聖女、暗殺者を解放する
私は側に湧いた温泉の湧出口から、両手で湯を掬い上げた。
そしてダークエルフの少女の方に向き直って、私はにっこりと笑った。
「この温泉は飲んでも健康にいいんだよ」
その言葉に、少女がぎょっとした表情を浮かべた。
私はニコニコと笑みを浮かべたまま少女に近づくと、有無を言わさず掌を少女の口元に持っていき、温泉水を流し込んだ。
「もがっ――!?」
少女は目を白黒させてそれを受けた。
ほとんど口の端からこぼれ落ちたようだが、少しは飲み込んだことだろう。
じょろろ……と一気に温泉水を流し込んだ私は、咳き込んでいる少女の前にしゃがみこんだ。
「んぷ――! な、何すんだ!?」
ダークエルフの少女が喰い付くように怒鳴った。
私は少女の顔を覗き込んで言った。
「飲んだね?」
「は?」
「今、一滴でも温泉を飲んだよね?」
「そ、それが一体……!」
「信じられないかも知れないけど……私はねぇ、温泉なら何でも操れるんだよ」
私は脅すように言った。
「あなたがまたここに戻ってきて私を暗殺しようとしたら、私はあなたの中の温泉水を爆発させるから」
低い声で言うと、少女がきょとんとした表情を浮かべて私を見た。
「は――?」
「信じられないかな? 私は《シジルの聖女》なんだから、それぐらいのことは簡単にできるんだよね」
「ばっ――馬鹿なことを言うな! どこの世界にたかが水が爆発するようなことが……!」
少女は叫び、馬鹿にするようにぎこちなく笑みを浮かべようとした。
おや、これでは脅しが足りないようだ。
私は無言で温泉の湧出口を見た。
「嘘だと思ってるんだ?」
瞬間、私は温泉の湧出光に向かって『噴き出ろ』と念じた。
《スキル【源泉操作】により、温泉の湧出が再開します》
その途端。
ボン! という音とともに、猛烈な勢いで温泉が噴出した。
「んな――!?」
ダークエルフの少女が瞠目した。
ピイイイ! と甲高い音を立てて湧出口から蒸気と湯とがほとばしり、それはまるで爆発のように激しく飛沫を噴き上げる。
だがそれも一瞬のこと、私の【絶対温感】のスキルにより、噴き上がった源泉は一瞬で湧出をやめ、空に美しい虹がかかった。
間欠泉――。
私は大昔に山奥の温泉地で見た、豪快な水柱と蒸気を思い出していた。
かつては五十メートルほども噴き上がったと言われる、世界有数の天然噴水。
轟音とともに噴き上がる水柱と湯気は、まさに温泉の大爆発で――。
なおかつ、私の【絶対温感】の能力を使えば、その再現など至極簡単なことだった。
私は少女に向き直り、ニコニコと笑いかけた。
「嘘だったかな?」
少女の唇が色を失い、カタカタと小さく震え出した。
私は噛んで含めるように言った。
「いい? それはここにいる誰を標的にしても同じだから。ここにいる誰かが暗殺されたと思ったら、その瞬間に私は遠慮なくあなたを吹き飛ばす。撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけ――いいわね?」
少女は怯えを露わにして私の顔を見た。
よし、このぐらいでもう十分だろう。
私は少女を縛っている縄の結び目を解いた。
少女は震えながら立ち上がると、一目散に駆け出そうとした。
「あ、ちょい待ち」
私が呼び止めると、少女が律儀に立ち止まった。
「ひとつ付け加える。あなたが暗殺じゃなくて、ただ純粋に温泉に浸かりたいと思ったなら、そのときはいつでも戻ってきていいよ」
私がそう言うと、少女がゆっくりと振り返った。
その顔に浮かんでいたのは、怯えでも恐怖でもなく――驚きの表情だった。
私はなおも言った。
「昔から言うのよ。温泉好きには悪い人はいないってね――あなたもそうなんでしょう?」
私が脅しのためではない笑顔を向けると、少女は正気を疑うような目で私を見た。
それから少女はゆっくりと前に向き直り、今度は幾分かしっかりとした足取りでどこかへと駆けていった。
少女の背中が森の奥へ消えていくと、パウラが険しい顔で私に言った。
「いいのですかコノヨ様、あの者を捨て置いて。あの程度の脅しでいつまで効果があるか――」
「仕方ないパウラ、コノヨはこういう奴だ」
ハイゼンが呆れたように言った。
そう、私は昔からこういう奴なのだ。
温泉好きには悪い人はいない、そんな迷信めいた言葉を頭から信じているのだ。
「面白そう!」
「続きが気になる!」
「温泉行きたい!」
「備え付けのボディーソープが全然泡立たない!」
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