謎と空腹と落胆と
駆け寄ってきた萌黄ちゃんは、いつもと少しも変わらない様子だった。
活発で、ハキハキしていて――キラキラと澄んだ瞳からは、後ろめたさや、迷いや恐怖などの負の感情など微塵も感じられず……。
昨夜人を殺そうとした少女と同一人物とは、どうしても思えなかった。
やっぱり、昨夜襲ってきた子は萌黄ちゃんじゃなかったのかな?
二重人格でもない限り、こんなにケロッとした顔で、殺そうとした人間の前に立つことなんてできないよね?
……だったら、あの子はいったい誰だったの?
顔は見えなかったにしても、姿形は萌黄ちゃんにそっくりだったから……他に思い当たる子がいるとすれば、千草ちゃんしかいなくなっちゃうんだけど……。
でも、千草ちゃんが私を殺そうとする理由なんて、あったりする?
彼女とは、まだほとんど口を聞いたことさえないし、恨まれるようなことをしてしまった記憶だってない。
彼女自身にないとしても……もしかしたら、他の人にはあるのかな?
私を恨んだり憎んだりしてる人が、この国にいて。その人が千草ちゃんに命じて、私を殺そうとした……とか?
う~ん……。
でも、あんな小さくておとなしい子に人殺しができるなんて、やっぱり思えないしなぁ……。
生まれた時から殺し屋になるべく育てられた……とかなら、まだともかく……。
「アハハッ。まっさか~! そんなマンガみたいなこと、現実にあるワケないよねぇ~?」
……あ、しまった。
思わず、心の声を口に出しちゃった。
私は即座に我に返り、慌てて周囲を見回した。
「なんだぁ? さっき忠告してやったってのに、もう忘れたのか?」
呆れたような顔つきで、イサークが私を見つめている。
たぶん、また白藤と話していたと思われたんだろう。
「あっ、違うよ? 今のはあの……っ、例のアレじゃなくてっ」
「……『例のアレ』?」
今度は雪緋さんが、ポカンとした顔で首をかしげる。
「もしかして……神結儀の時と同じようなことが、今、起きてたりするんですか?」
神結儀での出来事を、全て目撃している萌黄ちゃんにも、イサークと同じような勘違いをされてしまったらしい。
私はさらに焦って首を振り、
「う、ううんっ、違うの! 今のはそーじゃなくて!……え~っと……そう、独り言! ただの独り言だから! ねっ、みんな気にしないでっ? 早く忘れてっ?」
必死に作り笑いなんかを浮かべながら、どうにかこうにかごまかした。
みんなは納得行っていないようで、しばらく顔を見合わせたり、肩をすくめたり首を振ったりしていたけど。
私が頑として『独り言』だと言い張るので、追及するのは諦めてくれたらしい。
ホッとしていると、萌黄ちゃんが一歩前に進み出て。
「リナリア姫殿下。あの……もうこんな時刻ですし、あさげはお済みですよね? 一応ご用意しておいたんですけど……お済みなのでしたら、片付けてしまいますね。少々お待ちいただけますか?」
「えっ? わざわざ用意してくれてたの?……ああ、ごめん! 朝はなんだかゴタゴタしてたから、まだ何にもお腹に入れてないの! 急いで食べちゃうから、片付けるのはもうちょっとだけ待っててくれないかな?」
意識したとたん、お腹がグーグー鳴り出して。
私は顔を赤らめながら、両手でお腹を押さえた。
萌黄ちゃんはキョトンとした後で、プッと吹き出す。
「は……はい。それは、構いませんけど……」
慌てて口元を押さえつつも、その声には、笑いを堪えている様子がよく表れていた。
「じゃっ、じゃあ、さっさと食べちゃうから! ちょこっとだけ待っててね?」
恥ずかしさのあまり、早口で伝えると。
私はみんなの横を駆け足ですり抜け、風鳥殿の中に入った。
あ~、恥ずかしいっ。
空腹を意識したとたん、お腹が鳴っちゃうなんて!
姫としての威厳も何もあったもんじゃないわ!
……でも、しょーがないじゃない!
姫だって人間なんだから!
お腹が空けばグルグル鳴りもするわよ!
いーもんいーもん!
恥かきついでに、今日は思いっきり食べちゃうんだから!
ヤケクソ気分で御膳の前に座り、さあ食べようと目を落とす。
「……あれ?」
昨日までは、あんなに豪華だったはずのあさげなのに。
何故か、今日は一気に地味。
水分たっぷりの白米に、一口大のお芋みたいな野菜が混ぜ込んであるおかゆ(?)のようなものと、漬物二種。それだけ。
私は顔を上げ、ちょうど部屋に入ってきた萌黄ちゃんに、おずおずと訊ねる。
「あのぅ……萌黄ちゃん? 今日のあさげって……これだけ?」
「あ、はい……。申し訳ございません。神結儀の前と後だけは、特別にゴウセイだったんです。普段のあさげは、軽く済ませることの方が多いんですけど……リナリア姫殿下のお国は違うんですか?」
「あ……そーなんだ? 昨日までが特別……。そ、そっか。こっちが普通なのね?……アハハハ……。あ、えっと……私の国も、朝は結構軽めだけど……」
……さすがに、ここまで質素ではないかな……?
内心でつぶやいたものの、口には出さないでおいた。
それぞれの国には、それぞれの事情や決まりってものがあるんだから。
……うん。ワガママ言っちゃいけないよね。
そーよ!
元いた国には、〝郷に入っては郷に従え〟って言葉もあったし!
『たったこれだけで、ゆうげまで持つかな?』……とかって失礼なこと、考えちゃダメ!
「うん、今日も食べられることに感謝! 毎日食べられるってことは、幸せなことなんだから!……ってことで、感謝していっただっきまーーーっす!」
私は両手を顔の前で合わせ、ペコリとお辞儀してから箸を右手に持った。