実験
「ただ、ご同意前に一つご承知願いたい旨がございます」
セルパンは少しだけ眉を下げ、声をすぼめて告げた。
「我々が提供するこのシステムは、国家も承認済みの臨床実験という側面がございます」
それは周知のことだ。
EDENは、開始当初は医療用のオンラインサービスだった。その目的は二つ。一つは難病や余命僅かの患者のターミナルケア。肉体の苦痛を失くし、快楽のみを得られるのだから、もっともな利用目的だろう。
もう一つは、リリース当時未発達な部分も多かったAIの発達を目指した、思考データのサンプリングだった。住人の自由な生活を送る中で得られる思考パターン、脳波、分泌物……様々なデータを得る事で、AIはより人間に近い思考を取り込んでいったのだ。
大陸が統一されて以降、人々は出産時に産院で脳に微細なチップを埋め込まれ、すべてのパーソナルデータがそこに随時書き込まれていく。それを計測するということだった。
俺の両親はその研究者だったがゆえに、進んで身を投じた。最初期の被検体だったのだ。
その後は金持ちたちの永久バカンスとして普及していったが、サンプリング自体は今も全ての住人に対して行われているらしい。
俺に対しても、常に行動パターンや肉体状況、脳波などが管理されると説明した。必ず人類の未来を切り拓くために役立てる、と。
別にそんなことは厭わない。俺が気がかりなのは、一つだ。
「EDENに行った後、いつ帰れますか?」
セルパンは、初めて動きを止めた。貼りついたような笑顔から、急に口元が締まり、眉間に皺が寄って行った。
「帰るとは……このオフライン上に、ということでしょうか?」
「そうです」
「そんな必要がどこに?」
そう訊ねる顔には、迷いは微塵もなかった。自分たちの提供する楽園こそが最適解だと、信じて疑わない顔だ。
「俺には妹がいます。体が弱く、傍についていないと……」
「ユナ・エンドウ様ですね。確か生まれつき心臓に疾患を抱えているとか。ですが、一度ご両親を見送られた貴方ならばご存じのはず。大事なご家族を取り上げる形になるのですから、残された親族にも十分な保証をする事になっておりますので、どうかご安心を」
「保証金なんて、あっという間に底をつく。それに金の問題だけじゃないんだ。そのサンプルとやらの協力なら惜しまないから、月に一度でいい、妹に会わせてくれ」
「それは、出来かねます」
ぴしゃりと、戸を閉ざすように言った。
「この実験は長期間でのサンプリングを目的としております。1ヶ月程度で途切れては、正しい計測ができません。それにEDENとオフラインでは接続が不可能……面会も適いません」
取り付く島もない物言いだ。だがセルパンは僅かに思考し、手元に呼び出したデジタルキーボードを操作した。すると、デスクに表示された同意書の文面が変化した。
「では条件を変更しましょう。我々が、貴方の代わりにユナ様の手術費、ドナーの提供、その後の継続的治療および生活手当すべてを手配します。いかがです? 貴方がEDEN行きにご同意下されば、それも可能です」
どうあっても、俺をEDENへ連れて行きたいらしい。俺自身、ここまでのこのこ来たからには、ただでは帰れないことは承知している。それでも、この待遇は理解できない。
「どうして……そうまでして俺をEDENに入れようとするんです?」