月花殿の庭
今私達のいる庭のようなところは、どうやら藤華さんの住まう月花殿の敷地だったらしい。
御所にある殿舎の全てを知っているわけではないし。
それぞれの殿舎の広さや、部屋数や物の配置、庭の様子すら知らないけれど。
藤華さんとカイルが現れたってことは。
やはりここは、月花殿なんだと思う。
「ちょっと白藤ってば! よりにもよって巫女姫のお住まいに降り立つなんて、何考えてんのっ? 不審者出現とかって大騒ぎされたら、どーするつもりなのよっ?」
庭は広く、藤華さん達がいるところとは結構離れている。
大きな音や声さえ出さなければ、気付かれることはないだろう。
そうは思いつつも、念のためヒソヒソ声で苦情を告げると、白藤はヒョイと肩をすくめた。
「そうは申してもじゃな。いずこに降り立ちたいなぞ、そちは申しておらんかったじゃろうが。とりあえず、表へ出られればどこでもよかったのじゃろう?」
「ぬ……!」
……確かに。
どこに行きたいなんてことは、一切伝えてなかったけど……。
「でもっ! もうちょっと考えてくれてもよかったんじゃない? あなただって、大ごとになったら困るでしょ?」
「フムン? 我は特に困らぬがのぅ」
「な――っ!」
……うぅ。
あっさり否定されてしまった。
「姿を見られて騒ぎ立てられるのは、そちの方だけじゃし? 我は他の者には見えぬのだから、困ることなぞひとつもありはせぬのよ」
そう言って、白藤は意地悪くニンマリ笑う。
私はムカッとしながら、軽く彼をにらみつけた。
「ひっどい! 私なら騒がれても構わないってゆーの!? 外に連れ出してくれたことには感謝してるけど、連れ出した後のことはどうでもいいだなんて、ちょっと無責任すぎるんじゃない? だいたい白藤は――っ」
「これっ。ちと声を抑えぬか。藤華らとは離れておるし、木々がさえぎっておって、我らの姿はあちらからは見えぬかもしれんがの。声に気付かれては、誰かおるのかと身構えられてしまうやもしれぬぞ? まあ、見つかっても構わぬと申すなら、好きなようにすればよいが」
「う――っ。……ごめんなさい。黙ります……」
なるべく抑えていたつもりだったのに。
白藤の態度にムカついて、いつの間にか声が大きくなってしまっていたらしい。
私はシュンとして口を閉ざすと、何気なく藤華さんとカイルのいる方向へ目をやった。
二人は立ち止まって、何やら話し込んでいる。
……ううん。
こちらから見る限りでは、話しているのは藤華さんだけみたい。
彼女の口が動いていることで、話しているんだとわかる。
カイルの方は、彼女の後方で耳を傾けているんだろう。口がまったく動いていない。
藤華さんが何を話しているのかは、かなり気になるけど。
残念ながら、声までは聞こえてこない。
離れていると言っても、二人が豆粒ほどにしか見えない――ってほどではないんだけどね。
もともと、藤華さんの声は控えめだし。
これだけ離れていれば、聞こえなくてもおかしくはない。
そう言えば。
彼女が大きな声を出したのは、あの時だけだったんじゃないかな?
――ほら。
白藤の姿が私にだけ見えるってわかって、周囲がざわついた時。
凛としたよく通る声で、『お静まりなさい!』って一喝したじゃない?
……あれ、カッコよかったなぁ。
彼女の気高さが、一気にブワッて放出されたみたいで。
たった一言で、みんなシーンとしちゃってたもんね。
いつも控えめな癒し系の人が、いざという時に発する一声って、かなり効くんだなぁ……って感動しちゃった。
後はほら、あれよ。
紫黒帝に切々と訴えた時。
涙を浮かべながら、『御所を追われてしまったら、わたくしにはもう、どこにも行き場などございませんのよッ!?』って――……。
あの言葉と声は、聞いていて切なかったな。
すごく追い詰められているように思えて。
もちろん、私は巫女姫になろうなんて思わないし、なれるとも思ってない。
紫黒帝だって、藤華さんを御所から追い出そうなんて、するはずないとは思うけど……。
あんなことをいきなり言い出されたら、藤華さんだって混乱するよね。
自分はもういらない人間なのかって、悲しくもなると思う。
今までずっと、この国のために尽くしてきたのに。
ぽっと出の他国の姫に、担ってきた役割を奪われるのかと考えたら、虚しくもなるだろうし……。
あーーーっ、もう!
ホントにどーして、紫黒帝ったらあんなバカなこと言い出したりしたのよ!?
私の方が能力が強いからって、急に巫女姫変更とかってあり得ないでしょ!
そんな簡単なものじゃないって、この国の帝が一番わかってそうなもんなのに!
それに、藤華さん言ってたよね?
『巫女姫に選ばれる条件は、〝不思議な力がそなわっているかどうか〟のみではございません』
『極端なところを申しますと、まったくなくとも構わないのです』
――って。
巫女姫になるための素質が、能力の強さだけではないなら。
今まで通り、藤華さんが巫女姫――ってことで、何の問題もないじゃない。
それなのに、どーして紫黒帝は……。
「ヌ……ッ? あれはいったい、どうしたことじゃ?」
白藤の声にハッとし、顔を上げると。
彼は〝驚きと不快とが半々〟というような顔つきで、どこか一点を見つめていた。
「えっ? どーしたことじゃ、って……?」
彼の視線を追った先で、私も見てしまった。
何やら話していたはずの藤華さんと、黙って聞いていたはずのカイルが。
強く想い合う恋人同士のように、固く抱き合っているところを――。