表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/251

やりきれない心

 カイルに衝撃の事実を打ち明けられた日から、その翌日まで。

 どうやって過ごしていたのか、実はよく覚えていない。


 約一日分の記憶があやふやになってしまうほど、ショックだったんだと思う。カイルが記憶を失くしているってことが。



 最初は、冗談かと思った。


 だって、短い間のことだったけど、私のことを『姫様』って呼んでたし。


 ……でもあれは、彼が言っていた通り、雪緋さんに釣られただけだったんだ。


 釣られた、なんて。

 以前の呼び方で呼んでしまったことをごまかすために、とっさについた嘘なんじゃないかって、実は疑ってたりしたんだけど……全然違った。



 覚えてないんだ、私のこと。

 知らないフリしてるとか、意地悪してるとかじゃなくて。

 本当に、これっぽっちも覚えてないんだ。


 私に告白してくれたことも。

 抱き締めてくれたことも。

 旅立ちの前日の、あのキスのことだって……。


 全部全部、忘れてしまったんだ。

 何ひとつ覚えていないんだ。 


 彼にとって今の私は……ただの〝異国から来た姫〟でしかない。



「そんなの……。そんなのないよ……」


 涙がにじみそうになりながら、思わずつぶやくと、


「はい? 今、何かおっしゃいましたか?」


 萌黄ちゃんの声がして、私はようやく我に返った。


 目の前には、あさげの支度がされている。

 私は左手にお椀、右手にお箸を持ったまま、つらつらと考え事をしていたらしい。


「もう! 何をボーッとしてらっしゃるんです? しっかりしてくださらないと困りますよ、リナリア姫殿下? あさげがお済みになりましたら、神結儀のお支度に入っていただかなければならないんですからね? まさかとは思いますが……すっかりお忘れになっていらっしゃるんですか?」


 疑いの視線を向けられ、私は慌てて首を横に振った。


「まっ、まさか! 忘れるわけないじゃない! だって私は、神結儀に出席するために、この国に来たんだよ?」


「……では、お早くお召し上がりくださいませんか? 片付けられませんので」


「あっ。……う、うん。ごめんなさい」


 私は素直に謝ると、ご飯やおかずを義務的に口に放り込んだ。




 あさげを終えると、萌黄ちゃんは膳を両手でヒョイと持ち上げ、足早にくりやへ片付けに行った。


 彼女が戻って来たら、神結儀に出席するための礼服らいふく(私の場合は、紫黒帝から贈られた和洋折衷っぽい服)に、着替えさせてもらわなければならない。


 べつに一人でも着られるんだけど、萌黄ちゃんにそう言ったら、


「貴族であらせられる姫殿下が、お一人でお着替えをなさるなんて!」


 って、思いっきり驚かれちゃったんだ。



 ……まあ、本来はそうなんだろうけど。


 着替えさせてもらうとかは、どうしても慣れることがなくて。

 自分の国でもアンナさんとエレンさんに半泣きで訴えて、どうにかこうにか着替えだけは、一人でさせてもらえるようになったんだよね。


 ハァ。……まったく。

 姫って職業も、これでなかなかメンドクサイのよ。


 次に生まれ変われるとしたら。

 私は絶対絶対、姫にだけはなりたくない!



 ……なーんて。

 今の言葉、もしも先生に聞かれてたら、大目玉食らっちゃうところだろうな。


 でも……どんなに先生に軽蔑されようとも、私の気持ちは変わらないけど。


 姫なんて立場、窮屈なだけだもの。

 私はもっと自由に生きたいの!


 そうすることが出来れば。

 恋の相手も結婚相手も、自分の意思で決められる。

 身分の差なんて、もう気にしなくたっていい。


 ……そう。

 身分の差なんて……。



「ハハっ。……でももう、関係ないか。カイルは私を好きになってくれたこと、覚えてないんだもんね……。身分差の恋なんて、私達の間には……もう、存在しないんだもの」


 想いを声に出したら、無性に泣きたくなってしまった。


 ……困る。

 だって今泣いたら、神結儀に腫れぼったい目で出席しなきゃいけなくなっちゃう。


 我慢しなきゃ。

 もっと別の……楽しいことでも考えて、涙なんて引っ込めなきゃ。



 ……ほら。

 楽しいこと楽しいこと。

 早く考えなきゃ。


 でなきゃ……。

 でなきゃ私……私、もう……。



「なんで? なんで忘れちゃったの、カイル……?」


 ポロリと涙がこぼれ落ちる。


 我慢しなきゃ、我慢しなきゃと思うほど。

 カイルとの思い出が後から後から浮かんで来ては、ぐるぐると心の内を駆け巡って、私に『泣け』『泣いてしまえ』と迫って来る。


「ヤダ。忘れちゃヤダぁ。……嫌だよぉ、カイルぅ……」


 子供みたいに駄々をこねて。

 恥ずかしい、情けないと思う余裕すらなかった。


 ポロポロポロポロ。

 涙があふれてはこぼれて、頬を幾筋もつたって行く。


「カイルのバカ。忘れちゃうなんてひどい。ひどいよ。……私は、全部覚えてるのに。忘れられるわけ、ないのに……。でも……もうダメなの? あなたのこと……忘れなきゃいけないの……?」



 ――記憶を失ってしまったのは、カイルのせいじゃない。

 彼は少しも悪くない。

 ただの悲しい事故なんだから。


 ……それはわかってる。

 わかってるのに――。



 私はグチャグチャな気持ちのまま、しばらくの間膝を抱えて泣き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ