心変わりが悲しくて
部屋に戻った私は、ただただ呆然と床の一点を見つめていた。
戻った――と言うより、逃げ帰ってきたようなものだったけれど。
カイルと藤華さんが、抱き合っているのを目撃した後。
私は強いショックを受け、一瞬頭が真っ白になった。
目の前の出来事が、信じられなかった。
……ううん。
信じたくなくて。
見ていたくなくて。
我に返ったと同時に、白藤に泣きついたんだ。
早く元いたところに戻して、って。
ここじゃないところに、今すぐ連れて行ってって。
白藤は何も言わずに私を抱き寄せると。
最初と同じく一瞬で、私を閉じ込められていた部屋に戻してくれた。
運の良いことに。
私が部屋から消えていた時、見張りの人が部屋の様子を窺うことは一度もなかったようで。
部屋の中は、相変わらずシンと静まり返っていた。
戻ってからずっと、私は呆然とするばかりで。
言葉を発することも、身動きひとつすることもなかった。
だからだろう。
しばらくの間、心配そうに私の周りをフワフワと飛び回っていた白藤も、いつの間にか姿を消していた。
「……カイル」
長い、長い沈黙の後。
私が最初に発した言葉がそれだった。
彼の名をつぶやいたら、自然と涙が溢れてきて。
誰もいないのをいいことに、私はポロポロと涙をこぼした。
「カイル……。やっぱり私のこと、忘れちゃったんだ。すっかり忘れちゃったから……他に好きな人、できちゃったんだ……」
まだ、ちゃんと彼の気持ちを確かめたわけじゃない。
だから、彼が藤華さんを好きになってしまったどうかなんて、本当のところはわからない。
……でも。
あんなところを見てしまったら……もうそうとしか考えられないじゃない。
どちらが先に抱きついたのか、それとも、ほぼ同時だったのかは、見ていないからわからないけど。
二人はしっかりと抱き締め合っていた。
どちらか一人が抱きついて、抱きつかれた方はためらっているとか、困っているとか……全然、そんな感じには見えなかったもの。
(カイルが……カイルが心変わりしちゃった。……ううん。記憶を失っちゃったんなら、心変わりって言い方は間違ってるかもしれないけど……。でももう、彼の心のどこにも、私は住んでないんだ。私の居場所は、完全になくなっちゃったんだ。私がどんなに好きでも……もう、彼の心は他の人のものなんだ。……だったら私は……私は彼のこと、好きでいちゃいけないの? 好きでいることは、彼の迷惑になっちゃうのかな……?)
考えれば考えるほど悲しくなってきて。
私は膝を抱いて泣いた。
この国に来る前に、『カイルに会えるまでは泣かない』って決めたのに。
『もう会えたからいいんだ』と自分に言い訳しながら、みっともなく泣き続けた。
本当は、思いっきり声を上げて泣きたかったけど。
『泣いていることは誰にも知られたくない』という最後の意地だけが、私に泣き声を上げることを堪えさせた。
この部屋に戻ってきてから、どれくらい経っただろう。
泣き止んだとたん頭に浮かんだのが、
(……お腹空いたな……)
って言葉で。
声に出したわけでも、誰に聞かれたわけでもないのに、私の顔はかあっと熱くなった。
どんなに悲しくても、どんなに打ちのめされていても。
この欲だけは抑えられないんだなと、どこまでも食い意地の張っている自分が恥ずかしくなる。
(でも、仕方ないよね。……それが生きてるってことなんだから――)
ムリヤリ自分を納得させ、手の甲や両手の指先で涙を拭き、顔を上げる。
――すると。
「ようやく泣き止みおったか」
「わあああッ!?」
眼前に白藤の顔がニュッと現れて、私は大声を上げてしまった。
バクバクする胸を両手で押さえ、ギッとにらみつける。
「ちょっと! いきなり現れないでって言ってるでしょ!? 人の心臓壊す気ッ!?」
白藤はフワフワと浮かびながら、ニッと笑って。
「そちがいつまでも泣き止まぬから、姿を現す暇をいっしておったのじゃろうが。これでもずいぶんと待ったのじゃぞ?」
「な――っ!……な、ななな泣き止むまで、って――」
――見てたの!?
誰もいないだろうと安心してたから、思いっきり泣いちゃったのに……。
全部。
最初っから全部見てたの!?
どこか行っちゃってたんじゃなかったのーーーーーっ!?
みっともなく泣きまくっていたところを、全て見られていたのが恥ずかしくて。
顔どころか、全身が沸騰したみたいに熱くなるのを感じた。
「もうっ、白藤のバカッ!! こっそり覗いてるなんてサイテーよッ! いたならいたでちゃんと言って! 隠れたりしないで、ここにずっといてくれればよかったでしょっ!?」
……そうすれば。
どこか行っちゃったわけじゃないって、初めから知っていたなら。
絶対、泣いたりしなかったのに。
涙なんか見られずに済んでたのに!
「覗く? 隠れる?……はて? 我はずっと、そちの側におったがのぅ? 側にはおったが……そちが落ち着くまで、姿を消しておっただけじゃぞ?」
「……へっ? 姿を……消す……?」
…………え?
えぇええッ!?
姿消すって……まさか、透明人間みたいになってたってこと!?
実際はそこにいるのに、見える相手(私)からも姿が見えないようにして、そこに居続けることができるの!?
白藤ってば、そんなこともできちゃうワケ!?
彼の新たな能力に驚いて、ポカンと口を開けて固まっていたら。
「リナリア姫殿下! ゆうげをお持ちいたしました!」
突然、表から大きな声がして。
私はギョッとし、反射的に入口の方を振り返った。