16 妖精の国③
しばらく歩くと、大きな椿の花の家があり、どうやらここが目的地のようだ。
「おばあ様、ただいま!」
「遊びに来たわ!」
リリくんは、ただいまと言って入っていったから、ここにおばあ様と一緒に住んでいるのだろう。どちらも攫われてきているのだろうから、血の繋がりは恐らくない。
リディちゃんは家主の返事が来る前に、声だけ掛けてさくさく家の中に入っていった。これは常習犯だな。
でも僕の家に来る時にも予告も何もなくいきなりぽっと出てくるし、多分いつでもどこでもそうなのだろう。
「こんにちは」
「こんにちは」
僕とアイネは家の前で声を掛ける。
いくら既にリディちゃんがどかどか入っていったとはいえ、人様の家に勝手に入るのはちょっとね。
「どうぞ、入っておいで」
家の奥から、やさしげな声が聞こえた。年を重ねた女性の声だ。
「お邪魔します」
許可をもらえたので、中に入る。
椿の家の中は、一言で言えば不思議だった。
家の外観や入口は椿だけど、中に入るとごく普通の家のようだ。中は椿の花の形ではなさそうだから、空間を歪めて広くしているのかな。
玄関には靴を脱ぐスペースがあった。まるで日本みたいだなあ。置いてある棚や置物も、どこか日本を感じさせる作り。
極め付けは、案内されたリビングが畳だった。なので、リビングというよりは、居間といった方が似合う。
居間には足の短いテーブル……ちゃぶ台に、座布団。これはまさしく。
「日本の風景だ……」
思わず呟く。
僕の家は洋室しかなかったけど、昔遊びに行った親戚の家がこんな感じだった。古き良き日本。
「もしかして、あなたは日本の方かしら?」
先程のやさしげな声。
声のした方を向くと、白髪の女性が座布団に座って、穏やかに微笑んでいた。
「ヨリコ!」
リディちゃんが、その女性に抱き付いている。リリくんは隣に座っていた。
見た目はまさに、おばあちゃんと孫だ。
「リディちゃんは今日も元気ねえ」
「ヨリコは今日もとっても美しいわ!大好きよ!」
「ふふ。こんな年寄りに、いつもありがとうね」
「若い頃の真っ黒な髪も綺麗だったけど、今の真っ白な髪も好きだわ。しわしわの手だって、働き者の手だもの。それに、笑顔はずっと変わらずに素敵よ」
どうやらリディちゃんは、ヨリコさんのことがとにかくめちゃくちゃ好きらしい。それだけはすぐにわかった。
ヨリコさんは、良い年の取り方をした、という表現がよく似合うと感じた。こんな風に穏やかに、年を取りたいものだ。
「お客様もいることだし、まずはお茶にしましょうね」
ヨリコさんの言葉にリディちゃんは腕を離して、ヨリコさんの隣に座る。
リディちゃんの隣にアイネ、その隣に僕、僕の隣にノヴァ様、という並びで座った。ちゃぶ台は円形なので、ぐるっと囲むような形だ。
リリくんがお手伝いをしながら、ヨリコさんがお茶をいれてくれる。湯呑みに急須、日本茶だ。
ちゃぶ台の上にあるお茶請けも、日本茶に合った和菓子が多い。どら焼きとか、もなかとか。
うん。これ完全におばあちゃん家に来たみたいな感覚だよね。アイネの家も畳とかはないから、知識としては知っていても色々と気になるのかきょろきょろとしてアイネも落ち着きがない。珍しい和菓子に舌鼓を打ったりしている。うん、可愛い。
ひとまず、お茶を飲みながら簡単に自己紹介をした。
ヨリコさんは、篠崎頼子さん、というそうだ。
「あの、頼子さんは日本人なんですか?僕は、そうなんですけど」
この家の中のことや、名前が漢字ということもあって、そうだろうなとは思いつつ聞いてみた。
「ああ、やっぱりそうよね。壱弦くん、名前が日本のものだものね。……私も元々は日本人よ。落ち人として、突然この世界に来たのだけれど、もうずっと若い頃の話よ。六十年以上経つかしら」
「そんなに……」
僕はまだ生まれていないし、なんなら僕の両親でさえ、生まれていないほど前だ。となると、頼子さんはすごく若い頃にここに来て、ずっとそのままこちらで暮らしているのか。
「六十三年よ。あたしが生まれる十三年前だって、ママが言っていたもの」
リディちゃんが更に正確な数字を出してくる。
ええと、頼子さんが異世界に来たのは今から六十三年前。それがリディちゃんが生まれる十三年前の話。ということは……。
「えっリディちゃん、五十歳なの?」
「何よ、文句あるの?」
やばい、失言だ。女性に年の話は厳禁だ、という母の言葉を失念していた。
だってこの見た目で五十歳ってびっくりするし。なんとなく、僕より生きていそうだなあと感じてはいても、明確な数字になってみると何だかまた違う感覚で。
「妖精の女王の寿命は大体三百前後だからな。五十ではまだ子供だ」
ノヴァ様がさらっと教えてくれる。
そうなると、リディちゃんの頼子さんへの懐き具合も納得だ。生まれた時からお姉さんのように一緒に過ごしてきたのなら、こうなるだろう。
「先代の女王様にはとても感謝しているわ。日本にいた頃も、私はあんまり良い境遇とは言えなくてね。もう人間そのものと関わりたくないって、あの時は思っていたくらい。でもこの世界に落ちてきて、すぐに妖精の国に連れてきてもらって、それからはずっと穏やかよ」
頼子さんは本当に幸せそうに、くしゃりと微笑んだ。今とこれまでが穏やかでやさしい時間を過ごしてきただろうということは、その柔らかな雰囲気からよく感じる。
「……日本に帰りたいとは、思ってはいないんですか?」
「ええ。帰ったところで誰も私を待っていないもの。それに、私はもう選んでいるのよ」
「選んでいる、ですか?」
「そう。ここが私の家で、ここにいるみんなが家族だと。……鑑定のスキルはある?私のステータス、鑑定してみてくれるかしら」
頼子さんに促されて、ステータスを鑑定する。
篠崎 頼子 シノザキ ヨリコ
七十五歳 女
体力 75/91
魔力 215/410
スキル 鑑定B
裁縫B
料理B
水魔法D
固有スキル
全言語自動翻訳
促されるまま見たけれど、特に気になるようなところはない。アイネと自分のステータスしか見たことがないから、基準もよくわからないし。
「異世界人という表記、もうないでしょう?」
頼子さんの言葉に、はっとする。
僕のステータスを見てみる。
月立 壱弦 ツキタチ イヅル
十七歳 男
体力 200/252
魔力 19980/20000
スキル 隠蔽∞
鑑定∞
全魔法∞
無詠唱∞
錬金術∞
弓A
運∞
固有スキル
精霊の愛し子
異世界人(全言語自動翻訳)
精霊の加護(みんなイヅルが大好きだよ!)
固有スキルの全言語自動翻訳の前に、異世界人と書いてある。この異世界人というスキルの効果が、全言語自動翻訳だと思っていた。
けれど頼子さんのステータスには、異世界人という表記はない。
「私は確かに落ち人としてこの世界にやってきたけれど、もう異世界からの客人ではないの。この世界で生きて、死ぬことを決めたのよ。だからもう、異世界人ではなくなったのよ」
「そう、なんですね」
頼子さんは異世界人、落ち人としてこの世界にやってきた。けれどもう、ここに住むことを決めたから、異世界人ではなくなった。そういうことなのか。
「焦って決めることではないわ。ゆっくりで良いのよ」
僕は今はまだ客人で、完全にこの世界の住人というわけではない。宙ぶらりんの状態ということなのだろう。
僕はこの世界にいたい。辺境の街に住んで、穏やかに過ごしていきたい。その気持ちは最初から変わらない。
それでも異世界人である限り、どこかで、家族と繋がっているような気がしていた。




