聖女と召喚師、少しだけ打ち解ける
とっぷりと日も暮れかかってきた頃。
ハイゼンのおかげで、とりあえず最低限の物資は揃った。
脱衣籠、タオル、風呂桶、簀垂れ――。
現状客がいないので、それは自分たちの分だけ、数セットも用意できればよかった。
とにかく、これで一揃い、温泉としての体は為したことになるだろう。
「しっかし――これって泥棒よね?」
私は召喚された風呂桶を見ながら言った。
ハイゼンが召喚した風呂桶は、例の黄色いプラスチックで作られた、あの鎮痛剤の名前が書かれたものである。
つまり――これは私が元いた日本が存在する世界から召喚されてきたことになる。
泥棒、という言葉に、ハイゼンがちょっと慌てたように言った。
「しっ、失礼な! 召喚術は高度な魔法なんだぞ! それを泥棒とは何だ!」
「いやいやでも、よりにもよってこの風呂桶はないでしょうよ。どっから持ってきたのかバレバレよ、コレ」
私はその風呂桶をよくよく眺め回した。
「しかもちょっと使った痕あるし。ちょくちょく探しても探しても見つからないモノってあるけど、もしかしてああいうのってアンタたちがネコババしてたの?」
「ん? まぁ、その可能性はある。召喚術は召喚する対象は選べても、召喚先の世界は選べないらしいからな」
ハイゼンはそう言って、召喚された桶を手に取った。
「しかし、この黄色い桶は軽くて丈夫だな……しかも透き通っている。コノヨ、ここに描かれている文字はなんなんだ?」
「ああ、これは私の世界の――なんていうかポーションの名前よ」
「ぽ、ポーション……! それはすごい薬なのか!?」
「頭痛と歯痛にはよく効くわね。常備薬、ってやつよ」
「そ、そうなのか……! それは気になるな……!」
ハイゼンは唸ったが、私はこの桶が消えた銭湯の事を思って胸が痛んだ。
まさかこれを管理している銭湯のおじさんも、桶が異世界で第二の人生を歩み始めたとは思っていないだろう。
今度からなくしものがあったらスッパリ諦めよう。
私はそう決意を新たにした。
「まぁいいわ。とりあえず、今日はこのぐらいにしておきましょう」
「次はどうするんだ、コノヨ?」
「次はいよいよ脱衣所の建設ね」
私は頭の中の設計図をめくりながら言った。
「確か、召喚術ではそういう複雑な構造のものは召喚できないのよね?」
「あぁ、それは無理だ。建設物のような大型のものはこの世界で人手を頼るしかない」
「となると、明日はなんとしても人のいる里に向かわなきゃいけない」
私がそう言うと、ハイゼンが露骨にガッカリした顔をした。
「ということは――歩くのか?」
「仕方がないでしょうよ、追放されてて王都には戻れないんだし。ここらに人里があったらどうにかして脱衣所の算段をつけないと。ま、とりあえず今日は寝ることにしましょう」
ハイゼンは不承不承、という感じで頷いた。
とりあえず、明日やることが決まったら今日は就寝だ。
拾った果物で食事を終えてから、私たちは適当な草地に横になった。
とりあえず、あるものは使おうということで、布団代わりにバスタオルをかけて寝ることにする。
上を見ると、満天の星空だった。
日本の、いや、地球の空は汚れていたんだなぁ――。
そう思わせるほどに、一点の曇りもない、ド迫力の星空だった。
あの星々の中に、私がいる地球があって、そこに日本があるのかも知れない。
手を伸ばせば届きそうな程の輝きは、私にそんな感傷的な気持ちを抱かせた。
「コノヨ、まだ寝てないよな?」
ふと、背後のハイゼンが呟くように言い、私は寝返りを打ってそちらを見た。
ハイゼンはこちらに背を向けたまま、ボソボソと言った。
「――すまないな」
「えっ?」
「俺は――俺たちは、勝手な事情でお前をこの世界に召喚してしまった。それについて謝罪させてくれ」
私は意外な表情を浮かべていたと思う。
この神経質で至ってワガママな男から謝罪の言葉が出てくる事自体、想定すらしていなかったことだった。
「それだけでもすまないことなのに、俺だけでなく、あろうことかお前まで王都を追放されてしまった。この件に関してお前は純然たる被害者だ。本来ならば無能な俺だけが追放されるべきだったのに――重ね重ね、こんなことになってしまって申し訳ないと思っている」
私はハイゼンの後頭部を見た。
コイツなりに感じているらしい後ろめたさを汲んで、私は言った。
「いーよいーよ。それに、アンタがここに呼んでくれたおかげでこんないい温泉に出会えたしさ」
意識して明るい声を出しはしたが、それは私の本心だった。
その言葉に、ハイゼンの後頭部が、少しだけ揺れたような気がした。
「まぁぶっちゃけ、アンタに少しは感謝してるところもあるしね。あんな忙しない世界で誰かに使われてるより、アンタと温泉作ってる今のほうが楽しいよ」
ハイゼンはしばらく無言を通した後、たった一言、そうか、と言った。
タオルケットを掛けた肩から少しだけ力が抜けたのを見て、私は思わず言ってしまっていた。
「どうだい? そっち行って添い寝してやろうか?」
「断る。俺は一人で寝る」
秒で断られて、私の乙女心はざっくりと傷ついた。
それきりハイゼンはなにも言わなくなり、しばらくすると静かに寝息を立て始めた。
あーあ、明日からどうなるだろうな。
満天の星空に、温泉が湧き出す静かな水音を聞いているうちに、私の意識もとろとろと眠りに引き込まれていった。
「面白そう!」
「続きが気になる!」
「温泉行きたい!」
「上がった後はコーヒー牛乳!」
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