聖女、新鮮な魚介類を所望する
ピシッ、と、こめかみの辺りになにか小石をぶつけられたような衝撃が走った。
「うッ……!?」
その衝撃の強さに、思わず頭を押さえて地面にしゃがみこんだ。
なんだろう、今の衝撃は。私は偏頭痛持ちではないんだけど……。
「どうしたコノヨ。立ちくらみか?」
ハイゼンがちょっと驚いたように私に言った。
私もなんと答えようか迷ってから、結局首を振った。
「んまぁ、そんなもんかな……もう大丈夫」
私は気を取り直して、目の前の仕事に戻ることにした。
目の前の建設予定地ではエルナディアの工兵たちが鬼のように立ち回り、着々と食堂の建設が進んでいる。
既に内装の方も形になってきており、一週間後には最大五十名程度が食事を摂れる食堂が完成する予定だった。
ハイゼンと共に設計図片手に食堂をウロウロしていると、パウラ食堂にやってきた。
「コノヨ様、エルナディアに依頼していた鮮魚が届きましたが……」
おう、と私は頷いた。
パウラの後に続いて入ってきた兵士二人は、トロ箱のような平たい木箱を机に置き、菰をはねた。
私とハイゼンは同時にそれを覗き込み――ツンと鼻を突いた酸っぱい匂いに、同時に顔を背けた。
「うッ――!? ――ああ、やっぱり傷んじゃったかぁ……」
私は頭を掻きながら届けられた魚を見た。
エルナディアから届けさせた魚介類は、そのどれもがなんだかすっかり水気を失い、ぶんぶんとハエがたかっていた。
焼いたり煮たりすればなんとか食べられるのかもしれないが、少なくともとても新鮮とは言い難いコンディションだ。
「これでも大至急の馬車を仕立てて送らせたらしいのですが……流石にこの陽気でこの距離を運んでくるとなると、どうしても……」
「エルナディアにも氷魔法の使い手はいるだろう? 氷魔法か何かで鮮度は保てないのか?」
「生憎、彼らは国防の任がありまして、流石にこの任務だけに当たらせるわけには……」
パウラはすまなさそうに言ったが、最初から無茶を頼んだのは私の方なのはわかっている。
私は少し落胆しながらも首を振った。
温泉地がこれだけ大所帯になってくると、心配になってくるものがひとつある。それは食料の問題だった。
現状、食料はエルナディア帝国の後ろ盾を得たことで量は心配ないものの、問題はそれをどうやって食べさせるかだ。
しかもエルナディアの帝都から不帰の森までは歩いて数日の距離であるし、山奥であるから生鮮食品等はなかなか手に入らない。
畢竟、ここに送られてくるのは日持ちがする干し肉や卵、根菜類が関の山で、新鮮な魚介類は望むべくもなかった。
しかし――私はひとつ夢があった。
それは「この世界の温泉でも新鮮な魚介類を食べてもらいたい」という、個人的な欲求だった。
そう、刺し身やお造りなどの新鮮な提供は、日本の温泉地なら当たり前になっているけれど、異世界ともなるとそれは途方もない夢の類になってしまう。
何しろ交通網が未発達で、輸送手段も馬車が関の山の現状では、鮮魚を新鮮なままこの山の中に持ってくるのは至難の業だ。
このことはハイゼンにも相談してみたのだけれど、海を泳いでいる魚の召喚は空中を飛び回る鳥を撃ち落とすようなもので、やはり難しいとのことだった。
だが――私にとってこれは何としても解決しなければならない課題だった。
何しろ、日本の山奥の温泉地にとって、新鮮な魚介類の提供は一種のおもてなしの心そのものだからだ。
大昔、海なし県の群馬県の草津温泉では、新鮮な魚介類を食べることは最高の贅沢だったという。
それ故草津の温泉客は、山奥草津の温泉宿で出される新鮮な海鮮料理をとても喜んだのだと聞いていた。
いわば山奥の温泉宿で出される魚介料理は一種のグローバルスタンダードでなければならないのである。
うーん、と、私は痛んだ魚を前に考え込んだ。
どうにかしてこの山奥で魚を得る手段はないものか……考えても、流石にこれだけは私よりも魚に詳しい築地の威勢のいいおじさんの管轄だった。
「やっぱり魚は塩漬けとか干し魚とかにするしかないのかなぁ……それとも、マスやサケなんかの淡水魚にするか……」
「しかし、結局どこで魚を獲ってもここまで運んでくる最中に傷んだら意味がないぞ。第一、サケやマスの川魚はそう大量に獲れるもんでもない」
ハイゼンに冷静にツッコまれて、私もだんだん弱気になってきた。
確かに、私の言っていることはハイゼンやパウラにしてみればとんでもない妄想ということになるのかもしれなかった。
魚をしかも大量に確保する方法、それは結局、この山奥に養殖池を作り、そこで養殖するしかないような気もする。
しかし、この山の中を流れる川の水はサケ・マスには有毒な酸性の死の川がほとんどで、そんなところで魚を養殖できるわけがない。
どうしようかなぁ……と考えていたときだった。
私の目の前に広げられた腐敗した魚介類の中に、ひときわ珍しい魚を見つけた私は、おっと声を上げた。
全体的に色は灰色から暗緑色というところで、鯛に似ている気がするが、身体には暗褐色の縦縞があり、他の魚よりも少しだけ色合いが派手だった。
「この魚は……? パウラ、この魚知ってる?」
「どれです? ……ああ、この魚はティラピア、要するに川鯛ですね」
ティラピア! 私の頭の中にはっと思い当たるものがあった。
そんな私の様子に気がつかず、パウラはつらつらと説明を続けた。
「この魚はエルナディア帝国と交易関係にある遥か西国が原産の魚です。なんでも、世界の果てには年中雨の殆ど降らない乾いた砂の大地があるそうで、そこを流れる大河に住む魚であるとか……」
つまり、ナイルティラピア、もしくはそれに近似する種の魚ということか――。
これだ。私の頭の中にむらむらとある思いつきが浮かんだ。
その魚を凝視したまま固まる私を見て、パウラとハイゼンが不審そうに私を見た。
「どうしたコノヨ? 体の具合でも悪いのか?」
「面白そう!」
「続きが気になる!」
「温泉行きたい!」
「山奥の宿なら刺し身じゃなくてキノコとか山菜とか山のモン食わせろよ!」
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