様に、生涯を捧げるために生まれて来たんじゃと……」
「生涯を……捧げる?」
あまりにも大袈裟な言葉に感じられ、私は戸惑い、僅かに首をかしげた。
お師匠様は、そんな私に気付くと、
「なぁに、格好付けた言い方をしてみたかっただけじゃて。――つまりはこういうことじゃよ。『お二方にお仕えすることこそが、己の至上の喜び』だったんじゃと。……気付くのが、あまりにも遅過ぎたがのぉ」
そう言って、いつも以上に優しく、心に染み入るような笑みを浮かべた。
お師匠様の笑顔がよけいに切なくて、返す言葉も見つけられず、情けなくて下を向く。
すると、
「だからのぉ、カイルには……ワシと同じ過ちは、犯して欲しくはないんじゃが」
というお師匠様のつぶやきが聞こえて、びっくりして、再び顔を上げた。
お師匠様と……同じ、過ち……?
え……カイルが?
カイルがどーして、お師匠様と同じ過ちを……?
発言の意図がつかめず、私は困惑した。
お師匠様は、苦痛と哀れみが入り混じったような眼差しを私に向け、更に続ける。
「言ったじゃろう? あの若者は――カイルは、昔のワシにそっくりなんじゃと。カイルがワシに会いに来た時、昔のワシと、同じような顔をしておった。報われない恋をし、思い詰め、出口のない迷路をさまよっているような……絶望が支配し始めた時のような、蒼白い顔をしておったよ。だからその時思ったんじゃ。ワシの昔話を聞きに来た時点で、この者は道を決めておると。長い旅に出るという、揺るがない決意をしておるのじゃとのぉ」
「……カイルが……お師匠様の話を、聞きに来た時点……で……」
呆然とつぶやいた後、私はあることに気が付いて、まっすぐお師匠様を見返し、大声で訴えた。
「ちょ…っ、ちょっと待ってください! お師匠様とカイルが似てるって……それじゃまるで、カイルがお師匠様みたいに、長い間帰って来ないって――そう言ってるように聞こえちゃうじゃないですか!……それはないです! だって、カイルは片恋なんかじゃないし、私にも、二年経ったら戻って来るって、約束してくれました! だから、似てなんかいません! お師匠様とカイルの場合では、全然違いますっ!! これっぽっちも、似てなんかいませんッ!!」
私の主張を、穏やかな瞳で受け止めてくれていたお師匠様は、私が言い終わると同時に、嬉しそうに微笑んだ。
「ほぉ……そうかね。カイルは、片恋ではないんじゃのぉ。姫嬢様も、カイルのことを想うとるんかね。そりゃあよかった」
「え?……あっ!」
瞬間、自分の立場も考えず、軽々しく告白してしまっていたことに気付く。
私は口元を両手で押さえ、気まずい思いで沈黙した。
「なぁに。心配せんでも、触れ回ったりはせんよ。この老いぼれの、胸の内だけに留めておく。だからのぉ、姫嬢様。そんな顔しなさるな」
「……お師匠様」
うんうんと微笑みながらうなずいた後、お師匠様は、まだ少し憂いを含んだ瞳で遠くを見つめ、
「……なら、心配はいらんかのぉ。ワシの取り越し苦労じゃったか……」
まるで独り言のように、ぽつりとつぶやいた。
私はキュッと唇を引き結び、祈りを込めて、遠い空を見つめる。
そーだよ。お師匠様の取り越し苦労だよ。
カイルは、きっと戻って来る。
絶対無事に、私の元へ戻って来てくれるんだから。
だから何も、心配することなんてない。
恐れることだってない。
……ね?
そーだよねカイル?
私、あなたの帰りを、信じて待っててもいいんだよね……?
泣きたくなるくらいに綺麗な空を見つめながら、私は必死に、弱気な自分と戦っていた。
少しでも気を抜けば、次から次へと浮かんで来る不吉な想像に、呑み込まれてしまいそうになる、臆病な自分と……。