意外な乱入者
舞の準備が整ったんだろう。
藤華さんは、お付きの女官さんから舞の小道具らしき物を受け取ると、一人で中央に進み出た。
まずは紫黒帝のいらっしゃる方を向き、ゆっくりと一礼する。
それから、帝の正面――ちょうど反対側にいる私達にも同じく一礼し、上体を起こすと。
しずしずと舞台に上がり、真ん中辺りまで進んで足を止めた。
一拍の沈黙の後。
どこからか、和楽器の調べが聞こえてきて。
その音に合わせるように、藤華さんが優雅に舞い始める。
美しい音色はどこから聞こえてくるんだろうと、私は素早く視線を走らせた。
すると、いつの間にそこにいたのか。
様々な和楽器を手にした奏者が七名ほど、私達の左側(と言っても、結構離れてるけど)に一列で並び、雅な音を奏でていた。
(えーっ? あんなにたくさん、どこに隠れてたんだろう?……って、べつに隠れてたわけじゃないのかな? 私がひたすら藤華さんに見惚れてたから、気付かなかっただけ……?)
――だとしても。
いくら陽景殿が広いからって、同じ室内にいた人達にも気付かないなんて、マヌケすぎるでしょ。
こんなこと、もし先生に知られようもんなら、呆れられるどころか軽蔑されてしまう。
私は誰にも気付かれないようにホッと息を吐き。
神結儀に出席できるのが私だけで本当によかった、神様ありがとうと、心の内で手を合わせた。
……でも。
今日の藤華さんは、冗談抜きで天女かと思ってしまうほどに美しいから。
彼女の舞を見られないなんて可哀想だな~と、その点だけは先生とイサークに心底同情した。
……フフ。
神結儀が終わった後、二人に会ったら自慢しちゃおっかな。
藤華さん自身も藤華さんの舞も、すっごくすぅーーーっごく、キレイだったんだよ~~~? 観られなくて残念だったね~~~?……って。
ちょっぴり優越感に浸りつつ、視線を奏者の人達から藤華さんに戻す。
――とたん、私はギョッとなって目を見開いた。
(えええっ!? いつの間にか一人増えてるっ?)
藤華さんの斜め後ろに、彼女と似たような色合いの服を着た誰かがいて。
彼女に全て合わせるように、流れるような舞を披露していたのだ。
(え、えっ?……なんで? 藤華さん、神様がいるていで舞うんだって……確か、そーゆー話じゃなかったっけ?……予定が変わったのかな? やっぱり一人じゃ神結儀っぽくない――神と縁を結ぶって雰囲気が出ないから、急遽変更になった……とか?)
突然のことに呆然としながらも。
私は彼らの美しい舞に、自然と引き込まれてしまっていた。
……ホント、息ピッタリ。
よほど練習しなきゃ、ここまで合わせられないだろうなって感心してしまうほど、二人の舞は完璧だ。
向こうの世界でも、こういう和風の踊り――舞って、鑑賞する機会はなかったんだけど。
見慣れていない、よく理解できていない私でも。
今、目の前で繰り広げられている二人の演舞は、素人がチョチョッと練習したくらいではできない、ということくらいはわかった。
(……ハァ。舞って、もっと退屈なもののような気がしてたけど……。意外や意外。全然飽きないや。飽きるどころか、二人からいっときも目が離せなくなってる。派手なパフォーマンスってワケでもないのに……むしろ、めっちゃ地味な動きなのに。どーしてこんなに惹き付けられちゃうんだろ…………って、あれ?)
今さらながら、私はある重要なことに気が付いた。
藤華さんと息ピッタリな舞を披露している、あの神の代役の人。
……あの人だ。
藤の花を見に行った時、一瞬だけチラッと見えた、あの人。
人って言うより、まるで藤の精みたいだな~……なんて見惚れちゃったりした、白髪の……髪の長い、毛先十センチくらいだけ紫のグラデーションの、あの……。
様々な情報が一気に供給され。
私はポカンと口を開き、目を大きく見開いたまま、彼らを一心に見つめていた。
あの人は藤の精なんかじゃなくて、踊り子さん(?)だったんだ――とか。
でもやっぱり、うっとりするほど美しい男性だなぁ――とか。
藤華さんと並ぶと、まさに美男美女でお似合いだなぁ――とか。
ぐるぐると思いがめぐり、頭痛さえしてきそうだった。
――その時。
私とあの人の視線が重なった。
彼は私から目をそらさぬまま、ふうわりと舞い続ける。
私も視線を外せずに、彼をまじまじと見つめ続けた。
すると。
彼は愉快なものを見つけたとでも言うように、いきなりニィっと笑い。
その後、何を思ったか、舞を中断してしまった。
『えっ?』となって固まる私を、思わせぶりに見つめた後。
一人で舞い続けている藤華さんに顔を近付け、その耳元に、フッと息を吹き掛ける。
(な――ッ!?)
あまりに唐突な出来事に。
私はビックリ仰天して、もう少しで声を上げてしまうところだった。
息を吹き掛けられた藤華さんは、一瞬、キュッとまぶたを閉じ、恥じらうように少しだけ顔を背けたけど。
すぐに気を取り直したように前を向き、自分の役割を健気にこなし続けている。
(なっ、な……っ! 何なのあの人ッ!? 藤華さんの舞のジャマしたりして、いったいどーゆーつもり!?……ってか、なんでみんな思いっきりスルーしてるの!? 舞の間は、何があっても止めちゃいけない決まりでもあるの!?)
私はワナワナと震えながら、周囲の人達の様子を窺った。
萌黄ちゃんは、あんなことがあったにもかかわらず微動だにせず、頬を赤らめつつ藤華さんの舞に見惚れている。
彼女のお付きの女官さん達も、似たようなものだ。
奏者の人達も何事もなかったかのように、途切れることなく演奏を続けていて。
帝はと言えば、御簾に隠れているから表情なんて見えやしないし、ましてや感情なんて、私にわかるはずもなかった。
(なんなのよ!? ほんっとに何なのよあの人!? しかもどーして! 誰一人として、気にしてる気配すらないの!?)
困惑と怒りに震えつつ、再び視線を真ん中に戻す。
――とたん、信じられないようなことがまたしても起こった。
なんと!
あの奇妙な紫の人は、藤華さんに再び顔を近付けて――。
あろうことか、彼女の耳の端っこに〝カプッ〟と噛みついたのだ!