便利だけどややこしい能力
敵意むき出しと言った感じのカイルの表情に、私は思わずゾクリとしてしまった。
いつも優しかった彼がこんな顔をするなんて、とても信じられなかった。
「あ……。カイ――」
「私は翡翠です。何度申し上げたらおわかりくださるのです?」
謝ろうとしたとたん、ピシャリと返されてしまう。
でも、彼がイラつくのもムリはない。
何度訂正されても、今の彼にはわからない名前で呼んでしまうのがいけないんだ。
「ご、ごめんなさい。私、つい――」
〝カイル〟は大好きな人の名前だから。
今のあなたは〝翡翠〟さんなのかもしれないけど。
私にとっては、あなたはいつまでも大好きな〝カイル〟だから。
――なんて、言えるわけがない。
私のことを覚えていない彼に、『大好きな人』とか伝えたって、混乱させてしまうだけもの。
……どうしよう?
なんて言えば、納得してもらえるんだろう?
うまく想いが伝えられないのがもどかしくて、悔しくて、情けなくて。
うつむいてしまっていたら、
「てめえ! 今、姫さんになんて言った!? こっちが言葉わかんねーと思って、好き放題言ってんじゃねーだろーな!?」
またイサークが誤解して、カイルに突っ掛かって行く。
私は二人の間に割って入り、イサークには注意を、カイルには謝罪をして、この場を収めようと思ったんだけど。
「なんだよ姫さん! さっきからやたら弱気じゃねーか! いつものあんたは、バカにされて黙って引き下がるよーなタマじゃねーだろ!?」
一度カッとなってしまったら、なかなか収まりがつけられないタイプの人らしい。
イサークは矛先を変え、私に食って掛かってきた。
「だからっ! バカになんてされてないんだってば! 彼はもっともなことを言ってるだけで、悪いのは私なの! イサークはこの国の言葉がわからないから、勝手に想像しちゃってるだけでしょ!?」
「ぐ……っ! し、仕方ねーだろっ? わかりてーって思っても、あんたら、この国の言葉でばっか話しやがるんだからな! ちったぁ気ぃ遣って、ザックスの言葉で話してくれりゃーいーのによ!」
「だって! それこそ仕方ないでしょ!? 翡翠さんは記憶を失ってて、言葉だってこの国のものしかわか――」
「よろしいでしょう。ここからは、ザックス王国の言葉で話して差し上げます」
「ほら! 翡翠さんもこー言っ――……」
…………ん?
今、カイルなんて言った?
確か、『ザックス王国の言葉で話して差し上げます』……とかなんとか……。
「ええッ!? この国の言葉以外も話せるのっ!?」
驚いてカイルに目をやると、彼はフッと視線をそらせてうなずいた。
「記憶は失くしておりますが……言葉まで忘れてはおりません」
「そ……そうなんだ……」
……よかった。
ザックスの言葉は、ちゃんと覚えてるんだ?
最初からずっと、この国の言葉で話してるって……私が勝手に思い込んでただけか。
――あ。
でも、そー言えば。
私と萌黄ちゃんが森で迷っちゃった日。
事が収まった後の帰り際、カイルに話し掛けた時は……彼もザックス王国の言葉で話してたって、萌黄ちゃんが言ってたっけ。
そっかそっか。そーだよね。
最初から話せてたんだっけ。
……うん、そーだよ。
そのことがあったから、『やっぱりカイルだ』って確信できたんだもの。
私、この国の言葉とかザックス王国の言葉とか、ほとんど意識せずに話してるから。
正直言って、カイルが二ヶ国語を交互に話してみせたとしても、まず気付かないんじゃないかな?
う~ん……。
二ヶ国語を意識せず、自然に切り替えて話せるなんて、普通に考えたらすっごく便利なことのように思えるけど。
今、自分が話してるのは何語か――なんてことがわからないなんて、かえってややこしいかも。
それに、もっと正直なことを言えば。
未だに私、ザックス王国の言葉ではなく、普段は日本語で話してる感覚だったりするんだよね……。
全部日本語で話してて、ザックスの言葉も蘇芳国の言葉も、遣ってるって意識はないの。
自分では日本語で話してるつもりなのに、口から出た時には勝手にザックス王国の言葉に替わってる……って感じかな?(蘇芳国の言葉も同じく)
どーしてそんなことになっちゃってるのか、未だにまったくの謎なんだけど。
たぶん、ザックス王国にいた神様によって、そーゆー能力を授けられた……ってことなんじゃないかと思うんだ。
確信……とまでは言えないけど。
その辺りで納得しておかないと、永遠に悩み続けることになるし……。
だからまあ、この問題は、これで一応解決ってことにしておこう!
考えても考えても、完璧な答えの出せない問題を延々と考え続けるなんて、不毛過ぎるもんね。
「……姫さん? どーしたんだよ、急に黙り込んじまって?」
イサークの声で我に返った私は、
「え?……あ――。う、ううんっ。なんでもない! ちょこっとだけ考えごとしてただけっ」
慌てて首を横に振り、ごまかすようににへらと笑った。
「考えごとぉ?……ったく。しょーがねーな。誰のためにゴタゴタしてっと思ってんだよ?」
「う――っ。……ごめん。もうボーっとなんてしないから。……えーっと、それで……何の話をしてたんだっけ?」
「――って、おい! マジでふざけんなよ!? こいつがいきなりザックス王国の言葉でしゃべり出して、あんたは『この国の言葉以外も話せるの?』って驚いてたんじゃねーか!」
「あー……。そっかそっか。そーだったよね、うん。アハハっ」
「『アハハ』じゃねえッ!!」
イサークの一喝に、私はビクッと身をすくめる。
それからペロッと舌を出し、もう一度『ごめーん』と謝った。