寂しさと幸福と衝撃と
「とにかく、護衛交代は姫さん自身が望んでるこった。あんたは用済みなんだからよ。ほら、大人しく帰った帰った」
イサークはカイルに向かってそう告げると、片手で〝シッ、シッ〟と追い払うような仕草をした。
失礼過ぎる態度にカッとなって、
「ちょっとイサーク! 用済みとかってひどい言い方はやめてくれない!? その手もメチャクチャ失礼だし!」
私は両拳を握り締め、強くイサークに抗議した。
彼は面倒そうに振り返り、
「あぁ? 用済みは用済みだろーが。他にどう言えってんだよ?」
腕を組みつつ、私をギロッとにらみつける。
いきなり訊ねられ、『他にって言われても』と困り果てていると。
「お話中に口を挟んで申し訳ございませんが、そろそろ失礼させていただいてもよろしいでしょうか? 私が不要ということでしたら、藤華様にご用向きをお訊ねしに参らねばなりませんので」
少しだけ不機嫌そうな声色で、カイルが私に訊ねてきた。
私は慌てて承諾し、イサークの非礼を詫びてから頭を下げた。
イサークも雪緋さんもこれには驚いて、
「姫さんっ?……ちょ――っ、なに頭なんか下げてんだよ!?」
「リナリア姫様! そのような恐れ多いこと……どうかおやめくださいませ!」
なんて、側でワーワー言ってたけど。
結局、こちらの都合を押し付けることになっちゃったんだもの。
彼に悪いところなんてひとつもないんだから、きちんと謝るのが筋だと思うのよね。
……まあ、こんなところを先生に見つかったら、
「一国の姫君という自覚も誇りもないのだな、君は。簡単に頭を下げるものではない!」
とかって、叱られちゃうだろうけど……。
いーのっ! ここに先生はいないんだから。
私の好きなようにさせてもらうもんねっ!
二人の制止も聞かず、私は頭を下げ続けた。
すると、
「……まったく。あなたという人は――……」
カイルが何やらつぶやいて、私は『えっ?』と思って顔を上げた。
「カイ……翡翠さん? 今、なんて言ったの? よく聞こえなかっ――」
「謝罪など必要ございません。どうかお気になさいませんように。それでは、失礼いたします」
私の話をさえぎるように、早口でそう告げると。
カイルは私達の横をお辞儀して通り過ぎ、御所の方へと戻って行った。
(カイル……。ホントに今、なんて言ってたんだろ? 最後の方は小声で聞き取れなかったな……)
でも、『まったく。あなたという人は』に続く言葉なんだから、やっぱり……。
「身分が下の者に頭を下げるなど、恥ずかしいとは思わないのですか?」
……とか。
そんなよーな言葉……かな?
「きっと、呆れられちゃったんだ……」
遠ざかって行くカイルの背中を見つめながら、私は泣きそうな気持ちでつぶやいた。
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神の憩い場――川の温泉に肩まで浸かっていると。
さっきまで沈み込んでいた心が少しずつ癒やされ、じんわりとした幸福感が、心と体の両方に染みわたって行く気がした。
ただ温泉に浸かってるだけなのに。
我ながら単純だな……とは思うけど。
いーじゃない。単純でも。
いつまでも暗い気持ちを引きずってるよりは、よっぽどマシでしょ?
「――ん?」
……あれ?
今、一瞬。
すごく良い香りがしたような……?
「どうじゃ? 香で知らせてやったから、もう文句はあるまい?」
「――ッ!」
いきなり眼前に白藤が現れ、私はギョッとして固まった。
白藤はニヤニヤ笑いながら空中に浮かび、私を見下ろしている。
「そちがうるさく言うものじゃから、わざわざ香をくすねてきてやったのじゃぞ? 香は宝具殿の奥の奥、そのまた奥の方で厳重に保管されておってのぅ。見つけるのがちと面倒じゃったが……。なぁに。我に掛かれば、忍び込むもくすねるも自由自在じゃ。どうということもなかったわ」
得意げに胸を張って高笑いする白藤を、私はしばらく呆然と見つめ……。
今がどういう状況だか気付いた瞬間、
「キャーーーーーッ!! 何考えてんのよっ、白藤のバカァーーーーーッ!!」
思いっきり声を張り上げ、自分の体を抱き締めるようにして体を丸めた。
「フムン?……何を怒っておるのじゃ? そちの申すように、現れる前に香で知らせてやったではないか。今度は何が不満なのじゃ?」
意味がわからないとでも言うように、白藤はフワフワ浮かんだまま腕を組む。
私はなるべく体全体を隠せるように岩肌に背中をくっつけ、体育座りのように両手で両膝を抱えつつ、白藤をキッとにらみ付けた。
「『何を怒っておるのじゃ?』じゃないわよッ!! 不満大アリに決まってるでしょッ!? 女性が素っ裸でお湯に浸かってる時に現れるなんて、非常識にもほどがあるわ! 香で知らせればどこに現れてもいいってことにはならないのよ! 一応この国の神様のクセに、そんなこともわからないのっ!?」
あまりの恥ずかしさに、涙がじわりとにじんでくる。
カイルの時は偶然の事故だったから、まだ仕方ないと思えたけど……。
このボンクラ神は故意だから!
こっちが裸なのわかってて現れたんだから有罪! しかも重罪よ!
必死に体を隠しながらにらみ続ける私を、白藤はポカンとした顔で見つめている。
私の怒りの原因が理解できないとでも言うのだろうか?
……だとしたら相当鈍いわよね、このお騒がせ神?
乙女の裸目撃しといて……むぅう~~~、動揺すらしてないってのも気に入らないしっ!
黙り込み、マヌケ顔でフワフワ浮かんでいる白藤を、私はひたすらにらみ続けていたんだけど。
「姫さんッ!! 今度こそ何かあったのか!? 悲鳴みてーな声したよな!?」
「リナリア姫様!! ご無事でございますかッ!?」
……またしても。
護衛二人が耳ざとく私の悲鳴を聞きつけ、こちらに近付いて来つつあった。