聖女、温泉を発見する
東方の火山地帯、通称《不帰の森》。
私たちは言い訳も釈明もできないまま、次の日には馬車に揺られて東方に追放された。
その名の通り、そこは非常に山深い地域で、森の奥にそびえる巨大な火山が今なお噴煙を上げる荒涼とした地域だ。
当然、人の往来はごく少ないし、危険な魔物や野生動物も多い地域だという。
王城から持たされたのは僅かな路銀と食料、そして野営道具だけ。
私たちは最初の三日を、拾った棒切れだけを手に過ごすハメになった。
川の水で乾きを癒し。
名前のわからない果物で飢えを満たし。
私たちはなんとか定住できそうな人里を目指して森を歩き続けた。
それでもいよいよ――精も根も尽き果ててきた。
あまりの疲労とストレスに、私たちは遂に一歩も動くことができなくなった。
「ぐぅ、疲れた……」
踏まれたカエルのような声を発し、遂にハイゼンが地面に座り込んだ。
こいつ、根性だけでなく体力もないらしい。
私は杖代わりの棒きれに縋りながらハイゼンを叱りつけた。
「ちょっとハイゼン、今日中にこの山越えて西側に出るんでしょ? 何弱音吐いてんのよ。立ちなさいよ」
「うるさい……もうイヤだ。なんでこんなことに……俺は死ぬときは綺麗に美しく儚く死にたいんだよ」
「追放された時点で綺麗も美しくもないでしょうよ。ほら、みっともなく腐ってんじゃないわよ。アンタ男でしょ?」
「うるさいうるさいうるさい! 俺はここで膝を抱えたまま暖かい部屋でコーンスープ飲む妄想をしながら死ぬんだ! そう決めたんだ、ほっといてくれ!」
「ほっとけるか! いい加減にしなさいよ!」
私はハイゼンの肩を掴んで怒鳴りつけた。
「アンタね、被害者は私なのよ! アンタが私をこの世界に呼び出したんでしょうが! アンタが私を元の世界に帰すなりなんなりしてもらわないと困るの! 立って歩け! 前に進め! アンタには立派な足がついてるんでしょうが!」
とっておきの言葉にも、ハイゼンは全てを拒絶するようにぶるぶると首を振った。
なんだこいつウゼェ――私は真剣にイライラした。
思えば、この男とはからずも知り合いになってしまってから、私はずっとイライラしっぱなしだ。
第一、この男が《シジルの聖女》召喚などという世迷い言に手を出さなければ、私はこんなことに巻き込まれずに済んだのだ。
だからこいつには私を元の世界に帰す責任がある。
だが――この男は私の期待を遥かに裏切って、ひ弱で、ワガママで、そして根性なしだった。
だが、ハイゼンが泣き言を言いたくなるのも無理からぬ事かもしれない。
もう三日、この山中を歩き通しであるし、まともな食事も摂っていないし。
王城から貰った薄い毛布一枚ではとてもじゃないが熟睡など出来はしないし。
取れない疲労が蓄積し、お互いに悲観的に、そして余裕がなくなっているのはわかる。
駄々っ子と化したハイゼンの言葉に付き合っていると、急に疲労感が増した気がした。
のしかかるような重さに耐えかね、私は杖を握ったまま地面にへたり込んだ。
「うぅ、せめて死ぬ前に鬼滅の映画もっかい観たかった……」
私はそう願ってみたが、ここは異世界。
誰も私の願いを訊くものはいなかった。
ちくしょう、私の人生はいつもこうだ……と私は空を仰いだ。
誰かの顔色を伺い、媚びてへつらって。
人に嫌なことばかり押し付けられて。
厄介事に巻き込まれては誰かに責任を取らされる。
今回もそうだ。
聖女だなんだと勝手に呼び出された私は、勝手に失望されて、捨てられた。
現実世界にいても異世界に来ても私の人生はいつも他人主導だ。
もしもう一度生まれ変わるなら。
もう二度と誰の誰の言うことも聞くまい。
死ぬほど好き勝手に、死ぬほど自由に、死ぬほど笑って生きてやる――。
力尽き、ここで骨になるのもやむなし。
私が全てを諦めかけた瞬間だった。
そのときだった。
ふと――鼻先に嗅ぎ覚えのある臭いを感じた。
「ん? これは……」
私は鼻をひくひくさせた。
突然声を上げた私に、ハイゼンが抱えた膝頭から顔を上げた。
「どうしたコノヨ……食料の匂いでもしたか。悪いがそれは幻覚だと思うぞ……」
「待って、静かにして」
私は鋭くハイゼンを制し、鼻に神経を集中させた。
そしてそれが間違いないとわかると、匂いのする方に向かって駆け出した。
「おっ、おいコノヨ! どこへ行く!?」
慌ててハイゼンが立ち上がり、ぎっくり腰の老人のような足取りで私の後に続いて走り出した。
匂いに誘われるまま、私は藪をかき分け、小川を飛び越えた。
どこにこんな体力が残っていたのか不思議なほど、私は一心不乱に森を駆けた。
五分もヤブをかき分けて――私はとある渓谷沿いの岩場にやってきた。
そこにあったのは、大きな水たまりである。
大きな岩の割れ目から水がこんこんと湧き出て、岩にせき止められて天然のプールになっている。
広さが四畳ぐらいの水たまりからは、湯気がほかほかと上がっていて、風が吹くたびに、ちょっと酸っぱいような硫黄の薫りが鼻をくすぐった。
「やっぱり……温泉だ」
私はひとりごちた。
この懐かしい匂いは硫黄の香りだった――。
「お……おいコノヨ、急にどうした? なんだこの水たまりは?」
後から追いすがってきたハイゼンが、立ち尽くす私の背後で訊いてきた。
「なんだ、って……温泉でしょうよ。知らないの?」
「オンセン?」
「えっ」
「えっ」
「まさかハイゼン――温泉知らないの?」
ハイゼンはぽかんと私を見た。
「聞いたこともない……なんだそれは? オンセンとはどんな大魔法なんだ?」
「な、なんてテンプレな質問……。それにアンタ、この三日間さんざん湯浴みもしてないとか言ってたじゃない。湯浴みは知ってるのに温泉は知らないの?」
ハイゼンは目を点にして私を見ている。
どうやら、この世界には温泉という概念が存在しないか、一般的ではないらしい。
「まぁいいか。よし、まずは早速……」
私はハイゼンを無視して、水たまりに手を突っ込んで見た。
「う、ほぉ……」
ブルブルッ、と、全身が震えた。
このぬくもりとほのかな硫黄の匂い――。
間違いなく適温の温泉じゃないか。
じゅる、と、口の中に思わずヨダレが出た。
なんて、なんて心地良い暖かさなのか――。
そう、私、木吉小乃夜は、しがないオタOLである。
それと同時に――大の温泉好きのOLでもあった。
「面白そう!」
「続きが気になる!」
「温泉行きたい!」
「饅頭みたいに僕を蒸かそうってのかい!」
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