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【習作・SS】Drink~Caffe Latte 冷たいカフェラテがくれた時間

作者: 安島妃鞠

習作として考えました。SSです。ぜひお楽しみください。


※以前も一度掲載したものを、諸事情により掲載しなおしております。

もうすでにお読みの方がいらしたら、申し訳ありません。


「8週ですね。おめでとうございます」

「……あ、はい。ドウモ……」


 その日、私は“母”になったのだと言われた。


 病院からの帰り路。季節を先取りしたような、じりじりとした昼の暑さは、夕方に近づきほんの少し和らいでいた。電車が来るまで、まだ10分はある。


 この後、どうしよう?


 まず、職場……は、早いか。大体、みんないつ頃言うんだろう?

 その前に、彼に言わないと。やっぱり、そうだったって。


 そうなると……入籍? する……よね?

 体調とか……どう変わって行くんだろう?



 冷静に受け止めていたつもりだった。

 そうだろうって、思っていたし……だから、病院に行った所で、特別何か変わるものでもないと……。

 

 けれど思いの外、緊張していたみたい。

 それに、やっぱり動揺もしていた。


 だから、少し落ち着こうと思って、自販機に向かった。

 無意識に、学生の頃から大好きだった冷たいカフェラテを買った。


「あ……」


 カフェイン。ダメなんだ。

 買っちゃった。どうしよう……。


 そんな事を考えながらそれを見ていたら……あまりにも懐かしくて、あの頃に、帰りたくなった。……――――


◇◇◇


『委員長、これおねぁーしぁす』


 日本語くらい、きちんと喋れ。そう言い返せない自分が憎い……。

 渡された用紙を預かり、束に加える。


 渡して来た彼は、一仕事終えたとばかりに仲間達の元へと帰る。


『終わった~。なあ、夏休みどこか行く? 怜は、またバイト?』

『ん~……まあ、そうな』

 

 

 同級生達の会話を、何気なしに聞く。怜と呼ばれる彼は、みんなの憧れ。

 いつも人の輪の中心にいる。

 少し派手な綺麗な顔立ちに、高い身長……バイトをしていて、どこかクールで落ち着いている、そんな人。

 

 私とは、住んでいる世界も、生きている時間も違う……そんな人。


 私には、決められたルーティーンがある。

 朝起きて、学校に来て、授業を受けて……放課後は図書室に行って本を借りて、それを校内で少しだけ読んで、まっすぐお家に帰る。

 

 それが、自分で決めたルーティーン。

 砂時計をひっくり返すみたいに、ただ単調に、上から下へ、下から上へ、あるべき場所に流れて行く。

 そんな日々が好きだった。


 寂しくないのかと母や友人に言われたけど、

 どこで寂しさを感じれば良いのかと思うくらい、淡々と毎日が充実していた。


『はい』

 

 図書室で借りた本を抱えて、校内のベンチで読んでいたら、急に目の前に差し出された。

 ひんやり冷たい、カフェラテの缶。

 視線をあげると、怜と呼ばれる彼がいた。


『……え?』

『……よかったら』


 無意識に受け取る。大した事のない出来事かもしれないけれど、私にとっては、

 まるで突然異世界に飛ばされてしまったみたいに馴染みのない出来事だった。


『……え? え? なんで?』

『いいじゃん、別に。美味しいよ? コレ』


 そういうと、何故か怜も隣に座る。

 わけがわからないけど、貰ったら、お礼を言わなくちゃいけない。


『……ありがとう』


 プシッと小気味いい音を立てて、缶が開く。

 思っていたよりも大きな音が出て、何だかドキドキしてしまう。

 その時、初めて飲んだそれは、

 ほんのり甘くて、ほんのり苦くて、とても美味しかった。


『美味しい……』


 思わず零せば、怜はとても嬉しそうに笑った。

 いつものクールな雰囲気とは違う……とてもあどけない笑顔で。


『でしょ? 俺、コレ、すっげぇ好きなんだ』



◇◇◇


 ――…………ピリリリリリリリリッ


 電車が発車する予告音に、はっと意識を戻される。

 電車、乗らなくちゃ。


 カフェラテを鞄に入れて、電車に飛び乗る。

 慌てた自分の様子が、何だか少し恥ずかしい。


 ――……プシュゥ


 扉が閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。

 窓の外で、さっきまで座っていたベンチが、ゆっくりと横に流れだす。


 なんだか……また自分を一人、そこに置いてきたような気分になった。……――――



◇◇◇


 あれから、怜によく声を掛けられるようになった。

 登校した時、授業の合間、お昼休みや放課後。


 周りの人は、不思議そうに私達を見て来る。

 人の注目を浴びるのは苦手。そっとしておいて欲しい、私はオポッサム。

 でも、私が表情を変えずに淡々と挨拶だけ返していると、大体が興味なさそうに視線を逸らす。


 そして時々、放課後二人きりになるとカフェラテをくれる。

 何度目かにはその状況にも慣れて、異世界から元の世界に戻って来られた。


 カフェラテを飲む時間だけ、私は怜の話を聞く。



 大抵が他愛もない事で、どの授業が好きで、どの授業が辛いとか。

 どのドラマが好きで、どの女優さんが好きで……だから何だと言うような事ばかり。


 でも、怜がとても楽しそうに話すから、私はただ聞いていた。




『もうすぐ……夏休みだな』

『うん』


 その日も、カフェラテを飲む私の隣に怜がいた。

 その日は、何だかいつもの怜と少しだけ雰囲気が違う気がした。

 

『なあ、夏休みさ……』

『うん』


 怜が、言葉を不自然に止める。少し待っても声が帰って来ない事を不思議に思い、イントネーションを変えてもう一度言う。

 

『うん?』

『……何でもない』



 少し、元気がないような気がした。ふと、ポケットを探るとチョコレートを持っていた。

 だから、それを一つあげた。


『え……』

『いつも、貰ってばっかで悪いから。美味しいよ? ソレ』


 怜は、またあの顔で笑う。たった一粒のチョコレートに、『ありがとう』と、嬉しそうに。


◇◇◇


 ――――……「次は、○×駅、○×駅……」

 

 はっと気が付くと、目的の駅を降りはぐってしまっていた。

 カフェラテの所為で、昔の事ばかり思い出す。

 早く飲んでしまいたいのに、それもできない。


 どこで引き返そう?


 このまま、この電車に乗っていると……地元に、辿り着いてしまう。……――――

 


◇◇◇



『……お父さん、もう5年もお付き合いしてる人がいるんですって』

 

 そんな事、今更驚きもしない。どこかで拗れてしまった夫婦の形。

 幼い頃から繰り返される、嘆きの応酬。

 だけど、その日はいつもと何だか様子が違っていて……。

 

『そうなんだ』

『もう……最近は、家にお金も入れてくれないし……お母さんも、限界で』


 母が、涙を零す。こんな時、自分は何と言うのが正解なんだろう。

 強がることしか知らなくて。本当の強さは知らなくて。

 その後が、どう大変なのかもよくわからないのに……。


『……なら、別れちゃいなよ』

 

 ただ、そう言うことしかできなかった。



 イレギュラーな事は……好きじゃない。

 大体において、良い事なんて一つもないから。

 

 未来に、希望が溢れてるなんて、どうしてみんな言うんだろう。

 ただ、ただ、無為な時間が広がっているだけかもしれないのに……。

 人生なんて、楽しい事より辛い事の方が遥かに多いのにって……私は何だか達観した気持ちでそう思っていた。



『……なあ。引っ越すって本当?』


 怜が、カフェラテを渡しながら、聞いて来る。

 あの後、私と母はすぐに祖父母の家に居を移した。

 だから、正確に言うと、()()()()()()()()()

 

 父の物だけを家に残して……夜逃げ同然。

 昼間だから、昼逃げ? 数日のうちにすぐに引越し屋も手配して、母と私、二人の物を持って家を出た。

 父は滅多に帰って来ないから……父に隠れて行うそれは、拍子抜けするほど容易かった。

 

 子供の頃から住んでいたその家は、がらんと不自然に隙間が開いていて、私はその時、初めて少し寂しいと感じた。家を離れる時、なんだか少し涙が零れた。


 怜に、何と返して良いかわからなかった。

 説明をすると長くなる。夏休み中に、学校も変わる。

 もう会う事もなくなる相手に、我が家の事情を話す事も憚れる。

 だから、一言。


『……うん』

『そっ……か、……』


 怜は、気まずそうに視線を伏せる。他の家の事情なんて、そうそう立ち入りたいものではないだろう。

 私は、溜息を零しながら、本を纏めて立ち上がる。この本は、多分もう夏休み前に読み切れない。

 色々と忙しくなるから……。もう、返しちゃおう。


『……今日は、もう行くね。岡田君も、元気でね』


 私は、その日初めてカフェラテを受け取らなかった。

 彼は、その日以降、話しかけて来なくなった。


 その後は、あれよあれよと言う間に時が過ぎた。


 私は、無事編入手続きも済ませ、夏休み明けには祖父母の家から新しい学校に通う事が決まった。

 

 けれど、予想外な事が、また起きた。

 父が、平謝りして来たのだ。

 逃げ出した私達を見て、いつもみたいに逆上するかと思ったのに……。


 がらんと空間の開いた家を見て、何をしでかしたのかわかったと。

 申し訳なかったと、ひたすら祖父母の家で土下座をしていた。

 ……その土下座に、何の意味があるんだろう。


 私は、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 傷つけた時間は、なくならないのに。どんなにきちんと着飾っても、母にも、その恋人? にも、不誠実でしかないのに。あまりにも馬鹿馬鹿しい、茶番劇。


 もちろん、母は突っぱねると思った。

 何を今更と……。それだけの覚悟で、家を飛び出したのだと、そう思っていた。


 

 だけど……母は、父を許した。

 


 結局、編入手続きを済ませてしまった私だけが、居を移し、新しい生活に入った。

 呆れてものも言えない。

 父と顔を合わせたくない私には、丁度良かったけど。


◇◇◇



 ――……「□□駅、□□駅」



 電車を降りると、懐かしい香りがした。

 長年使ったこの駅は、どこも変わっていなかった。



 どうしよう……。

 とにかく、昔住んでいた辺りに行ってみようか?

 

 小高い坂の上にある駅を離れると、長い長い坂道が広がっている。


 もう空は、半分夜だった。

 夕日に照らされた家々が、遠くまで良く見える。

 線路沿いを歩き、坂を下っていく。風が吹き抜け、アスファルトの隙間に生える小さな花を揺らす。……――――



◇◇◇



『お父さん……もう、長くないんですって』


 祖父母の家で過ごすようになって、暫く経ったある夜、母が電話でそう言った。

 何故だか、――ああ、そう言う事だったんだ……――そんな風に、妙に納得したのを覚えてる。


 運命って、不思議。

 ちゃんと上手く歯車が回るようになっている。



 何故、母が再構築の道を選んだのか、

 何故、父があんなにも必死に謝っていたのか……。


 本人達も、その時は知らなかった筈なのに、まるで予め知っていたかのように、

 二人は残された僅かな時を、二人でいる事を選んだ。


 “夫婦”って、不思議。

 どんな事をされても許してしまえるくらい、私には見えない、刻んできた時間があるのだろうか?

 

 私は、傍観者である事を選んだ。

二人の行く末を静かに見守る。


 母を手伝い、私も何度か病院に通った。


 入院中、久しぶりに父とゆっくりと話して、この人はこんな人だったんだ……と、何だか初めて父を知った気がした。



 父は、私達以外、他の誰とも会おうとしなかった。

 長年付き合っていたと言う、その恋人とも。



 何故、誰とも会おうとしないのかと父に聞いた。

 父は言った。

 『決して治る事は無いのに、お大事に……と言って帰る後ろ姿を見送るのが、忍びない』と。



 私は、思わず小さく笑ってしまった。普通は、泣くところ?

 

 ……なんて、弱虫なんだろう。

 私は、この人の血を半分引いているのか。


 そんな風に思ってしまって。


お医者様の見立て通り、父の闘病生活は、そう長くは続かなかった。

 

◇◇◇


 ――――……ガタンガタンガタン


 電車の音が通り過ぎる。

 暫く歩くとこじんまりとした黄色いお家が見えてくる。

 長年住んでいた私の家。今は、違う人が暮らしている。


 あれ? と首を傾げる。

 思ったより、懐かしさを感じなかった。


 なら……学校の方は?


 少しドキドキしながら、学校に向かう。

 通いなれた通学路。古いお煎餅屋さんの角を曲がると見えてくる。

 

 学校は……すっかり形を変えていた。



 

 改修工事? 校門には、通いなれた学校の名前が入っているのに……。

 とにかく、校舎の周りをぐるりと巡ってみる。

 なんだか……近未来。ビルみたいになってる。



 すっかり拍子抜けだ。そんな間抜けな自分に、また少し笑えて来る。


 いる場所もなく、歩き疲れて、ふと……小さな公園が目に留まる。

 もう空は、すっかり暗くなっていた。


 公園には、誰もいない。

 夜の公園なんて、普段なら怖くて一番入りたくない場所だった。

 

 でも見覚えのある公園だった事もあって……

 何故かとても優しい空間に感じて、そこで休んで行く事にした。

 公園に入り、ブランコに座る。



 ブランコって、こんなに低いんだっけ……。


 あまり覚えていないけど、多分、小さい頃は私もここでよく遊んだんだと思う。

 父や母が、連れて来てくれていたような……。


 少しだけ、ブランコを漕いでみる。

 

 キー、キーと、無機質な音が響く。



 

 私も、両親のように、公園に通うようになるのかな。

 まだ、実感もわかない。どちらかというと、不安の方が大きい。

 乗り越える事が、出来るだろうか……? 愛する事が、できるだろうか?

 生まれてきて良かったと……思ってもらえるだろうか?



 とにかく、彼に連絡しなきゃと思い、鞄に手を伸ばす。

 すると、手に触れる冷たい感触。あのカフェラテ。


 また、思い出す。あれは、父の葬儀の日……――――



◇◇◇


 

 どこから聞きつけたのか、数名の友人と一緒に、怜は来ていた。

 いつものように着崩していない、きちんとした制服姿で。

 私は、喪主である母の隣で、ご来賓の皆さま? のお見送りをしていた。


『あの……』


 怜が、意を決したように母に声を掛けた。

 何故、母なのか。


『少しだけ、その……』


 怜が、ちらっと私を見る。私は、何故かその様子に頬が熱くなり、落ち着かない気持ちになる。

 母は、何かを察したように、頷きながら言う。


『行っておいで。もう、後は大丈夫だから』


 怜と、少しだけ話す事になった。


 葬儀場の裏手に行くと、自販機があった。

 怜が、急に慌てたようにそこに向かうが、『ああ!』と声を上げた。

 私はびっくりして、肩を跳ねさせる。


『……カフェラテがない』


 なんだそんなことか。思わず笑ってしまう。


『なんで、カフェラテじゃないとダメなの? 他のでも良いじゃない』


 怜は、少し口を噤み、零すように言った。


『……他のじゃ、ダメだった』

『ん?』

『何でもない』


 結局怜は、何も買わなかった。その後、気恥かしそうに頭を掻いて……何て言ったんだっけ?



◇◇◇



「……ああ! やっと見つけた!」


 馴染み深い声が聞こえて、驚いて目を向ける。

 何故、彼がここにいるのか。


 相当走ったようで、スーツ姿のまま、ぜーはー肩で息をしている。


「今日、病院の日だからって……会社、早退して……でも、家に帰ってもいないし……、携帯も……もう、絶対愛想つかされたかと……」


 ふうと息を吐き、立ち上がる彼の姿が、昔の面影と重なる。

 そうだ……あの時も彼は、

 少しはにかむように、でも本当に嬉しそうに笑って、そう言ったんだ。


 

 


「『やっと会えた』」




 

 私の前で、クールで大人だった事なんて一度もない。

 いつも肝心な事が言えない、ただのかっこつけ。


 なのに、いとも簡単に私を異世界に連れて行く。



 

 それが……一つも嫌じゃないのが、また不思議。


 

 私は、思わず笑ってしまう。

 気が付けば随分と長い時間、気が付かない振りをして……

 確かな気持ちを返せずに、ふらふらとここまで来てしまった。

 

 だって、何だか怖かったんだもの。

 


 あの時、何故、彼がカフェラテを渡して来たのか……ようやくわかった。

 私も、彼と同じ。大事な事が言えない弱虫だから。


「ねえ、怜」

「ん?」

「これ……」


 私は、彼にカフェラテを渡す。ほんの少し、勇気を出すまでの時間を、貰う為に。


「怜、わたしね……」


 


 もうすぐまた、夏が来る。


貴重なお時間をありがとうございます。

ぜひ、いいねお願いします。

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